研究関連

平等文博

人と人とが共に生きられるために、「共生」のあり方を考える 【平等文博】

共生について倫理学の視点から追及

倫理学とは、よりよい人間の生き方や人と人との関わり方について考える学問ですが、私はいま倫理学の視点から「共生」の問題に取り組んでいます。人が共に生きるとはどういうことか、そのためには何が必要なのか。今の社会は、人のつながりや絆の大切さが言われながら、現実には格差の拡大や諸個人の孤立化など、私たちが共に生きるための条件が大きく損なわれています。グローバリゼーションによって国の枠を超えた地球規模のつながりが広がる一方で、ナショナリズムが強くなっています。日本でも、ヘイトスピーチに象徴されるような、寛容性のない非常に排他的で攻撃的な傾向が強まっています。そうした状況に対して学問的な立場から何かしたいという強い思いがあります。

人はそれぞれに考え方も立場も利害も異なる存在であり、そこに共生の必要性と難しさがあります。また共生と言っても、実際には「空気を読む」などの同調行動に現れているような、共生の名の下に覆い隠された自己抑制の強要もあります。まずはお互いに異質でありかつ等価であると認めることが共生の大前提。そのうえで私たちが目指すべき共生とは何かについて、そのベースとなる概念から、もう一度考え直す必要があると思います。

現実に切り込める身近な哲学をめざす

倫理学は哲学の一分野ですが、哲学とはもともと、ソクラテス(古代ギリシャの哲学者)のように町に出てさまざまな問題について人々と対話し、自分たちの生活を見直す(吟味する)ものでした。私も研究室に閉じこもるのでなく、私たちが日常生活世界で直面する諸問題にそくして、もっと現実に切り込める哲学本来のあり方を目指しています。

また今後は、共生の倫理について考えを深めていくと共に、たとえば死刑制度の是非などについても共生の視点から考えてみたい。凶悪犯罪を生む社会を私たち自身がつくり支えているのかもしれませんから、決して他人事で済ましてはならないと思っています。

私が担当している科目は「現代の倫理」や「人間のセクシャリティ」「人として生きる倫理」などです。今の若い人たちは、自己責任の過剰なプレッシャーもあって、問題を自分のなかに抱え込んでしまう傾向があるように思います。そのために自分を追い詰めたり、他人に無関心になったりしますし、また自分に対する不安や他者への不信が生じると、攻撃的にふるまったり、逆に引きこもったりしてしまいます。自分が人と人とのつながりの中で生きており、共に生きることができれば決して無力な存在ではないことを知ってほしいと思います。