学長・野風草だより

No.734

No.734 2016年9月17日(土)

三浦景生の染めー白寿の軌跡

 9月15日の中秋の名月は、とてもきれいなものでした。近くの和菓子屋さんで月見団子を買ってきて、美味しくいただきながら、灯篭に灯りをともし、名月を愛でました。虫さんが鳴いていますが、わかるのはコオロギとカネタタキだけです。あと2種くらいいるようですが、わかりません。
 7月に京都岡崎の京都市美術館でダリ展を見た帰りに、三浦景生展のチラシがありました。白寿とはすごいもんだな、三浦景生(1916~2015)という名は聞いたこともないけど、9月に短い期間(9/6~9/18)しかしないみたいだから、忘れないようにとメモしておきました。バタバタしてて、あっ、もう終わりそうということで、15日に参りました。マイリマシタ・・・・17日にまた行きました。以前に思い出に残る美術展を4つ紹介しましたが(野風草だよりNo.714)、これは5つ目の記憶に残る美術展でした。

 「菜根譚」2007年の作品。6曲1隻(148㎝×360㎝)の2隻の大作です。右の写真の右上から野菜を紹介していきます。オクラ、人参、芽モヤシ、玉ねぎ、下にいってカリフラワー、生姜、しめじ、左隻へ移り独活(ウド)、さつま芋、牛蒡、トマト、左端に日野菜、聖護院大根、貝割菜、蓮根、上へ飛んで百合根、唐辛子、セロリ、白菜、豆の20種。瞬間的に、2000年に京都国立博物館で見た伊藤若冲の「果蔬涅槃図」を思い出しました。まあ、これと同じじゃないか。私はこの屏風の前で1時間ほど座って考えました。三浦景生は、「現代の若冲」じゃないやろか。

 横に下絵があり、いかに精密にデッサンしていたのかがわかります。この2007年作品は、1984年の「菜根譚」の改作です。その後、たくさんの野菜をテーマに染色をしています。それらの集大成が2007年作品ではないでしょうか。野菜の根、芽、葉が緑、赤、茶など色鮮やかに染められ、私は野菜たちが生きていこうとする力を感じました。そして、右上からずっと回っていき、真ん中大きく黒く空いています。ぐるぐると回っていく「いのちのまわし」とでも言えるのではないでしょうか。
 若冲ブームのきっかけを作った一人である辻惟雄は、縄文以来の日本美術の根底に流れる常数は、かざり・あそび・アニミズムの3つだと言います(『日本美術の歴史』2005 東大出版会)。宮島新一は、「優美さ」「ほどのよさ」が日本美術の目標であった(『2万年の日本絵画史』2011 青史出版)、山口晃は「こねくりポイントを見つけ出す力」を評価しています(『ヘンな日本美術史』2012 祥伝社)。少し角度を変えて技術史家の中岡哲郎は、古代以来の伝統として日本文化は「外来」に好奇の目を輝かしながら、「在来」が圧倒されることなくそれらを取り込んで新しい発展を開始したと言います(『近代技術の日本的展開』2013 朝日新聞出版)。三浦景生の染めは、こうした「かざり、あそび、好奇、こねくり、優美、アニミズム」などの日本美術の伝統に活かされ活かしながら、白寿までいのちある限り冒険を繰り返して、日本美術を真正面から革新していったと評価できるではないでしょうか。

 「たけのこ畠の虹」(1987)、「きゃべつ畠の虹」(1987)「同Ⅱ」(1989)、「芽四題(みょうがのめ、ねぎのなえ、はすのめ、ふきのとう)」(1993)、「セロリとシメジ図」(1993)、「しんしょうがとシメジ図」(1994)、「和根洋菜頌」(2007)などなど。私が農業史の研究しているせいもあり、牡丹や芥子、花菖蒲、蓮などの大ぶりの豪華な花の染色よりは、生き生きとした野菜類に惹かれてしまいます。とくに新芽、若苗など。

 精密なデッサンと小気味良いデフォルメ、全体の構図の大胆さ、色の鮮やかさ、素人ですのでうまく表現できませんが、私にとって今までにない世界を見せていただきました。会場では平成12年6月のNHK「土曜美の朝」の「染色家三浦景生 染めは冒険から」が放映されていましたので、制作方法や過程がよくわかりました。おもに下地には「白山紬」を使い、「布象嵌」という手法を開発したことなどを知りました。「技法というのは自分の言葉みたいなものであって、自由であってよい」、「染めという制限のなかでやることによって、かえって自由の幅が広がっていくように思う」などの自分の染め、冒険に対する考え方を述べていました。
 会場には、たくさんのデッサン類、下書き類、スケッチブック類、そして晩年に九谷焼の指導をされた副産物である陶板、陶筥などがたくさん展示されていました。数多のデッサン類が、ビデオでも流されていました。三浦芸術の神髄は、対象とまっすぐに向き合うデッサン、そして何ともいえぬアソビ心にあるのではないかと、勝手に思いました。

 三浦景生が展示の場とした「染・清流館」(大松株式会社)では、「三浦景生表紙絵展」を拝見しました。1980年代後半の雑誌の表紙絵として、野菜などの作品を載せていました。ここでも、新芽とか苗がよく出てきて、これから生きていこうとする「いのち」に関心を寄せていたのだなと思いました。そして、何となく野菜たちが可愛らしく感じてくるのです。くすっと笑いたくなるのです。何だろうな、この感覚。不遜ですが、三浦さんも半分は真摯に、半分は愛でながら笑いながら、デッサンしてたんやなかろうか。

 会場で京都新聞の別刷り(9月5日付)をもらったのですが、三浦景生にも習ったという日本画家の森田りえ子さんが、三浦の野菜は伊藤若冲に通じるようなものがあると言われていました。はあ、そうか私の素人感覚もまんざら間違ってなかったんだ・・・

 「虹」の付く作品がけっこうあります。何故、虹なんだろう?どこにも虹など染められていないのに。確かに端のほうに虹ではないが、カラフルな色があります。私は我慢しきれなくなって、美術館のスタッフの方に聞いてみました。すると、高谷光雄京都精華大学名誉教授を紹介していただきました。あつかましくも30分ほどお話を聞かせていただきました。高谷さんは三浦のお弟子さんです。

 高谷さんも先生にお聞きしたことがあるとかで、先生はただ何となく「虹」を感じたんだよなというお返事でしたとのこと。私などはついついタイトルの「意味」、全体から伝わってくるものなどを必死に「理解」しようしてしまいます。でも作者のアソビかもしれないし、ごく細部にだけ意味を持たせようとしたのかもしれないし、まあそれはそれでいいんじゃないのと思いました。高谷さんは、とくに先生のアソビ心が大切だと言われていました。
 旅行や温泉がお好きで、朝早く朝市に出かけてスケッチをしていたり、採れたての野菜などをいただくと嬉々としてデッサンをされていたそうです。ふだんは温和な先生でしたが、作品を批評される時は一言、二言ピシリと言われるのでとても怖かったとのこと。作品に対しては、一本筋を通す強い信念を持っておられた。「顔料」を使った時も美術界からは批判されたが、新しいものへ次々と挑戦されていった。歳を重ねる程に、充実されていき、白寿まで歩みを止めなかったのには、本当に感嘆するとのことでした。

 右の写真は、「白夜の白菜Ⅱ」(2014)です。最後の作品です。この展覧会は、三浦芸術を広く世間に知ってもらいたいということで、お弟子さんたち、関係者の皆さんが実行委員会を作って実現したとお聞きしました。こうしたすばらしい出会いを作っていただいた皆さま方に、心からの敬意と感謝を申し上げます。ありがとうございました。「三浦景生作品集」(1982 染織と生活社、1996 求龍堂)に続く「三浦景生全作品集」を期待しています。素人の妄言、お許しください。