17歳からのメッセージReport2017

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17歳からのメッセージ2517歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ一連の流れすべてを覚えておくというのには無理があると思うが、せめて特別であったり大切であったりするときぐらいのことは、覚えておくことができていれば良かったと思う。それが、今まで自分が歩んできた足跡を振り返って見たときの唯一の証拠となると思うからだ。自分の足跡がはっきりと見えない今、これまで自分はただ漠然と時間を過ごしてきたのではないかという思いが拭えない。では今からできることは何か。それは未来の自分が振り返ったときに、足跡をはっきりと見つけられるようにすること。つまり、一瞬一瞬を自分と向き合いながら日々を送っていくことだと思う。私は五人姉弟の末っ子だ。たくさんの人に甘やかされ、たくさんの人に世話をしてもらい、姉弟で誰よりも愛を注がれてきた。ある日、一番歳の近い姉と母の誕生日プレゼントを探しに出かけた。母の誕生日はクリスマスに近く、自然と流れでクリスマスの話になった。「クリスマス何かほしいのある?」と姉に聞かれ、誕生日にしかされない質問が疑問に思われ、理由を尋ねた。すると姉は優しく答えた。「幼稚園生の頃から貰い続けてるプレゼントは、全部姉ちゃん達がバイトで貯めたお金で買ってたんだよ。だから次は交代で私がプレゼント買おうと思ったから。」私はこの真実を聞いて、もっと前から気づいておけばよかったと心が苦しかった。小学生の頃、遠慮なく高いゲーム機を頼んだ自分を恨みたい。だが、もう過去には戻れない。私の夢ははっきり決まっていないが、人の役に立つ仕事をしたいと思っている。私は姉弟に恩返しをするために、その夢に向かって日々前進しようと決意した。「ほしい物とかないよ!」と本当はあったけど、嘘をついた。今すでに恩返し作戦は始まっている。恩返し作戦沖縄県立普天間高等学校(沖縄県)仲村渠光さん頃に起き、風呂の掃除をしている。だから俺と会話をすることがあまりない。家族旅行にもここ数年行っていない。父はいわば「仕事人間」だ。俺は幼い頃から父にいろんな話を聞いてほしかった。でも帰ってくるのが遅い父にはその時間もあまりない。いつしか俺の中で不満が芽生えていた。父に良いイメージをもつことができなくなっていた。だかそのイメージはあることをきっかけに大きく覆ることとなった。高校1年の頃、俺は学校のガラスを割ってケガを負った。すぐに保健室に行き応急手当を受けたが血はなかなか止まらなかった。当然親にもすぐ電話が入った。俺は母が自宅から1時間かけてわざわざ来てくれるのだろうと申し訳なく思っていた。しかしそこにあったのは仕事着の父の姿だった。仕事がたくさん残っていたはずなのに咄嗟にかけつけてくれたのである。父はその日の仕事をすべて中断して病院にも連れていってくれた。その時俺は、俺のことをちゃんと考えて時間を作ってくれている父の姿を目の当たりにした。来月は「父の日」だ。俺は素敵なプレゼントをあの時の感謝と共に贈ってあげるつもりだ。プレゼントや感謝の言葉に照れるであろう父に、いろんなことを話したい。自分は今まで、どんな景色を見て、どんなことを感じてきたのだろうとふと思う。十六年数ヶ月という、大人にとってみれば短い期間かもしれないが、自分にとってみればそれなりに長い時間。何度も同じ朝を迎え、何度も学校に通い、何度もまた同じように家族と夕飯を囲んだ。それ以外にも、友だちと遊んだり、部活の仲間と大会に臨んだりと、日常的なことから特別なことも含めて、自分はいろいろなことを体験し、感じてきたはずだ。でも自分は、そのときのことを上手く思い出せない。もう少し詳しく言うと、自分がどのような場面で、どんなことを感じ、そしてどうしたのかが思い出せないのだ。人ならば、いつも何かしらの喜怒哀楽は感じているだろうし、それによって行動も変わってくると思う。その大切にしたいこと鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校(鹿児島県)井戸川倫子さん大丈夫だ。生きていることの幸せに、気付けたから。そう、私は今、生きているただそれだけで、最高に幸せだ。これからも、私は生きていく。私の祖父母は言語聴覚障がい者で、日常生活では手話を使って会話をしています。ある日、祖父が参加している身体障がい者のグラウンド・ゴルフ大会を、祖母と一緒に見に行きました。そこには色々な障がいをもつ方々が参加されていて、聴覚障がい者の方も多数いらっしゃいました。開会式が始まると、聴覚障がい者の人達の前に立ち、顔の前で両手を大きく動かし、笑顔で手話通訳をしている母が目に入りました。なめらかで正確な手の動きに思わず見入ってしまいました。私は人前で堂々と通訳をしている母の姿を初めて見ました。試合が始まると、たくさんの聴覚障がい者の方が母を頼って、手話をしながら楽しそうにグラウンド・ゴルフをされていました。この時、私は「手話ができるって素敵だな。私も手話を学んで人の役に立ちたい」と思い、手話を本気で勉強することを決意しました。私の将来の夢は保育士になることです。母が先日、「保育園の園児や保護者も聴覚障がい者の方がいるかもしれない。」と言っていました。そうした子ども達の教育をサポートし、少しでも保護者の方々の力になることができるよう、私も手話を勉強していきたいと思います。それが私にできる社会貢献だと考えるからです。俺の父には時間がない。父は朝から晩まで仕事をしている。週末も朝から夕方まで図書館で勉強をしている。夜中も3時手話通訳者の母西日本短期大学附属高等学校(福岡県)石橋麻里英さん本当の「父」の姿宮崎県立宮崎北高等学校(宮崎県)森亮太さん