学長・野風草だより

No.819

No.819 2017年9月16日(土)

中国・大連と東京の旅

 9月13、14日と中国の大連にある東北財経大学を訪ねました。本学とは2001年以来、交流協定を結んでおり、これまでに5人の学生たちが留学しており、東北財経大学から20人の学生が来ています。さらに活発化させようと、大連を訪ねました。夏春玉学長を表敬訪問して、さらには国際交流担当の張語辞先生と今後の交流について、本学の閻立国際交流委員長、崎田さんを交えて和やかに懇談しました。本学ではこの6~7月に英語によるサマープログラムを開催しましたが(野風草だよりNo.803)、フランスと中国での訪問を通じて、さらに英語での講義を充実させる必要性を痛感しました。また海外へ出かけてのインターンシップ実習、反対に社会人や留学生を受け入れての大阪での企業実習など、新たに多彩な国際交流プログラムを開発していく必要があるでしょう。今後とも、国際交流を本学での重点課題として、取り組んでいきたいと思います。
 大連には、山本恒人名誉教授らと2001年12月に東北部の工業調査で来たことがあり、東北財経大学も訪れて研究交流をしたことがあります。あれから16年が経ち、大連はすっかり大都市に発展していました。住宅地はずっと外まで広がり、東港地区は新たに埋め立て開発されて、ヨーロッパ風の建物が何キロと延々と続き観光地として大変な賑わいでした。

 日本に帰ってきて、翌日卒業式に出席して(野風草だよりNo.817)、すぐに東京へ向かいました。深谷隆司元通産大臣には、経済学部の通商政策講座で毎年講義していただいていますが(野風草だよりNo.368)、毎回東京に来た時には寄って下さいと言われていました。翌16日に日立大樟会に出る予定でしたので、浅草雷門のご自宅をお訪ねしました。最近出版された『本当はすごい日本人』(幻冬舎 2017)を署名入りで頂戴しました。その後、両国のちゃんこ鍋屋さんで会食をしました。そこはなんと、元大関の増位山さんが経営しているお店で、なんとなんとかつての三保ヶ関部屋だったのです。土俵がそのまま残っており、その横でちゃんこ鍋を頂きました。壁には当時の木札が残っており、横綱・北の湖、大関・増位山、北天佑、把瑠都・・・とあります。ちょうど増位山さんがいて下さり、土俵で「そんな夕子にほれました」などを歌っていただきました。ちょっとやそっとでは経験できないひと時でした。深谷様に深く感謝いたします。

 翌日は、「高輪和橿館」で第31回の日立大樟会に出席しました。建物の名前は、社是である「龢(=和)すれば橿(=強)し」に因んでいます。中庭には、長崎市の「平和祈念像」の作者である人間国宝の北村西望のブロンズ像「創造の人」が置かれています。写真のように山下徹男会長の努力で作られた30周年の記念誌が配布され、1987年の第1回から30回までの記録がまとめられていました。これまで私も大阪であった25~28回と4回出席しています(野風草だよりNo.267)。12名が参加され、田中富三元会長もお元気で、親しくお話しさせていただきました。もうすぐ88歳の米寿を迎えられるそうで、おめでたいことです。出席するたびに最若手の徳重和寛さんから、学生を日立に就職させて下さいと言われていましたが、遂に後輩たちが入ってくれたようです。一安心です。

 夕方に東京から京都へ帰り、空手部の方4名と木屋町界隈で会食をしました。空手部の34期生(1964年入学)から39期生(1969年入学)の有志21名が、前日の15日に新大阪コロナホテルにおいて、39期生の蒲原勉さんが40数年ぶりにフランスから帰ってこられたのを機会に集まられたそうです(野風草だよりNo.346)。45年ぶり以上の再会でお互いすぐには顔を思い出せず少し距離感がありましたが、酒が入るにしたがい共通の思い出話しに花が咲き、皆当時の若き大阪経済大学空手道部員にもどり旧交を温める事ができ、一生忘れられない良い思い出となったとのことです。こうして学生時代のお付き合いが今も続くのは、いいですね。そして翌日蒲原さんはじめ4名と会食という事になった次第です。ちょうど私もフランスに行ったところでしたので、パリの実情をお聞きすることができました。蒲原さんご夫妻は今後長崎にお住まいとのこと、「日本」を堪能してください。