学長・野風草だより

No.787

No.787 2017年4月18日(火)

教職の大経大を実現させた眞鍋一美先生を偲ぶ

 「教職の大経大」の実現目指して奮闘されてきた、大樟教育研究会の前会長で大樟会愛媛支部長の眞鍋一美先生が、4月16日に急逝されました。大学から連絡をいただき、あまりに突然のことで驚き、残念無念の気持ちで一杯になりました。岡山まで山陽新幹線、そこから予讃線で愛媛県の壬生川駅まで、17日の自宅でのお通夜、翌18日のセレモニホールでのお葬儀に駆けつけました。職員さん4名が参列してくださいました。こうして最後のご縁を結べたことは、ありがたいことでした。
 最近、大学関係でも、何人かがお亡くなりになっています。情報社会学部の高松亨先生は、長い闘病生活の後、この1月に亡くなられました。数日前に病院からお電話をいただきました。お通夜、お葬儀に参列して、同年輩だけに感極まりました。理事の坂手恭介さんが亡くなられたのは昨年6月でした。お葬儀は家族の方々で済まされていましたので、山口のご自宅までご焼香に伺いました。職員の谷下清貴さんが突然亡くなられたのは、昨年の8月でしたね。お葬儀などには伺えず心残りでしたが、後日奥様が学長室に訪ねてきてくださり、お悔やみの言葉を掛けることが出来たのがせめてものことでした。
 生者と死者、この世とあの世、現世と来世、此岸と彼岸は、つながっていると私は思っています。「おかげさま」「おたがいさま」の世界です。西田哲学の元学長の鈴木亨先生の言葉でいえば、「空包摂存在者・存在者逆接空」です。「つながる力。No.1」と私たちは言っていますが、それは現実、現世だけでのことではないのです。ひとつひとつのご縁を大切にして生きていくことにより、もっと深い「つながる力。」が生まれてくるのだろうと思います。

 先生は昭和18年のお生まれで、享年73歳、本学の32回卒業です。彼岸の先生とご縁を結ぶよすがに、最後にご持参下さったスイトピーとラナンキュラスの花を、押し花にして学長室に飾っています。事務局長室の女子職員さんが作って下さいました。以下は、お葬儀において、大学を代表して述べた弔辞です。なお、掲載にあたってはご遺族の了承をいただいております。

 長年にわたりお世話になりました眞鍋一美先生に、大学を代表してお別れの言葉を述べさせていただきます。眞鍋先生、本当に残念です。あまりに突然で、早すぎるやんか・・・先週の12日にお会いしたばかりでしたのに。地元のみかん、取れたばかりの名産のタラの芽とゼンマイを、ふるさとの味を楽しんでやと、わざわざ持ってきていただきました。そしてスイトピーとラナンキュラスのお花を。何でまた、とお聞きしたら、学長のブログを見てると日本の花しかないみたいやけん、お家で活けて華やかにしてとのことでした。
 重いのに、取れたばかりのメロンをわざわざ持ってきて頂いたこともありました。コーヒーを淹れて飲んでますとお話しすると、西条の「うちぬき水」はうまいんじゃけん、全国でも1、2位なんじゃと言われて、ぺットボトルに詰めて持ってきた頂いた時には、本当にびっくりしました。毎年暮れには、愛媛のみかんを贈っていただき、学長は大変やから年末くらいゆっくり休んでと言われました。
 眞鍋先生には細やかな心遣いをしていただき、いつも励ましてくださいました。本当にありがとうございました。

 先生とのお付き合いは、2009年に私が教務委員長をしている時からです。先生は、大樟教育研究会のお世話をされ、何とか大学でもっと小中高の教員になる学生を育てたいとの熱い気持ちをお持ちでした。しかし、いろいろな事情があって、それまで直接学生たちとコンタクトを取ることが出来ませんでした。そこで、とりあえず資格講座の一部を担当していただくという形で、眞鍋先生らに入っていただくことにしました。その後どんどん発展して、資格講座を離れて独自に多くの方々に面接の練習などをしていただくことになり、しばらくして現役学生が教員試験に合格するまでになりました。
 眞鍋先生、一人ではあかんで、複数、5名、いや2ケタいかんとなどと、毎年10月にある大樟教育研究会の総会で言っていました。そうした眞鍋先生らの努力が実を結び、昨年度は現役・既卒合わせて合格者が20名を越えるまでになりました。眞鍋先生、もう「教職の大経大」と言っても、恥ずかしくないですね(野風草だよりNo.109137288389431555580653757)。先生の蒔いた種が、大きく花開きました。本当にありがとうございました。

 時々、一緒に飲みましたね。故郷の伊予弁で、ほうじゃろ、ほやけんな、などとしゃべり合えるのは、とてもうれしかったです。7時過ぎには別れました。東予港からフェリーで来て、泊まらずに大阪南港からフェリーでお帰りの強行軍の船旅でした。いつもお体にはくれぐれも気を付けてくださいよと言ってお別れしましたが、相当に無理をさせていたのではないかと、今さらながら後悔しています。
 つい先日お別れした時も、僕は007の男じゃけんと言われましたので、ええっと聞き返しました。予讃線で壬生川駅に深夜の0時07分に着くんよと、笑って言われました。そんなユーモアを忘れない、いつも笑顔の先生でした。そんな無理を重ねながらも、大学のために、学生たちのために、ひたすら尽くしていただいたことに、心から感謝いたします。そんなこんなの無理がこのような突然のお別れになってしまったと思うと、慙愧の念に堪えません。奥様、ごめんなさい。

 大学の同窓会の愛媛支部にも、毎年呼んでいただきました。今治で、松山で、伊予三島で、八幡浜で、30名ほどが集まりにぎやかに交流したことは、私にとって大切な思い出です(野風草だよりNo.119240395488723)。先生はいつも、「愛媛が生んだおらが学長」と言って、陰に陽に励ましてくださいました。私の中学の同級生が卒業生であったり、私のゼミの教え子が愛媛の高校教員になっていたりして、絆はさらに深まりました。愛媛支部の皆さん、眞鍋先生、本当にありがとうございました。

 先生とのお付き合いは、わずか8年ほどでそんなに長くはありません。先生のプライベートな面は全く知りませんが、私のお付き合いの中では、いつもニコニコ笑顔の絶えない心やさしい方でした。良識のある私利私欲のない、不言実行の方でした。そして出しゃばったり威張ったりすることのない、陰徳、陰の徳を積まれた方でした。その陰徳の大きさが、眞鍋先生のまわりに、奥様、娘さん、お孫さんらのご家族をはじめとして、何重にも多くの方々を集めさせたのだと思います。
 先生の笑顔は、奥様はじめご遺族の方々の中にも生き続けることだろうと思います。本日、ご参列の皆さまの中にも、御遺影にあるような笑顔が生きていくでしょう。私の中にもいつまでも生きています。スイトピーとラナンキュラスを見るたびに思い出します。眞鍋先生の笑顔は、スイトピー、ラナンキュラス、ちょっと結びつかんけど・・・眞鍋先生、ありがとう。本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。 
 2017年4月18日 大阪経済大学 学長 德永光俊