学長・野風草だより

No.458

No.458 2014年5月18日(日)

卒寿・米寿・傘寿の恩師のお祝い

 4月6日には、渡部忠世先生の90歳の卒寿のお祝いをプロジェクトいのちで行いました。先生の専門は作物学、東南アジア研究でしたので、農業史の私とは直接ご縁はなかったのですが、先生が私財を投じて作られた農耕文化研究振興会の活動を通じてご一緒させていただきました。先生は『稲の道』(1977 NHK)で、稲の起源としてアッサム・雲南説を提唱されました。そして京都大学東南アジア研究所長として『稲のアジア史』全3巻(1987 小学館)を編集され、また『農は万年、亀のごとし』(1996 小学館)などを次々と発表されて、農業の重要性を訴えられました。お酒もよくご一緒しましたが、農耕文化研究振興会の活動を君たち若いもんに頼むよと言われ、農学研究のみならず文学や音楽、芸術にまで話は及びました。地位やお金に拘泥しない生き方に、昔堅気の研究者の志の高さと情の深さを感じながらお付き合いさせていただいたことは、幸せな事でした。

 当日は、京都駅前の新阪急ホテルで、「老病あるいは老衰の個人的経験から」をお話しされ、その後10数名で和やかに懇談しました。最近のご様子は、毎日新聞2月22日付の「老いに学ぶ」で1面にわたりインタヴューが載せられています。「1月で90歳になりました。最近つくづく思うのは、老いとはようやくたどり着いた、煩わしさの少ない、誠に静謐で穏やかな境地、人生の佳境なのではないかということです。・・・この穏やかな境地にいるためには、ある種の孤独に耐えることが代償として必要なのではないでしょうか。」「それにつけても、気がかりなのはやはり日本の農業です。・・・稲作を基盤とする以外に国としての農業発展と食料の確保、民族の永続的な生存は考えられません。・・・50年後も100年後も、後代の人たちが生きる日本が、つつましく平安であることを心から願っています。そして、その国土が緑美しいことを。当然のことながら、あの世から眺めていたいと思います。」研究の道に入った限りは、かくあらんと思いました。いつまでとは言えませんが、これからの静謐なお暮しを祈っております。

 5月18日には、私の直接の恩師である京都大学農史ゼミの三好正喜先生の88歳の米寿(あともう少しらしいですが)と、荒木幹雄先生の傘寿(2年ほど過ぎてしまいましたが)のお祝いを京都の四条鴨川沿いでしました。お二人とも元気なご様子で、集まった14名と現況を語り合い、昔話に花が咲きました。三好先生は、最近『続・ドイツ農書の研究』(2012 北斗書房)を出版され、私たちを驚かされました。『ドイツ農書の研究』(1975 風間書房)から37年、地道に史料研究を続けてこられました。荒木先生は、『農業経営発達史の研究』(2005 ミネルヴァ書房)、『中国・近畿中山間地域の農業と担い手』(2012 昭和堂)を出版して、農業経営史学の確立に心血を注いでおられます。研究者に定年はないんだなと痛感させられます。私はこの10年ほどまともな研究が出来ておらず、不明を恥じるばかりです。怠けたらあかん!

 私が三好先生でいつも思い出すのは、あまりにあまりに厳しかった指導ぶりです。奈良県の近世・近代の史料調査をして、3、4か月に1回農史ゼミで報告するのですが、1週間くらい前から徹夜に近い状態で報告レジュメを作っていました。そしてゼミで1時間くらい必死で報告すると、「ふーん、君の言いたいことは、こんなことなの。それでどうなるの?」と5分くらいであっさりまとめられ、私は絶句して言葉が出ませんでした。決して威圧的というのではないのですが、史料操作の厳密性、論理構築の緻密性を徹底的に鍛えられました。そんな状態が、修士課程から就職するオーバードクター6年目まで約10年間続きました。ある時は、夢の中で先生にいじめられて泣いてしまい、目が覚めたらほんまに枕が濡れていました。論文作成に関しても、一字一句真っ赤になるまで修正させられました。当時はワープロ、パソコンなどなく、手書きでしたので、何回も書き直しを命じられました。そんな緊張感の中で揉まれたからこそ、現在まで研究にしがみついてこれたのかと、今になって感謝しています。
 私はこうして多くの尊敬できる恩師を持てたことを幸せに思っています。三橋時雄先生、人文研の飯沼二郎先生、同志社大学の岡光夫先生は、すでに15~20年ほど前に亡くなられました。冥土で見て下さってますか?現在お元気な恩師の先生方と少しでも語り合いながら、さらに研究の道を精進していく所存です。三好先生、荒木先生のご長寿をお祈りいたします。