学長・野風草だより

No.836

No.836 2017年11月27日(月)

奈良のトマト作りの名人、逝く

 奈良県大和郡山市のトマト農家の堀内金義さんが亡くなられた。享年88歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 堀内さんとの付き合いは、1987年頃に大和郡山で地域の治水問題を調べたのがきっかけでした。その後、1993年4月から一緒に奈良県内の農業に関心のある方々と、「やまと農談会」を始めました。月に1回、いろいろなテーマで農談し、勉強させていただきました。私の農業の見方は、堀内さんとの付き合いの中で作り上げられたと言っても過言ではありません。
 2011年の4月まで18年ほど続けましたが、学長の仕事が忙しくなってやめざるを得ませんでした。その間何度も、田んぼでの米つくり、ハウスでのイチゴやトマトつくりなどを手伝わせていただきました。お土産にそれはそれは美味しい治道(はるみち)トマトをいただきました。以下、『週刊朝日百科』通巻660号(2004年9月)に書いたものから、堀内さんのトマトつくりを一部紹介します。
 下の画像は、この12月に『JA金融法務』(通巻566号)の巻頭言「展望室」に書いたものです。なお、『JA金融法務』へのアクセスは、こちらです。堀内さんと過ごした日々を思い出していました。

 奈良県大和郡山市の堀内金義・圭子さん夫婦は、1980年頃よりトマトの産直をはじめた。折しも農薬問題があり、「安全・安心・顔の見える産直」をキャッチフレーズに、減農薬で有機肥料・完熟堆肥を使い、節水栽培しながらトマトを樹で完熟させて糖度を高めた。ならコープとの産地見学会をやり消費者にハウスに来てもらい交流を深めた。台風でハウスが壊れた時、みんなが助けてくれたな。世話役活動をしながら、2000年には農家仲間、多数の消費者とともに治道トマトの20周年を無事祝うことが出来た。
 しかし、2000年前後からの急速な外国農産物の輸入拡大に、はたしてこのまま農業を続けられるか不安になる。安全だけなら、いまや輸入物でも十分ではないか。外国でも日本商社の技術指導で、糖度の高いトマトが簡単に作られる。たまたま守田志郎(1924~77)の『農業は農業である』(1971農文協)を読んだ。まさに目から鱗が落ちる感じがした。化学化・機械化・施設化を一所懸命すすめ、やがてその反省から減農薬・有機農業を行ってきたが、それは資本や都会の消費者からの、いわば外からの「農耕への指図」に従ってきただけではなかったのか。補助金漬けとなり、自ら工夫することを忘れたマニュアル頼み。
 守田により歴史的な見方を教えられ、農業を取り巻くからくりが少し見えてきた。70歳にもなって初めて気がつくとは、情けないやら、悔しいやら・・・。

 これまでは安直な農政批判をして、自己満足していただけだった。作り方自体を換えなければ。埼玉県熊谷市のトマト作りの名人を仲間と訪ねて、教えを乞うた。自分より年上の名人が、今もなお工夫を重ねているのを見て、今からでも遅くない。奈良盆地の風土に合ったトマト作りへ、新たな挑戦を始めよう。農業は金儲けだけじゃない。人間の成長と健康を守るための食べ物を作るのが農業だ。それなら、作物自身の持っている生命力が最大限発揮できる作り方をすべきではないのか。

 育苗は子育てと同じで、水や肥料を抑えてじっくり育てていく。畝は作らず不耕起栽培で土を堅く鎮圧し、地下の水分条件を一定に保つ。こうして、強い根が地下に張っていく。東西の一条植えで、根元まで光を届かす。さらには、単作・連作への反省から、トマトとエン麦、からし菜など根張りの違うものとの間作・混作を試みてみる。土は根が作るものだという、当たり前のことに気付いたからである。こうした輪作体系は、奈良盆地の伝統的農法だったことを思い出す。人のさかしらの「技」は災いの元。
 トマトの声が聞こえてくる。今まで見えなかったことが見えてくる。理想のトマトのイメージが浮かんでくる。マニュアル農業から離れて、自ら工夫を重ねるうちに、農業が楽しくなってきた。心を込める農業の面白さ、醍醐味を、何十年かぶりに取り戻した気持ちだ。カネ?後からついてくるさ。