学長・野風草だより

No.438

No.438 2014年2月14日(金)

日本画の神髄―重岡良子・竹内栖鳳・佐藤太清

 今日はバレンタインデー。家族から「義理チョコ」をもらいました。皆さんはいかがですか?京都は朝から大雪、今冬一番の積雪になりそうです。これを越えれば、春到来でしょうか。
 昨年11月に、友人を京大病院積貞棟へ見舞いに行きました。1階のロビーにある素晴らしい日本画が目に留まり、しばし見とれてしまいました。麦の絵です。重岡良子さんという方の作品でした。京都文化博物館で「IMA琳派 重岡良子展」があるのを知り、早速出かけました。中の大きな畳の部屋に、30点くらいの絵が展示されていました。四季折々の花木、草花、鳥や昆虫が、画面いっぱいに大胆な構図でやや装飾的に描かれていました。
 琳派は、本阿弥光悦と俵屋宗達(風神雷神図)、そして尾形光琳(紅白梅図屏風)・乾山兄弟らで確立し、酒井抱一・鈴木其一らが発展させます。京都岡崎の細見美術館は琳派関係の収集で有名で、12月には近代の神坂雪佳(1866~1942)の展覧会があり、見てきました。
 重岡良子さんはそうした伝統を受け継いでいこうとしているので、「IMA 琳派」と名付けたのでしょう。絵葉書の上の写真は「あお麦風々」で、京大病院のはこれだろうと思います。下は「白露」で露が出来始める9月頃の情景です。あつかましくも30分くらいお話しさせていただき、創作の苦労、IMA琳派の意図などをお聞きしました。会場に杖をついたおじいさんが奥様に手を引かれて来られており、熱心に鑑賞されています。重岡さんにお聞きすると、師匠の下保昭とのこと、奥様は私が好きな日本画家・小野竹喬の娘さんでした。

 日本画は、東京よりも小野竹喬など京都の人たちのが好きなのは、やはり京都に住んでいる身びいきからでしょうか。京都画壇は、竹内栖鳳(1864~1942)に始まるといっても過言でないでしょう。11月に岡崎の京都市美術館で展覧会があり、出かけました。竹内栖鳳の私邸兼アトリエは八坂の塔近くの結婚式場SODOHになっており、知り合いの結婚式で訪ねたことがあり、余計身近に感じます。
 初期の作品から最晩年までの作品が展示されていて、彼がひたすら近代日本画の確立のために苦闘している姿が浮かび上がってきます。たまたま平野重光『竹内栖鳳―芸苑余話』(1986 京都新聞社)を読んでいましたので、円山四条派から始まって大和絵、狩野派、漢画、洋画の手法を取り入れて、独自の作風を作り上げてプロセスが、有名な「大獅子図」、「散華」、「絵になる最初」、「班猫」などを見ながらよくわかりました。同時に栖鳳の下絵と素描が展示されていて、これも創作の努力の跡がわかり楽しかったです。小野竹喬は栖鳳の有力な弟子にあたります。

 今年の2月には京都文化博物館へ、京都福知山市で生まれた日本画家・佐藤太清(1913~2004)の生誕100年展を見に行きました。私は全く知らない東京の画家でしたが、市内のあちこちで見かけるポスターの「雪つばき」(1994 81歳)の美しさに惹かれて、参りました。今日はたまたま雪ですが、開き始めた赤い椿に雪が積もっていくさまは、まさに絵の雰囲気そのままです。地面に雀が描かれていますが、本当に私の庭にも寒さを防ぐために羽毛をいっぱいに膨らませている「ふくら雀」が来ているのです。
 チラシには、「自然が見せる一瞬のきらめき。もう二度と見ることのない美の瞬間。佐藤太清は、自然との一期一会の出会いを、詩情あふれる解釈で絵画に映し、受け止めた心象を永遠のものにしました。」とあります。花鳥風月を描きながら、「花鳥風景画」という新分野を確立したそうです。
 下の絵はがきなどの写真は、左端の「旅の朝」(1980)は越後六日市の様子で、有名な連作<旅シリーズ>の始まりを告げます。次が「夢殿」(1972)で、そして「東大寺暮雪」(1975)です。絵の前に立つと、本当に今日のように雪が降っている感じがします。すばらしい!そして右端は、「草原の旅―マヤの遺跡を探ねて」(1982)です。「神秘的なマヤ文化の遺跡をたずねて、メキシコを旅した時のもの。まるで行けども行けども広漠とした大草原。その彼方にあとからあとから湧いてくる浮雲に吸い込まれてしまいそうな気がした。」と述べています。大画面の5分の4くらいを占める空、空、空、圧倒されて感動!!!