学長・野風草だより

No.810

No.810 2017年8月16日(水)

『蜜蜂と遠雷』・ミヅマアートギャラリー・『ピアノの森』

 本日は、五山の送り火です(野風草だよりNo.497627)。4年前に亡くなった両親、3年前に亡くなった兄と義姉を偲びながら、手を合わせて西方浄土へと祈りを捧げます。昨年は豪雨のため不完全燃焼でしたが、今年は晴れて赤々と燃えてくれました。
 故郷の松山の家で小さい頃、亡くなった兄と西瓜を食べて、口の中の種を思い切り庭に飛ばしあいこをしたのを思い出します。冷蔵庫もなかった時代やから、井戸水で冷やしていたんやろか?おふくろにザクッと切ってもらったのを、ガブリガブリと食べていました。1カ月くらいすると、庭のあちこちでスイカの芽がニョキニョキ出てきました。昔の夏のおやつと言えば、スイカに決まりでしたよね。
 スイカつくりの日本一の名人である山形県村山市の門脇栄悦さんから、今年も小玉・大玉、縞皮・黒皮、赤色・黄色、種有り・種無しと、いろんなスイカを送ってもらっていただきました。一口食べただけで、甘さが口の中いっぱいに広がります。「天然根上がり農法」「命根(いね)学校」の作り方は、スイカ本来の生命力で育てるのを基本として、必要以上の肥料は与えず、最低の農薬しか使いません。門脇さんとのお付き合いは、もう20年近くになります(德永『日本農法の天道』2000農文協を参照)。ありがたいことです。

 恩田陸の『蜜蜂と遠雷』(2016幻冬舎)が直木賞を受賞したというので(その後本屋大賞もでW受賞)、早速京都市の図書館の予約を入れました。1月に入れた段階ですでに700を超える予約数があり、読めたのは半年後の7月でした。よくぞ待ちました(買えばいいんやけど・・・)。借りると、2段組み500頁を一気読みしてしまいました。気に入ったのは、主人公の風間塵が音楽を室内から外へ連れ出すというモチーフでした。「本来、人間は自然の音の中に音楽を聴いていた。その聞き取ったものが譜面となり、曲となる。だが、風間塵の場合、曲を自然のほうに『還元』しているのだ。かつて我々が世界の中に聞き取った音楽を、再び世界に返している。」(同書490頁)「この、命の気配、命の予感。これを人は音楽と呼んできたのではなかろうか。恐らくこれこそが、音楽というものの真の姿ではなかろうか。」(同書506頁)。
 何となくクラシックを縁遠く感じていた問題点をズバリ指摘していました。「経済」と「経済学」もまた同じことが言えるのではないでしょうか。出来あがった譜面のような「経済学」の枠組みで、現実の「経済」を切り取ろうとしがちなのではないでしょうか。

 過日に池田学の作品「誕生」を紹介しましたが(野風草だよりNo.804)、東京に出かけた折、市ヶ谷の「ミヅマアートギャラリー」を訪ねました。「誕生」が再び展示されていたからです。やや暗い照明のなかで見ましたので、金沢の21世紀美術館での明るく広々とした白い壁面の時とは、また違った印象を持ちました。『The Birth of Rebirth』(2017 青幻舎)が発売されていて、52カ所にわたり細部の作者の意図が説明されていて、現物と比較しながら鑑賞できたのは良かったです。「誕生」の誕生過程がよくわかりました。ギャラリーで購入した本の中に池田学のサイン「学」があったのもうれしかったです。この同じサインが、作品の右端中央あたりに隠されているんですよね。池田学の「誕生」、是非どこかで実物の作品をご覧になってください。
 ミズマアートギャラリーは、私が感動した池田学はじめ山口晃(野風草だよりNo.809)や鴻池朋子(野風草だよりNo.774)などを世に出した有名なギャラリーです。ギャラリストの三潴末雄は、「我々が芸術表現において創造だと信じている行為は、もとをただせば自然界にあったもの、神がつくったとされるものを集めてリミックスして組み合わせ、他の何かに見立てながら最初とは違う状態にすることに過ぎない。しかし、リミックスにリミックスを重ねて、もとのものがわからないくらいに、人につくられたものが増えていくうちに、そのことが忘れられてしまったのだ。」と言う(三潴『アートにとって価値とは何か』(2014 幻冬舎 259~260頁)。この指摘は上の「音楽」と同じなのではないでしょうか。
 30年近く現代アートをギャラリストとして開拓してきた三潴は、90年代以降の現在は、新たな国風文化を練り上げていく時期に入っていると主張されています。「おそらく日本のアートの役割は、そうした人類芸術全体の多様性と普遍性の根源的な捉え直しの中で、非西洋のアニミズム的・多神教的な文化圏がゆるやかに共有してきた原理を明確化し、一神教的な原理に偏り過ぎている西洋近現代文明の在り方を、真に中立的な物へと拡張していくことにあるのだと思う。」(同書261頁)全く同感です。私が山口晃や鴻池朋子、池田学などに感じていたことは、このような事だったのではないかとふり返っています。

 音楽コンクールという事で、一色まことの漫画『ピアノの森』があることを知りました。これまた図書館に予約を入れましたが、京都市では1館しか所蔵しておらず、1か月2か月先になりそうでした。思い切って全26巻をアマゾンでセット購入し、2日間かけて一気読みしました。途中、涙腺が何度も緩みました。読み終えてから今なお、何度も素敵な場面を読み返しています。1998年から2015年まで、16年かけて完結したそうです。ストーリー、人物描写、音楽描写、そして絵やコマ割り、セリフの画面構成など、本当にすばらしい作品でした。60歳を過ぎてなお、こうして感動できる作品に出会えたことに、感謝です。5つ星を付けていた読書記録で、一つプラスの6つ星を付けました。一色まことの力量、見識に敬服します。一色さん、本当にありがとうございました。
 感動した場面は山ほどありましたが、上に紹介した二つとの関係で、一つだけ私の感動を紹介します。ショパンコンクールの第3次予選で主人公の一ノ瀬 海(いちのせ かい)が、ショパンの協奏曲第1番の第3楽章を弾きながら、感じていきます。「森のピアノは進化して・・・どこまでも伸びていく・・・何物にも遮られることなくどこまでも自由に・・・遠くへもっとずっと遠くまで・・・自由に世界中の天空を駆けめぐる・・・奏でる者も聞く者もすべてを解き放つ!ああ音楽は、音楽はこんなにも自由だ!!!自由だ!!」(第24巻より)。これが一色さんが伝えたかったメッセージの一つではないでしょうか。
 第25巻の巻末におまけで、一ノ瀬 海のインタヴューが6頁にわたり文章で掲載されています。「僕は演奏している時、いつも森に帰って、『森のピアノ』を弾いている感覚になるんです。そうすると自由になれる。でも、僕が教わっている阿字野(あじの)先生が、1年位前からかな・・・『森に帰らなくても弾けるよ』と言っていたのです。『さらに自由になれるよ』って。そして今日は、弾き終わった時、森の外へ飛び出して弾いている感覚にまで到達できた気がしました。本当に気持ちが良かった!」・・・そして「ポーランドは平地の国だ」「ショパンは平地の人なんだ」とわかって・・・「今日はポーランドの大地と大空いっぱいに音を響かせたかった」。
 漫画のワルシャワの細かい描写を見ていると、1998年10月に学会でポーランドのポツナム、ワルシャワ、ショパンの生家を訪ねたこと、レストランでChopinという銘柄のワインを飲んだことなどが思い出されてきます。
 音楽も現代アートも、そして大学での教育も研究、「自由と融和」を建学の精神に掲げる大阪経済大学もまた、このような心境をめざしていくべきなのではないかと痛感しました。一色まこと『森のピアノ』全26巻(講談社モーニングKC)、是非ご一読ください。