17歳からのメッセージReport2017

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応募参加校一覧17歳からのメッセージ3017歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞みなさんは、見知らぬ人が困っていた時すぐに助けることができますか。私は以前、学校帰りに駅前に置いていた自転車で帰ろうとした際、見事に自分の自転車の隣の自転車を倒してしまい、そこからドミノ倒しのように他の方の自転車を倒してしまったことがありました。その日に限って、いつも一緒に帰っていた友達が一緒じゃなく、仕方なく1人でなおそうとしていました。通行人は何人もいましたが、みんな見て見ぬふり。そんな中、ある1人の男性だけが1台ずつ自転車をなおしてくれました。「ありがとうございます!」と私があわててその男性を見ると、障がいをもった男性でした。私を見ると、ニコッと笑ってそこからまた何も言わずに黙々と自転車をたてなおしてくれました。全部たてなおしてから、最後にまたお礼を言うと、やはりニコッと笑って帰っていきました。この出来事で、私はどんな困っている人がいても率先して人を助けようと思いました。1人でも助けてくれる人がいたらすごく嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいになり、私も困ってる人がいたら助けようという気持ちになります。このループが、いろんな人たちへつながっていったらいいです。中国人には、日本人にない良い習慣がある。毎日当たり前のように見ている光景が、最近特別なことであると思い始めてきた。彼らは、とても家庭的な集団で、人間関係を重視し友達思いである。これは、食事面でも見られる。彼らは円テーブルで、食事を大勢で取り囲み、お互いの顔を見ながら賑やかに食事をする。男の人も頻繁に自ら料理をしてくれるらしい。街を歩いていても、たいていの人は誰かと電話して、常に誰かと繋がっているように見える。彼らにとって、メールをする感謝のループ樟南高等学校(鹿児島県)大脇華弥さん中国に住んでいる私から見た中国上海日本人学校高等部(中国)辻前玲奈さん離れていく。将来のことを考えるとしょうがないと思うけれど、この奄美大島で生まれ育ったことも誇りに思いたい。そして、いつか立派になって島に戻り、お世話になった島の方々、生まれ育ったこの奄美大島に恩返しをしたい。「日本で財布を落としたら戻ってくる」と外国人は驚く。日本人は持ち主が困っているはずと「思いやり」、警察に届ける。そんな国民性を私は誇らしく思う。同時に、似て非なる「思いやりもどき」には、断固として反対したい。私は昨年、アメリカでホームステイをした。優しさと自己主張の両立という、日本人が苦手なことがアメリカ人には簡単なことらしい。皆自分の意見を遠慮なく言う。「反対したら傷つくかな」なんて「思いやりもどき」は全くなく。ストレートに話す。「私はこうしたいけどあなたは?」「私は嫌。」とか。常に自分はどうしたいのかをはっきり表明するよう求められ、最初は戸惑った。ただ議論しているうちに、いいアイディアが出たり、AとBのミックス案が生まれたりして皆の目が輝く展開もあるのだ。「OK。私はこう思うけど、あなたはこうなのね。」と違いを認め合う展開も見た。私は「アメリカがエンターテインメントの分野で世界一なのは、人数分のアイディアが切磋琢磨しているからか」と感心してしまった。勝手に推測し、勝手にアメリカの底力を見た気がした。付和雷同の言葉の通り、自分の意見を持たず、流れにのるだけでは人として進歩は望めない。真の「思いやり」はそのままに「思いやりもどき」をなくして自分を伝え合い、高め合う。より密になる世界で、日本人に必要なことではないか。もうすぐ十七歳になる私はこんなことを思い伝えたいと感じている。「思いやりもどき」鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校(鹿児島県)兼井舞音さん私は最初、人見知りをするので子どもと関わるのは苦手でした。その為、参加することに気が乗りませんでした。しかし、実際に参加をしてみると、元気な子ども達に振り回されますが、屈託がなく、人懐っこい子ども達に私は素直に心を開くことができました。周りの大人の方達にも、私の悩みや学校生活などの話を聞いてもらったりしています。そうした出会いやふれあいの中で、私は私の住む八女という地域のあたたかさを感じることができました。ボランティアを続けるうちに、私の中で人と関わることの苦手意識が段々となくなっていくのがわかりました。それは、やはり地域の方のあたたかさや子ども達の純粋さが私を変えてくれたのだと思うのです。今日も学校を終え、「土曜クラブ」のドアを開けると、おいしそうなカレーのにおいが漂っていました。私は今まで生まれ育ったこの奄美大島を早く出たいという気持ちが強かった。しかし、聞き書きサークルという活動に参加して私の思いは一変した。その活動は、昔の体験談を聞いたり、奄美ならではの伝統文化について聞いたりした内容を一冊の本にまとめる。その中で私は、今まで育ってきた奄美大島のことについて、何も知らないということに初めて気づき、改めて奄美の良さを知ることができた。地域の人たちは「自分の子どもだけでなく、集落の子どもはみんなで育て、みんな宝だ。」と言っていた。私はその言葉を聞いてこんなにも人が温かく、自然が豊かで良い島はないなと思った。そして、奄美は都会と比べて遊ぶところもないし、お店も少ないから早く出て行きたいと思っていたけど、そう思っていたことに後悔した。今こうして思えるのは、聞き書きサークルという活動に参加し、いつもは聞くことができない思いを聞けたからだ。だから、私はたくさんの方へ、感謝の気持ちを忘れずにこれから島を離れても頑張っていきたい。この奄美大島では、高校を卒業するとだいたいの人が島を無題鹿児島県立大島北高等学校(鹿児島県)川原かのんさん