学長・野風草だより

No.866

No.866 2018年5月13日(日)

石工を訪ねる熊本の旅

 5月12~13日、毎年行っている近畿農書を読む会で(野風草だよりNo.461590691など)、16名の参加で熊本を訪れました。まずはじめに見たのが、「通潤橋」です。山都町の轟川に架けられた単一アーチの石橋で、上部に3本の水道石管を通した水路橋として、世界的にも有名です。1854年に約1年8ヶ月かかって、肥後国種山村の種山石工たちによって作られました。東京の旧二重橋なども彼らの手になるものです。この水路により、約100haの新田が開発されました。まことに、見事なもので、当時の石造技術の高さに驚かされます。通潤橋の作り方、経緯などは、この橋を計画実現させた惣庄屋布田保之助によって、「通潤橋仕法書」(安政元年 1854)としてまとめられています(『日本農書全集』第65巻所収 農文協)。
 次に、緑川に架けられた「霊台橋」を見学しました。緑川流域には大小約60の石橋があり、1847年に作られた霊台橋は日本最大の単一アーチ橋です。橋の上で、大背伸びをしているのは私です。まことに見事な曲線美です。種山石工は、円周率πを知っており、それに基づき曲尺によるアーチ計算法を駆使して建築しました。1966年にバイパスが出来るまで、大型のバスやトラックが通行しており、堅牢な作りで200年間にわたり生活道路としての役割を担っていました。初夏の暖かい日で、山並みの新緑が目に沁みました。

 宿泊は、日奈久(ひなぐ)温泉の「金波楼」です。明治43年に作られた木造3階建てで、国の登録有形文化財に指定されています。庭も造りこまれていて、その時はつつじと山法師が咲いていました。玄関 の梁には、ツバメが巣を作って、飛び回っていました。外湯もあって、地域の方々が入りに来ていました。日奈久竹輪をかじりながら、ぶらぶらしました。
 泊まった部屋の床の間には、掛け軸が1本。よく見ると、日田の儒学の私塾・咸宜園の広瀬旭荘の書です。日田の咸宜園は、2015年に訪ねたことがあります(野風草だよりNo.590)。ちょうど葉室麟の『雨と詩人と落花と』(徳間書店 2018)を読んでいましたので、奇縁に驚きました。この本は、旭荘と後妻松子との夫婦愛を描いたものですが、本の題字は、2017年12月に急逝された葉室氏の奥様の揮毫です。

 翌日は、八代市昭和日進町にある松田神社を訪ねました(野風草だよりNo.47)。「昭和の農聖」と称えられた松田喜一(1887~1968)は、日本初の民間農業実習所を開きました。48年間にわたり、実習所で直接教育を受けた生徒は約3,600名、講演で講習を受けた者は約4万名にも及びます。松田農場があった跡地に松田神社は建てられています。前日には宇城市松橋町の生誕の地とお墓も訪ねました。
 その他、八代海干拓施設群として、干拓樋門や事業を推進した八代郡長の古城弥二郎のお墓などを見学しました。その後、「明治日本の産業革命遺産」に指定されている「三角(みすみ)西港」を訪ねました。いずれも石工の技術が明治まで受け継がれていたことがわかります。今回の熊本の旅は、熊本学園大学の土井浩嗣さんの万端のお世話で、楽しく有意義なものとなりました。