学長・野風草だより

No.446

No.446 2014年3月14日(金)

卒業する皆さんに贈る言葉

 卒業式の季節を迎えました。今回の卒業生でちょうど80期となり、9万人を越えました。82年の伝統を受け継ぎ、100周年に向けてさらに飛躍していきたいものです。以下はその時の式辞です。

 各学部の卒業生の皆さま、そして各大学院研究科の修了生の皆さま、卒業・修了おめでとうございます。本日ご臨席たまわったご父母、学費負担者の皆さまに心よりお慶び申し上げます。
本学は、1932年の浪華高等商業学校に始まり、昭和高等商業学校、女子経済専門学校などを経て、1949年に現在の大阪経済大学となり、一昨年の2012年に創立80周年を迎えました。卒業生は今日卒業、修了される皆さん1538名を加えて、9万名を越えました。皆さんはちょうど80期生にあたります。先輩たちからのバトンをしっかりと受け取ってほしいと思います。そのバトンには、“大経大PRIDE”と書かれていると思います。これからは大経大の卒業生であることに誇り、PRIDEをもって生きていってほしいと思います。

 最近、伊集院静が書いた『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』(2013 講談社)というのを読みました。夏目漱石はご存知だと思いますが、正岡子規は知っていますか?正岡子規の本名は、正岡升(のぼる)と言い、周りからは「ノボさん」「ノボさん」と言われて愛されていました。『坂の上の雲』で有名になった秋山真之(さねゆき)とは、松山中学での同級生です。明治維新の前年1867年に松山で生まれて、明治35年1902年に結核のため34歳で亡くなりました。正岡子規や秋山真之らのしゃべりは、私の故郷である松山の方言で書かれていまして、まことに楽しく声に出して読んでいました。伊集院静は最後に、「子規は俳句、短歌を文学の領域に引き上げた文学者として、現在もなおその名を広くとどめている。それでもなお周囲の人々からノボさんと親しみをこめて呼ばれ、おう、と嬉しそうに応えて、ただ信じるものを真っ直ぐに歩き続けていた正岡子規が何よりもまぶしい。漱石はそれを一番知っていた友であった。」(403~404頁)と締めくくっています。この小説から少し、彼の生涯、言葉を紹介したいと思います。

 1889年の22歳の時に初めて喀血した時から、正岡子規と俳句の号を名乗るようになりました。「シ、キ、と読む。時鳥(ほととぎす)のことじゃ。あしはこの初夏から正岡子規とした。五月の或る夜、血を吐いた。枕元の半紙に血がにじんでおった。それを見た時、時鳥が血を吐くまで鳴いて自分のことを皆に知らしめるように、あしも血を吐くがごとく何かをあらわしてやろうと決めた。それで子規じゃ。」(187頁)
子規の決意、青雲の志がうかがえます。同じ22歳です。皆さんなら、この一生をかけてやりたいことは何でしょう。この学生時代に見つかりましたか?その芽が育ち始めましたか?おそらく子規のように死と向き合いながらということはないでしょう。皆さんの人生はこれからまだまだあります。健康に留意しながら、是非、夢をみつけ、追いかけてほしいと思います。

 子規は松山に帰り、母の八重と妹の律に見守られながら療養していました。周囲からこのまま松山で療養することを勧められると、「それは到底できんぞなもし。あしはやりたいことがようけあるぞな。いろんな本を読んでみたい。それを読むことで少々身体が、あしの生命が減ってもかまんのです。・・・上京して以来、いろいろ迷っていたが数年前からようやく本を読む、物を識ることの悦びがわかりはじめた。そうやって根を詰めて生きれば身体に良くないことも承知しとる。」(200頁)
子規は学生時代に、それなりの道を見つけ、命を削りながら走り続けたのです。皆さん、学生時代に学んだことは何だったでしょうか。今一度、振り返ってみてほしいと思います。勉強はもちろんですが、クラブやサークルでの課外活動、アルバイト、友人との遊び・語らいなど、いっぱい思い出があるでしょう。一つ一つが皆さんにとって一生の財産となるでしょう。そして大経大の思い出の一つに、初代学長の黒正巌博士が言われた「道理は天地を貫く」という言葉を入れておいてほしいと思います。守衛室の横に黒正博士の胸像と「道理貫天地」の石碑があります。最後に一度見ておいてください。夢を追いかける皆さんの人生の芯棒に、「道理は天地を貫く」を据えてみてください。

 子規は再び上京して、東京・根岸の子規庵で寝たきりの生活が始まります。1902年の夏、ふと回想します。「あしは小説という形式では自分の思うている表現、感覚を満足させることはできないと決めてしもうたな・・・」すると、弟子の河東碧梧桐が「ノボさんには俳句がありますし、短歌もあるぞな。それで十分にノボさんは世に出られました」と言います。子規は考えます。・・・果たしてそうじゃろうか・・・子規は自分が夢見たことにむかって走り続けてきた。「そいか、あしはそれがしたかったのか・・・」(380~381頁)
人生って、こんなもんかもしれません。長いようで短い。あっという間ですね。一日一日を大切に生きていってほしいと思います。
そして9月19日に亡くなります。気丈な母の八重は息子の言うことを何でも聞いて看護していましたが、子規が死ぬと八重は息子の両肩を抱くようにしてただ一言、「さあ、もういっぺん痛いというておみ」(396頁)、と言うんです。ちょっと泣けてきましたね。

 最後に私から皆さんに、一つ言葉をお贈りします。「おかげさま」、私は故郷の松山でつい先日亡くなった90歳の母から教えられたこの言葉が日本語の中で一番美しいと思っています。おれがおれがの我の世界ではなく、「おかげさまで、何とかやれてます、生きて生かされています」と感謝し祈る。私にとって生き方の原点であり、研究や教育の基本軸です。今日帰ったら、大学に行かせてもらったお父さん、お母さん、学費を負担していただいた方に、卒業証書を見せて、「ありがとうございました、おかげさまで卒業できました。」と感謝の言葉を述べて欲しいと思います。
私たち教職員は、皆さんとともに“大経大FAMILY”家族として過ごせたことを感謝します。ありがとう。大経大の卒業生であることを誇りに思って、“大経大PLIDE”を持って、これからの人生を生きていってください。そして大経大を第2のホームとして、母校を忘れないでいて下さい。卒業おめでとう。以上で学長としてお祝いのメッセージといたします。