学長・野風草だより

No.590

No.590 2015年5月10日(日)

農書を訪ねて大分・日田へ

 私たち近畿農書を読む会では、毎年農書や老農の故郷を訪ねて、5月の初夏に修学旅行をしています(野風草だよりNo.216363461)。今年は、少し遠出をして、大分県の日田(ひた)へ、江戸後期の著名な農学者である大蔵永常(1768~1861)を訪ねる旅です。群馬や東京からの遠路組を含めて、総勢14名、レンタカーを借りて、各所を回りました。
 初日は、広瀬淡窓(1782~1856)が主宰した江戸時代における最大規模の私塾「咸宜園」(かんぎえん)です。入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法」により、区別なく塾生を受け入れ、死後も受け継がれて明治30年(1897)に閉塾するまで、5000人もの門下生が学びました。「月旦評」という成績表があり、毎月、書・詩・文・句読の試験が行われて、最下級の無級から最上級の9級まで19級に別れて、徹底した実力主義と門下生の個性を尊重した教育が行われました。よく知られた塾生では、大村益次郎、高野長英、清浦奎吾などがいます。右の写真は、1781年に建てられた「秋風庵」で、彼の居宅です。広瀬淡窓の「咸宜園」と実家の「博多屋」を経営した実弟の九兵衛の話は、葉室麟の『霖雨』(2012 PHP研究所)に描かれています。

 その後、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている日田の豆田町を散策しました。天保から慶応年間に建てられた広瀬淡窓の生家、日田の代表的産業であった製蝋の草野本家(享保・明和期の建物 国指定重要文化財)、安政2年に開業して現在も営業している岩尾薬舗・日本丸館の3階建ての建物など、見飽きません。私はお土産に昔ながらのの日田黒塗下駄と小鹿田(おんだ)焼の茶碗2つ買いました。

 さて、肝心の大蔵永常ですが、捜し捜ししてやっと見つけたのが、右の写真です。「大蔵永常先生 生誕之地」の石碑が、立っているだけでした。

 泊まりはずずっと山奥まで入り、玖珠町の七福温泉の「宇戸の庄」という隠れ里の雰囲気のある宿でした。ぬる湯でゆっくりと疲れを癒し、きじ料理を堪能し、母屋を貸切でしたので、夜遅くまで焼酎を飲みながら語らいました。右の写真にあるように、大きな岩が「落ちそうで落ちない」。合格祈願に来る人もいるそうです。そして、こんこんと湧き出る地下水は超軟水でとてもおいしく、たまたま神戸から来ていた「水研究家」がここの水がコーヒーやお茶を飲むのには、全国で最高と言っていました。大自然に囲まれて、気持ちがのびのびと広がっていくのを実感しました。

 翌日は、平安時代末から宇佐神宮の荘園であった「田染荘(たしぶのしょう)小崎」を訪ねました。この地域も含めて、「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」として世界農業遺産に認定されています。朝日夕日観音が祀られている山の上に上り、耕地整理がされていない水田の様子や集落を眺めました。「荘園領主」(水田オーナー)を募集しており、御田植祭や収穫祭のイベント参加、農産物の宅配などをしているのは、おもしろいアイデアでした。

 地元の食材で作ったお昼弁当をいただき、日本一の石橋のまちである宇佐市院内町を見学して、最後は宇佐市の大分県立博物館で、江戸時代の国東地域の耕地開発と溜池築造・灌漑システムの講演をお聞きして、修学旅行を終えました。お世話いただいた方々、道連れの皆さんに感謝するばかりです。さて、来年はどこへ行こうか?