学長・野風草だより

No.867

No.867 2018年6月3日(日)

大樟会熊本支部を訪ねる水俣の旅

 6月2、3日と大樟会熊本支部の総会で、水俣を訪れました。平成2年に全国36番目の支部として創立され、熊本県内を回っています。ちょうど1年ほど前に、35期会の集まりで熊本をおとずれたことがあります(野風草だよりNo.799)。総会会場は湯の児温泉で、鍾乳洞が出来るくらい炭酸カルシウムが含まれていますが、いい温泉でした。北九州、大分、鹿児島支部からの参加もあり、16名でオール九州の雰囲気で和やかに行われました。
 2日は、卒業生の濱忍さんの車で案内していただきました。八代市内では、八代城主松井家ゆかりの松濱軒を訪れ、普通のよりやや大ぶりの肥後菖蒲を鑑賞しました。建物内では茶会が催されていました。近くの八代市立博物館未来の森ミュージアムでは、八代城主松井家伝来の能楽コレクション能面、能装束などが100点ほど展示されていました。能の曲目ごとに能面を変えていくのがよくわかりました。

 不知火海はべた凪でした。はるか向こうに天草の島々が見えます。この不知火海にかつては水俣病の病因であるメチル水銀が蓄積されていたのです。今回、水俣を訪れるということで、石牟礼道子さんの『苦海浄土』(1969 講談社)を読みました。

 「人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろか。うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に生まれ替わってきたがよか。うちゃもういっぺん、じいちゃんと舟で海にゆこうごたるもん。うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で。漁師の嫁ごになって天草から渡ってきたんじゃもん。うちゃぼんのうの深かけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる。」(154頁 漁婦坂上ゆきの声。じいちゃんは夫茂平のこと)

 2、3日と水俣病資料館の展示を見、3日午前中には語り部の永本賢二さんのお話を聞きました。1959年生まれの胎児性水俣病患者さんです。熊本県内の小学5年生が30名ほど聞いていました。幼い頃から現在までを質問に答える形ですすめられました。涙が流れてきます。認定のために奔走した父親はチッソ社員であり、永本さんは患者であり、葛藤しながら私は真ん中にいると言われました。胎児性水俣病患者さんで現在歩けるのは自分だけであり、いつまでも彼らの車椅子を押し続けたいとのことでした。なお、写真の撮影、掲載に関しては、水俣病資料館、永本賢二氏より、許可をいただいております。

 こうした貴重な経験が出来たことを、永本さん、資料館の皆さまに感謝いたします。熊本学園大学水俣学研究センターが発行する「水俣学ブックレット」No.2(2006)、原田正純『“負の遺産”から学ぶ』は、「水俣学」を提唱し、「弱者の立場に立つ」「徹底的に現場から学ぶ」を主張されています。私は今まで水俣病にちゃんと向き合ってこなかったことを恥じ入るばかりですが、遅まきながらも石牟礼道子さんの作品や原田正純氏の仕事などから、「水俣学」を学んでいきたいと思います。