学長・野風草だより

No.796

No.796 2017年5月14日(日)

墨線と余白のアート:加藤光峰展

 漢字の源流である甲骨文と金文に魅せられて独自の書の世界を切り拓かれてきた加藤光峰先生の個展「光峰プラタナス展」が、東京・麻布台のアメリカンクラブで開かれていましたので、お誘いを受けて出かけました。以前に京都で見たことがあり、親しくお話もさせていただきました(野風草だよりNo.690)。今回は主宰されている龜甲会の作品展ではなく、加藤先生の個展です。案内のパンフには次のように書かれていました。
 「書芸術の未踏の光る峰を目指し、模索し、弱冠22歳にして、中国古代文字(夏、殷、周の古代文字&金文)を作品のモチーフとする発想を得て、60有余年。この間、書道界の一匹狼として繊細な線の甲骨文と骨太な線の金文という両極端を駆使し、墨線と余白の織り成す独自の作品世界をライフワークとしてきました。今回の展覧会では、今日までの成果の一端である、小さな鈴懸の実を思わせる小品の数々をメインに展示します。」

 なぜ、プラタナスだろうと疑問でした。娘さんの美山美環さんにお聞きしても、まあとにかく来てみてくださいとのお返事。会場のアメリカンクラブのアプローチがプラタナス並木かなと勝手に想像したり。でも来てみると、ありません。写真のような展示風景です。右の写真は、「楽」という字です。この上部のリンクの形が、「鈴懸(プラタナス)の実」を思わせるところから、名付けたとのことでした。
 小品が30点ほど並べられていましたが、一つ一つが鈴懸(プラタナス)の実のようなものだということでしょうか。お生まれの北海道の室蘭は、プラタナスの並木が有名だったようです。私は一文字、二文字の金文の作品に強く惹かれました。私が立っている写真の後ろにあるのは、「生」です。解説には「生命の輝き 草の新芽の伸びる形」とあります。「生」の前にじっと立って眺めつづけていると、そのようなものが見えてくる感じがしてきます。地面からは生え出ずる、伸びようとする力を感じます。私は農業を研究していることもあり、この「生」が一番好きでした。「山」には「不動の信念 地表に突出する隆起の形」、「環」には「無限の時間が育んだ古代人の宝石 勾玉、正装の画龍点睛」と解説されています。これらのピッタリはまった解説は、加藤節子さんが書かれたものです。
 「生」「山」「環」など、古代人は目の前の実物を見て、想像力により象形的な文字をイメージしていき、そして変化しながら、現在の文字に定形化されました。そして定形化されたものから再び想像力によって、初源の古代文字世界へと立ち戻っていきます。加藤先生の想像力による作品によって、3000年、4000年の時空を超えさせてくれます。いいですね。楽しい鈴懸(プラタナス)の散歩道です。

 甲骨文字による何文字も書かれている作品には、遊び心を感じました。「福寿草」など、まるで春を喜んでいる人の姿のようです。

 当日、加藤先生はご病気のため、お会いすることが出来ませんでした。その代わりに美山さんから懇切丁寧な説明をしていただき、長い創作活動の裏側を知ることが出来ました。また事前にDVD「気と骨」スペシャルシリーズ(2017 倫理研究所)を送っていただいていましたので、創作の現場や考え方、龜甲会での指導の様子などを詳しく知ることが出来ました。「線」が一番大事であり、墨線と余白、黒と白のせめぎ合いに、60有余年、命を懸けてきたのです。

 私の右手から飛び出たものは、私の心から出てきたものであり、何も出なくなった時は書をやめる時だと言われ、壮烈な決意が伝わってきます。
 京都での偶然のお出会いでしたが、こうしてご縁が続いていることに心から感謝いたします。書やアートには全くの門外漢ですが、ただただいいな、美しいなと思ったり、感動をいただけることに幸せを感じます。加藤先生におかれましては、くれぐれもお体をご自愛くださり、さらなる書世界の創造の道を歩まれることをお祈りいたします。次は京都でお会いできるのを楽しみにしております。

余談:たまたま大沢在昌の『夜明けまで眠らない』(2016 双葉社)を読んでいると、「十一時を二分ほど過ぎたとき、ロシア大使館の先の細い路地から女がひとりででてくるのが見えた。路地の奥には「アメリカンクラブ」という、レストランやスポーツジムなどが入った、アメリカ人中心の会員制クラブがある。」(53頁)とありました。おおっ、その通り、加藤光峰展をやったところでした。