学長・野風草だより

No.217

No.217 2012年5月16日(水)

幽玄なる瓜生山薪能の世界

春から夏へと季節が動いていきます。自宅近くの平安神宮の神苑を訪ねると、池には菖蒲や水連の花が咲き始めていました。まだ早いのですが、6月頃には見事な花景色になってるでしょう。

京都造形芸術大学では、毎年5月に瓜生山薪能を開催しています。今から38年前の結婚したての頃、北大路白川から東に入る山際に住んでましたので、瓜生山界隈はよく散歩していました。、昨年は、茂山あきら他「因幡堂」、九世観世銕之丞他「殺生石」の演目でしたが、残念ながら雨のため、春秋座での室内公演となりました。今年こそと思いましたが、ありがたいことに晴れあがりました。瓜生山の小高い所に作られた舞台は、見晴らしもよく、公演が始まる6時半前には西山に沈む夕日がとてもきれいでした。そして、星空へと変わっていきます。はじめに茂山あきら他による狂言「茶壺」があり、終わると火入れ式があって舞台前の2か所で薪が焚かれ、観世銕之丞他による能「百万」が演じられました。星空のもと、薪の炎と静かな所作に、幽玄な世界が広がっていきます。感動と眠気(すいません)が交錯します。造形大学、 関係者、演者の皆さま、ありがとうございました。写真は、ありません。

能の世界はよくわかりませんが、たまたま演者の観世銕之丞さんの『能のちから』 (青草書房 2012)を読んでいました。形のないものを伝承していくのが日本文化の特色であり、能はまさに生と死を見つめる祈りの芸能として伝承されてきた。その受け継ぐ苦悩と喜びがつぶさに語られています。活字人間の私には、こうして本を読む ことで芸能を理解しようとする悪癖があります。尺八の横山勝也の『竹と生きる』(音楽之友社 1998)、篠笛の寶山左衛門『横笛の魅力』(出版芸術社 2002)など、CDを聴きながら読んでると、邪道でしょうが、わかった気になってしまいます。でも、また鑑賞しに出かけようと思います。