学長・野風草だより

No.636

No.636 2015年10月11日(日)

白馬ヒュッテ設立55周年を祝う

 白馬岳の途中、栂池自然公園の近くに大経大の山小屋、白馬ヒュッテがあるのは聞いていました。しかし、これまで訪ねたことがありませんでした。5年ごとに開かれているそうで、設立55周年の記念パーティーに招かれましたので、思い切って出かけました。名古屋から大町まで行き、山岳部OBで職員の藤原広太郎さん、学生部長の斉藤さんと合流して、山小屋へと向かいました。 写真では知っていましたが、赤いトタン屋根の立派な建物でした。中も2階建てになっていて、ゆっくりと泊ることができます。もちろん、トイレも付いていますよ。

 夕方からパーティーが始まりましたが、70代、60代、50代、そしてわずかにそれ以下の世代です。山岳部はこの10年ほど休部状態で、新しいOB・OGが入ってきていないのです。OB・OG組織である経稜会のメンバー総勢50人ほどが、にぎやかにお祝いしました。紅1点OGさんが盛り上げてくれます。奥さん同伴のグループもありますし、子供さんを連れてきている方もいます。和気あいあいとして、とても楽しい雰囲気でした。普段管理していただいている、降簱義道さんにもおいでいただき、お言葉をいただきました。降簱さんは、麓でホテルを経営されていますし、日本山岳ガイド協会の副会長もされています。本当にありがとうございます。

 段々とお酒も入ってきて、思い出話に花が咲きます。山小屋建設の時の苦労話は、終わりがありません。本当に懐かしそうに語られていました。学長が来たのは初めてだそうですが、顧問の大槻弘先生、本多三郎先生は来られています。私もよく存じ上げている先生でしたので、また話が盛り上がりました。創部65周年・山小屋設立50周年記念誌「大阪経済大学山岳部の歩み」(2011)によれば、昭和24年卒から平成11年卒まで活動を続けており、台湾遠征(1963)、ニュージーランド遠征(1965)、マッキンレー遠征(1978)を行っています。また、最近は山岳部OB・OGが交代で泊まり込み、夏の1週間~10日間、山小屋カミングウィークとして開放しているそうです。

 ここで山岳部部歌を紹介しましょう。1番「深雪深き山小屋に ベルグハイルの声高く 今年も友は集まりぬ この喜びを誰ぞ知る 友よ火を焚け白樺を」 5番「肩に喰い込むキスリング 胸まで潜るラッセルも すべて心の山日記 若き生命と情熱を ザイルに託す君と僕 忘るな友よいつまでも 忘るな友よいつまでも」(竹田吉文作詞 佐竹正義作曲)

 私は山小屋に泊れとしきりに勧められましたが、自信がありませんでしたので、近くのホテルに泊まりました。オリオン星座などを見るのを楽しみしていましたが、ホテルに移動した時は雨でしたので、今晩は酒を飲んで寝るしかないなと思い、グイグイスヤスヤ、朝でした。
 朝、窓を開けると、全山紅葉の素晴らしい景色でした。頂上のほうにもう雪がかぶっています。おおっ満足!!!でも、藤原君、斉藤君に聞くと、夜の満天の星がまじかに見れて降るようで、素晴らしかったとのこと・・・・

○山岳部OB藤原広太郎 山小屋創立55周年記念式典を実施して
 北アルプス標高1900メートル。栂池自然園に続く舗装道路を外れ、山道に入って急な道を1分も下ると、大阪経済大学白馬ヒュッテがあらわれる。昭和36年、大学や全学生の資金援助を受け、山岳部員が材料を全て担ぎ上げて作られた木造2階建て。右の写真のとおりです。今年で築55年。おんぼろの小屋をイメージされる方も多いでしょう。しかし、この間大きな補修を実施し、丈夫なコンクリートの基礎の上に古くなった床や壁を刷新、木製だった屋根は真っ赤なトタンに葺き替えられ、それはそれは立派なヒュッテなのです。夏季ですと50名は泊まれます。われわれ山岳部OB会のシンボルです。オールシーズン白馬岳登山の基地として岳人に利用されてきました。
 建立より5年ごとに記念式典を行い、55年。今年は、史上初めて学長を小屋に迎えて盛大に行われました。もちろん、小屋がなくとも創部から節目節目で式典は実施されたでしょう。しかし、それでは、普通であり、特別ではないのです。ヒュッテの存在は特別なのです。われわれのという枕詞がつく特別な存在なのです。一昨年から一定期間OBが小屋に常駐し、防腐剤塗、補修、草刈を交代で実施してきました。これからも行います。これは、大学の付属設備でありながら、卒業生が協働して維持管理している新しい形と言えなくもないと思います。
大学は、多くの卒業生を輩出し、みな世の中で活躍しています。同時に、卒業後も心のつながりを維持させうるヒュッテをも生み出したのです。一夜限りの会合を終え、昔を懐かしみ、未来に期待を抱き、これからも大学と卒業生のコミュニティーの場として、ヒュッテが生き続けることを祈りながら西と東に分かれました。