学長・野風草だより

No.329

No.329 2013年1月19日(土)

尊敬する農事評論家である原田津さんを偲んで

 私の尊敬する農事評論家で、私の本を何冊か出版していただいた農山漁村文化協会の編集者であった原田津さんが、1月18日に享年80歳で逝去されました。家族や近しい人のみの会葬で荼毘に付されました。私は公務のために東京まで駆けつけることが出来ませんでしたので、棺に供えるお花を送り、以下のような偲ぶ文章を棺に入れていただきました。私からの弔辞です。上の写真は、1999年2月に博多で「日本農書全集」の編集会議の時のものです。中央の茶色のコートの方です。みんなで博多湾の能古島へ行き、酔いつぶれたこともありましたね。真ん中の写真は、2001年6月の信州の伊那へ渋谷甲子男さんを訪ねて、一泊旅行をした時のものです。郷土料理に舌鼓を打ちながら、地酒を飲みかわして一晩明かしましたね。下の写真は、原田さんの代表的著書である『むらの原理 都市の原理』『食の原理 農の原理』(ともに2007 農文協)です。

 ご逝去にあたり、謹んでご冥福をお祈りいたします。
 初めてお会いしたのは、1990年12月9日、東京・根津の田仲旅館でした。第2期の「日本農書全集」を編集するため、佐藤常雄筑波大学教授、江藤彰彦久留米大学教授、そして私が編集委員となり、農文協から繁田与助さん、本谷英基さんがご一緒でした。一言で言うなら、「何とまあ皮肉屋さんかいな」というのが第一印象でした。それから2、3か月に1回の編集会議のたびに、同席するようになりました。東京だけでなく京都や博多でも。「なかなか鋭いおっさんやな」に変わってきました。編集委員会が終われば、酒です。私も強いと自負していますが、原田さんはほとんど食べずに飲むだけでした。でも酒の相性が合いました。談論風発、皮肉連発、丁々発止、楽しかったですね。最後の編集会議は、2000年9月ですので、10年近くこの会議でお付き合いさせて頂きました。
 私は1991年頃より守田志郎を読んでおり、『農業は農業である』(1971 農文協)をはじめとして数多くの守田志郎の著作を編集した原田さんとは、さらに酒を飲みながら教えを乞うことになりました。編集者としての顔だけでなく、数十年にもわたって農家の現場を歩いてこられた農事評論家としての見識、薀蓄を、ちょうど20歳年下になる私ごとき若造に傾けて下さいました。「作りまわし」、「作りならし」をキーワードに、1996年『日本農法の水脈』、1997年『日本農法史研究』、2000年『日本農法の天道』を農文協より出版させていただきましたが、大変喜んでいただきました。私にとって大学以外で初めて「先生」と呼べる存在でした。原田さん、もう遅いんやけど、私を原田さんの一番弟子として認めてやってください。「とくながさーん、それはちょちょっと」と、言われそうな気がしますが。ありがとうございました。

 第2期「日本農書全集」全37巻が終わってからは、第3期をめざして時折集まることがありましたが、それよりも私の東京出張にかこつけて、渋谷駅ガード下の「さつまや」で飲むことが多くなりました。年に2、3回はお会いしましたか。京都から電話で長時間話し込むこともありました。2001年6月には伊那の農家である渋谷甲子男さんを訪ねて温泉旅行をしました。2003年4月には農業史学会のついでに、鹿児島城址で桜の花見をしましたね。そして何よりうれしかったのは、2005年7月10日に原田さんご夫妻を京都の床料理にご招待できたことです。生憎の雨で室内になり「涙雨」かなんて言っていましたが、覚えていらっしゃいますか。けっこうアソビもしましたね。
 2006年頃よりは私が大学の仕事で忙しくなって、原田さんも2005年に農文協をおやめになったし、お会いする機会が年に1、2回に減りました。原田さんは胃や腸の手術などをされて、しんどかったようです。それでもお電話すれば、必ず「さつまや」で会っていただき、楽しく酒を酌み交わしました。無理言うてて、すいません。娘さんや奥様の監視つきの時もありました。2012年11月6日、東京出張でいきなりお電話すると、「悪いけど自宅に来てよ」と言われてびっくりしました。代官町のご自宅を訪ねて、猫ちゃんが出迎えてくれました。奥様とご一緒に、またまた酒を飲みながら語り合いました。その時が原田さんにお会いした最後となりましたが、楽しそうに酒を飲む様子がまざまざと思い出されます。ほんまにあつかましかったけど、お会いしておいて良かったとつくづく思います。原田さんのお姿が瞼にはっきりと残っているんです。

 私は原田さんにかねがね、守田志郎の学問をさらに発展させますよと言っていました。原田さんの1997年の『むらの原理 都市の原理』、『食の原理 農の原理』の2冊が原田農業論の総括であり、2006年の『農家再訪』が原田さんの現場主義のまとめですね。私はそれらを学びながら、「日本農学原論」を私のライフワークとして早いうちにまとめて、彼岸の原田さんにご報告したいと思います。「それ出来んの、とくながさーんしか、いないんだよね、早くやんなきゃ」と、いつも励ましてくれていましたね。私の不甲斐なさのために、生前には間に合わなかったことをお詫びします。ごめんなさい。
 重ねて、ご冥福をお祈りいたします。  合掌