学長・野風草だより

No.62

No.62 2011年3月30日(水)

「道理貫天地」の扇子で2010年度をパチリと〆る

2010年度も終りを迎えました。この「野風草だより」も5ヶ月で62回を数えました。1ヶ月に12回ほどですから、けっこうマジメに更新してきたわけです。そろそろ息切れかとご心配をおかけしていますが、何とか続いております。お読みいただいた皆さま、ありがとうございます。2010年度はこの記事で〆です。

黒正巌博士の「道理貫天地」の扇子が出来たので、お知らせします。外国からの来賓や研究交流した他大学の先生へのお土産に大経大らしいものをと思い、作成しました。他の大学でも図書館などで所蔵している美術品などを扇子に仕立てるところは、けっこうあるんです。写真の後ろ側が壁に架けられる飾り扇で、前があおげる夏扇子の2種で す。

桜の季節となってきました。京都の哲学の道の桜並木は行かれたことがありますか。この「哲学の道」の名づけ親が、黒正巌博士と言われているのをご存知ですか。数年前、ご子息の黒正清・明氏の協力を得て、哲学の道に写真のような看板を立てました。日本語だけでなく、大経大の先生に翻訳していただき、英語・中国語・ハングルも併記しています。以下は私が書いた看板の内容です。どこにあるか、探訪してください。

「哲学の道」は、明治23年に建設された琵琶湖疎水の支線沿いにある若王子橋から銀閣寺橋までの1.5キロほどの道をいい、桜並木の遊歩公園となっています。夏の夜には蛍が飛び交い、秋には紅葉が彩りを添えます。

「哲学の道」は、日本哲学で世界的に著名な京都大学教授西田幾多郎(1870~1945)が、研究や読書、思索の疲れを癒すために、毎日のように歩いたことで知られています。「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行なり」と、その心境を詠んだ歌碑が近くにあります。

名前の由来の詳細は明らかではありませんが、京都大学教授でのちに大阪経済大学初代学長を務めた黒正巌(1895~1949)が、ドイツに留学した時、ハイデルベルクにあった「哲学者の道 フィロゾーフェン・ウェヒ」を思い出し、昭和の初めころ名付けたと言われています。黒正巌は、百姓一揆の研究で有名な経済史学者であり、「道理は天地を貫く」の言葉を残しました。

当時は「哲学者の小径」と呼ばれていたらしく、近くに住む知識人・文人や住民たちの憩いの散歩道となっていました。昭和45年に京都市が遊歩公園として整備し、観光客でにぎわうようになり、「哲学の道」という呼び方が定着するようになりました。「日本の道 百選」にも「哲学の道」として登録されています。