17歳からのメッセージReport2017

17歳からのメッセージReport2017 page 30/48

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2017 の電子ブックに掲載されている30ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2017

17歳からのメッセージ2917歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ朝ローファーを履く前、私は必ず靴に「ありがとう。」と言う。それが日課となったのは、祖母が毎朝私の靴の汚れを落としてくれていることを知ってからだ。雨が降った日の翌朝、靴を見ると、昨日確かにあった泥はねや土の汚れが無くなっているのに気がついた。不思議に思ったものの、そのまま家を出た。祖母が靴を磨いてくれていると知ったのは最近になってからだ。部活で朝練があり、いつもより早く玄関に行ったとき初めて知った。祖母は、「これぐらいしかできんけど。」と言って笑った。私は何も知らず毎日靴を履いて学校に行っていた。こんなに近くで支えてくれている人の存在に気づけていなかったという悔しさを感じたが、それ以上にありがたさで胸がいっぱいになった。気づけていないだけで、いつも誰かの優しさに支えられている。知らないだけで、ちゃんと私を見てくれている人がいる。私の当たり前の毎日は、祖母のように誰かを思う小さな優しさで支えられているんだと分かったから、今度は私も誰かの支えとなれるような人でありたいと思う。そして、その感謝は必ず伝えたい。私の毎日は「ありがとう。」から始まる。毎週土曜日、市民会館の一画に設けられた「土曜クラブ」の部屋。そこへ入ると小学生の子ども達が鬼ごっこをしたり、お絵かきやけん玉遊びをして笑っている声が、会館中に響き渡ります。「土曜クラブ」は、家に帰っても一人でご飯を食べなければならない子ども達の為に開設された「子ども食堂」です。そこにボランティアスタッフとして私は参加しています。無料の昼食を配り、一緒に食事をした後、勉強を教えたりしています。優しさに支えられて愛媛県立三島高等学校(愛媛県)髙橋芽衣さん人とふれあうあたたかさ西日本短期大学附属高等学校(福岡県)椿原緋奈乃さんてくれた。突然で驚いたが、なんだか心の氷が溶けた感じがして、急に涙が出てきた。私は慌ててぎゅっと手をつねった。すると友人は私の手を、ぎゅっと優しく包み込み、「そんなことせんでも、泣きたいときは思いっきり泣き。」と一言。涙を許してくれる言葉に、私は栓が抜けたようにわんわん泣いた。泣き終わるとすっきりして涙はからっぽになり、出なくなった。私は泣き虫だ。でもそれでいいんだ。泣きたいときに泣いて、からっぽにした後に、また前を向き、進めばいいのだから。黒ぶちの四角い写真立ての中から、こっちを見て笑っている祖父。春の光のように、私にやさしい笑顔をそそいでくれた人だった。もう帰らないけれど、私の心の中には、たくさんの祖父との思い出がつまっている。両手を真っ黒にして、私の自転車を修理してくれたあの日。私は、自転車店に修理を頼めばいいのにと思った。なぜかと言うと、祖父は、少しのパンクの為に、修理材料を買いに行き、時間や手間をかける。その事を考えると、近所の自転車店で修理してもらうのが合理的だと思ったからだ。しかし、祖父の何でも自分が直して使うという習慣は、知恵と工夫で節約をするという基本を教えてくれた。また年末になると、祖父の作ったお米で、おもちつきを楽しませてくれた。つきたてのもちを、兄たちと丸めながら食べるのは、かくべつおいしく感じられた。私の体は、祖父のお米で元気をもらっていたと言える。戦争を経験している祖父は、たくさんの苦しみや悲しみの経験者だと思うけれど、そのような事は全く言わず、私たちに生きた背中を見せてくれた。まるで、困難な事にぶつかった時や、苦しい時には、どう生きたらよいのか学ばせてくれたかのように。私が祖父に贈った最後の言葉は、ありがとうだった。これからの自分はどう在りたいのか、どのように生きるのかを、しっかり考えたい。祖父とのふれ合いの中で徳島県立徳島北高等学校(徳島県)山本玲菜さんのが上手だった。私は簡単な文法でカタコトでほんの少ししか話せないので、言葉の不自由によく悩まされ、よく落ち込んだ。会話についていけないことも多くあり、伝えたいことが伝わらなかったり、相手が伝えてくれていることが理解できなかった。それによって、「もどかしい」という感情を強く感じた。しかし、私の友達は私を英語が通じないからといって見捨てたりは絶対にしなかった。中には私を無視する人もいたが友達の三人だけは、私に伝えていることが伝わるまで、ゆっくり話してくれたり、ジェスチャーや表情を使って最後まで諦めないでいてくれたのだ。また、私の伝えたいことが伝わったときは相手の目の前で喜びの笑みがあふれるほど嬉しくてたまらなかった。落ち込んだことも、その三人に伝わったときの「嬉しさ」によって、きれいに消えた。伝わらないことがこんなにも苦しいということ、伝わることがどんなに幸せかということを、私は日本にいては絶対に気づけなかった。日本にいても伝わることが幸せであることを多くの人に気づいてもらいたい。私は泣き虫だ。泣きたいわけでも、泣いて許されるとも思っていないのに、怒られると、悩んでいると、涙が止まらなくなる。「泣いて許されると思うなよ。」「すぐ泣く人、嫌いなんよね。」昔、親や友人が放った言葉の矢が胸に刺さって、抜けないままでいる。泣くことは、いけないことなんだ。私は、どうしたら泣かずに済むのか考えた。泣きそうになったら手の甲をぎゅっとつねることにした。そうすると痛みが勝ち、涙がスウッと引く。父に怒られたとき、早速実践した。涙が出そうになるたび、何度もつねった。すると、最後まで泣かずに済んだ。「やった、克服できた」そう思い手の甲をみると、赤く腫れあがり、ボロボロになっていた。なんだか悲しくなって、結局一人で泣いた。ある日、かなり悩んでいる日があった。誰にも言えず我慢していた。すると友人が「最近無理してない?」と声をかけ私は泣き虫だ広島県立竹原高等学校(広島県)石﨑菜々美さん