学長・野風草だより

No.789

No.789 2017年4月29日(土)

卒業生のアーティスト倉貫徹さんと

 最初にちょっと変わったものを紹介します。右の写真をご覧ください。一番左は、オメガの腕時計です。2014年に94歳で亡くなった父親の形見です。竜頭(りゅうず)を回すアナログ時計で、おそらく70年ほど前の年代物です。今もちゃんと動きますが、、一日に約1分遅れますので、正確な時間が必要な時はつけません。青色の文鎮は、松山の中学の技術家庭の時間に作ったもので、今も愛用しています。ヤスリで一所懸命に削ったのを思い出します。その右の本つげの印鑑は、中学卒業の時の記念品で、これも現役です。今から50年前の代物です。
 その右の万年筆は、大阪の職人の手によるものです。黒色のセルロイドの万年筆「パラフブラック」は、加藤製作所のものです。2008年3月、新聞に紹介されていたので、ゼミで職人の研究をしていることもあり、すぐにネットで注文して買いました。白っぽい万年筆はアセチロイド「波の花」で、加藤製作所のあとを継いだ大西製作所のものです。2011年11月に阿倍野区昭和町まで行って購入しました。今はパソコンで文章を書くことが多いですが、手紙・はがきや毎日の日記はこの2本の万年筆で書いています。杉本圭彦の老眼鏡も気に入っています(野風草だよりNo.749)。

 右の写真のビジネスバッグは、2007年3月に経済学部長になった記念のつもりで、地下鉄北大路駅下がるにあった手造りで有名なボストン鞄店で買いました。鞄などに凝ったことはなかったのですが、新聞のチラシに半額処分とあって行ってみると、すばらしい鞄がずらっと並んでいるのです。半額とはいえ高かったので、この一つだけを買い、それ以来10年間ずっと愛用しています。最近、差し込み金具が壊れたので修理しました。
 パソコンなどどんどん更新されていき、身の回りでは使い捨てのものが多くなりましたが、一方でこうした愛着のある日用品を使い続けることは、私の生活に潤いを与えてくれます。「もの」には、物そのものの素材の美しや芸術性、長い歴史的蓄積があります。使う私には機能的で使いやすく、私なりの思い出が詰まっています。串田孫一の『文房具』(1978 白日社)、同『文房具52話』(1996 時事通信社)、同『文房具56話』(2001 ちくま文庫)の3冊を書庫から取り出してきました。読み返していると、あたりが暗くなっていました。18歳で故郷松山から出てきて以来、こうして左京区吉田界隈に45年間も住み続けてきたのは、やはり吉田地域の歴史や文化への何がしかの愛着、こだわりかもしれません。

 本学の卒業生でアーティストの倉貫徹さんとは、個展などに伺い付き合いが続いています(野風草だよりNo.362388492)。大学にも「W至円」と言う作品を寄贈していただき、D館に飾られています(野風草だよりNo.413)。京都で2人展を開くというので、出かけました。次のような紹介文がありました。

『没後35年 文承根 藤野登 倉貫徹 』
 同年代(1947~8年)の二人は、共に吉原治良を主柱とした具体美術協会の新人展などに出展していく中で親睦を深め、その後も親しい間柄として互いに影響しあいながら、各々独自の作風を築き上げて行きました。生まれつき内臓疾患を患っていた文承根は、1982年4月13日に34歳という若さで亡くなり、今も尚、様々な美術関係者や愛好家達に惜しまれる作家として、人々の記憶の中に存在しています。
 今年は文承根の享年から35年を迎え、また京都国立近代美術館で2007年に開催された『文承根+八木正 1973-83の仕事』から、ちょうど10年目に当たります。今回の展覧会では文承根、倉貫徹共に60年~70年代の作品を中心に、この節目の年に新たに発見された藤野登のソフトスカルプチャーを展示されます。
“畏友・文承根が34歳で死去した1982年4月13日から、文が生きた34年を超えた35年目、あの日、あの時、今の過去、過去の今がよみがえる。”  倉貫徹

 右の写真は、「アンモナイトの化石」(1975)です。そして白いのは、文承根(藤野登)の「ホワイト・クレパス」(1968)です。コメントの横の写真の2人の後ろの作品は、「燃やす池の場合」(1970)です。倉貫さんは、芸術というのは「発明・発見」であるとの考えで、宝石、写真など次々と新しい手法で挑戦を続けておられます。その原点が、これら1970年代の作品にあるとのお話でした。じっと作品の前に佇みます。2回、個展を見ました。当時は、関根伸夫・李禹煥・菅木志雄らによる「もの派」という美術運動があり、倉貫さんも影響を受けたとのことでした。「もの派」とは、1960年代末から70年代初頭にかけて現われた、「具体」と並ぶ戦後の日本美術史の重要動向です。主に木や石などの自然素材、紙や鉄材などニュートラルな素材をほぼ未加工のまま提示することで、主体と客体の分け隔てから自由に「もの」との関係を探ろうと試みた一連の作家を指します。
 現代美術をこれまで全く見たことがないので、倉貫さんには申し訳ないのですが、具体的な感想を持てませんでした。倉貫さんは、日本画では徳岡神泉、福田平八郎、奥村土牛などが好きで、作品の背後に宗教性を感じさせるとのことでした。それは、倉貫さんの学生時代の先生である鈴木亨博士の「響存哲学」に根ざしているとのことです。私も彼らの作品は大好きですので、いつか倉貫さんの作品も共感できるのではないかと思っています。
 帰りに倉貫さんと食事をしましたが、馴染みの蕎麦屋「大黒屋」さんで福田平八郎の狛犬の作品が飾られているのには、さすが京都と、驚かれていました。私は香川の直島にある李禹煥美術館を訪ねてみようと思います。

○倉貫徹さんのコメント
 1970年、20才、なんでもできると思っていた時代の作品。68才になる自分と、34才で亡くなった親友との2人展、違う個性のはずが何故かしっくり馴染んでいる。人は時代を感じるという。
 当時は反万博の意識で作品を作っていた。1970年の展示作品に写真を使った作品がある。燃やすー池の場合、という題名の作品、池にガソリンを満たしマッチで火をつけ池を燃やした行為を、写真で記録した。写真を反転し連続して7枚を展示。今では犯罪行為のような作品です。しかし、見た人はいい作品ですね、と言う人が多い。まだ写真作品の少ない時代、確かに時代状況が、シンプルに反映されているような気がして、自分でも気にいっている。物が生まれ、煙のように消えていく。
 50年近く作品を創り続けている。色々な作品を創り、変化し挑戦し続けている。しかし変化はしても、進化はしていないような気がする。美術は変化するが進化しない、と思う。例えば、見る目があれば、古美術と現代美術は変わらない。むしろ古美術のほうが、シンプルで深いような気もする。作品は良くなっているのか、深くなっているのか?いい作品とは?創れば作るほど悩みは尽きない。過去の作品を見るとそう思う。