学長・野風草だより

No.884

No.884 2018年8月1日(水)

初代学長黒正巌博士を訪ねる旅

 連日暑い日が続きます。さすがにちょっと疲れてきました。夏バテ。この夏を越せるだろうか、そんな弱気になります。朝起きると、赤い朝顔が咲いてくれています。種から蒔いて(野風草だよりNo.868)2ヵ月半、今日は五つも咲いてくれました。ありがとう。元気を頂いています。でも毎朝水遣りを忘れてはいけません。忘れるとすぐに萎れてしまいます。

 初代学長の黒正巌博士は(1895~1949)、岡山市の大多羅の布勢神社の中山丈五郎の三男として生まれました。没後70年近くがたち、思い出を語れる方々がほとんどいなくなってきました。息子さんの黒正清・明さん、孫の洋史さんと、ご存命のゆかりのある方々を訪ね歩く旅を始めました。
 倉敷紀念病院の創立者で名誉院長の赤木和彦さんは、黒正博士の又甥(甥っ子の子供)にあたられます。岡山医科専門学校の時は六高の官舎に寄宿し、岡山大学医学部に進学されました。黒正博士に随行して上洛していたそうです。紀念病院のホームに入院されていて車椅子でしたが、2時間にわたり思い出を語っていただくことができました。
 一言で言えば、一目ぼれする人で、みんなから好かれていた。誰彼なく分け隔てなく声をかけていたのが、印象に強く残っているとのことでした。後に岡山の豪商である黒正清吉氏のところへ養子に入りますが、黒正氏が六高の前で、通学してくる六高生を品定めしていたのは、有名な話です。その中で、黒正巌博士は毎日決まった時間に登校しきちんと挨拶をし、「おじさん、寒いけど大丈夫?」などと声をかけていたそうです。それが決め手となって養子に決めたとのことで、初耳でした。六高の官舎や山科の自宅には、いつもお客さんが来ていて、にぎわっていたそうです。
 翌日は、生家の大多羅の布勢神社を訪ねて参拝し、黒正博士夫妻の墓をお参りして、感謝の祈りを捧げました。こうして大阪経済大学が存続していられるのも、黒正博士のおかげです。かんかん照りの中を200段の階段を昇り降りして、ダウンしました。

 生き返らせてくれたのは、当然ながら冷たいビールでした。黒正博士が行きつけだったお寿司屋さんが岡山市内にありました。昭和21年開業で70年の伝統を誇る岡山市内でも有数の老舗です。建物はその時のままで、1枚板の銀杏のカウンター、手前には手をすすぐ水が流れ、まな板の前には刺し身包丁が光っています。ビールはもちろんですが、お寿司の美味しいこと。私は食道楽ではありませんが、私が今まで食べたお寿司の中で、一番美味しかったです。
 2代目の奥様と3代目の若主人から、いろいろと聞くことができました。実はここには、黒正博士の歌を書いた2種の湯呑茶碗があるのです。「ひたふるに わが思ふことなしてこそ 此の世に生ける ためしありけり 巌 岡山松寿司」、「こんにやくに うらも表もなかりけり 角は有れども けがはさすまじ 巌 岡山松」
 黒正博士が色紙に書いてくれた歌を、初代が京都の窯に頼んで作ってもらったのだそうです。人にあげたり割れたりして補充しながら、今もお店で使われているそうです。
 この「こんにやく」の歌の直筆が、本学の日本経済史研究所に所蔵されていました。黒正清さんが寄贈された遺品です。寺澤健治氏の手紙の中に、「昭和二十三年六月四日 黒正教授と語りて ふと尊き先生の人生観を 一篇の歌に・・・・之れ請ひて傍の用紙に認めらる」とあり、右の写真のように書かれていました。
 次から次へと黒正博士に関わる新しい発見があります。これからも黒正博士を訪ねる旅を続けて参ります。何か貴重な情報をお持ちの方、お知らせ下されば幸甚です。
 お世話になった黒正家の皆さまに感謝いたします。