学長・野風草だより

No.357

No.357 2013年4月20日(土)

文楽で人間国宝の芸にふれる

 この頃、ユネスコの無形文化遺産に指定されている文楽をちらっと覗いていることを書きましたが(野風草だよりNo.324)、3月には京都府立芸術会館で京都公演を見てきました。演目は「二人禿」と「義経千本桜」すしやの段でした。すしやの段は1月にも見ていましたので、義太夫の語り、三味線の弾き、人形遣いの動きなどをじっくり見ることが出来ました。4月はまた日本橋の国立文楽劇場へ人間国宝の芸を見るために出かけました。大夫の竹本住大夫、竹本源大夫(残念ながら病気休演)、三味線の鶴澤寛治、鶴澤清治、人形遣いの吉田蓑助、吉田文雀です。午前の部の「伽羅先代萩」、「新版歌祭文」に出演されていました。「伽羅先代萩」は、4つの段が次々と演じられていましたので、ストーリーの展開がよくわかり楽しかったです。仙台藩の伊達騒動をモデルにしていますが、乳母の政岡や息子の千松の話に江戸時代の人は涙を流して共感したことでしょう。人間国宝の方々の至芸については、正直わかるところまでは参りませんでした。まあ、今後見てるうちにおいおいわかることでしょう。

 11時から3時半まで見て、一休憩。急いで外へ出て、近くのタコ焼きさんでおそい昼食。20個で600円とは安い、うまい。午後の4時半からは近松門左衛門の「心中天網島」を8時まで、3段続けて観賞しました。一日文楽漬けで堪能しましたが、やはり寄る年波には勝てず、狭い椅子席で疲れました!ががっ、これまで世話物は見ていなかったのと、大坂が舞台ということで大変興味深くみることが出来ました。これは、享保5年(1720)10月14日に紙屋治兵衛と遊女小春が大坂網島の大長寺で心中した事件を受けて、近松門左衛門が同年12月に書き下ろして大坂竹本座で初演されたものだそうです。右の写真は、当日の別刷りのチラシにあったもので、文政2年(1819)の「商人買物独案内」に「紙屋治兵衛」の名が載っています。治兵衛の妻のおさん、治兵衛の兄の粉屋孫右衛門などが絡んだ人間模様と機微、そして義理と人情の世界が、現代の私にまで伝わってきてホロリとしてきました。古典芸能の世界は、演者たちのご努力によって延々と現代にまで繋がっていることを痛感させていただいた一日でした。

 右の写真は、当日「伽羅先代萩」の「政岡忠義の段」で、豊竹呂勢大夫の相方三味線を務めた人間国宝の鶴澤清治さんです。私は床の下のほうの席でしたので、間近に表情を見ることが出来、演奏を聞きながらなんか力みがなくて自然体で弾いているなと感じていました。当日のパンフに、以下のようなことを書かれていました。「自らを追い込んで、いわば死中に活路を見出すのが義太夫の本道ではないでしょうか。三味線であれば自分の手が動かないぎりぎりのところまでいって、そこで抜け道を探すというのならいい。でも、最初から抜け道を行ってはいけません。いくら鮮やかに聴こえたとしても、それではお客さんの心を打つものにならない。」「初舞台を踏んで、来年で60年です。光陰矢の如しと言いますが、その通りですね。三味線を弾くには筋力が必要です。年齢とともに筋力は衰えてきますから、そこをどう維持して調整していくかが大切だと考えています」。こうした言葉は芸の世界だけでなく、研究や教育の世界にも通じますね。私は60歳の還暦を過ぎましたが、研究と教育に精進して、もう一花咲かせたいものです。