17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 35/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??銀賞?33の事故』つまりは『必然が手繰り寄せた偶然』となる。それは偶然だろうか。この矛盾にも似た疑問の答えを私は死ぬまで見出すことはないのだろう。ただひとつ、寿命だろうと必然だろうと、せいぜい抵抗して長生きしてやろうと思うのだ。やりたいことはまだまだあるし、何より、残された者の必然的な悲しみを私は知っているからだ。ニュースで報じられているアフガニスタンの状況。戦争が終わっても、人々の心に受けた傷はかなり深い。家計を支えるために、道のあちこちで物乞いをする子供たち。「お恵み下さい」止まっている車のドライバーに向かって幼い瞳が訴えていた。画面に写る子供たちの顔に笑顔はなかった。戦時下のストレスや恐怖のせいで未熟児がたくさん産まれたという。その中の一人である赤ちゃんが特集されていた。妊娠六ヶ月の時に産まれ、体重はわずか一キログラム。保育器はあるものの電力不足で十分に機能しない状態。薬も不足し、医療体制は誰が見ても最悪だった。母親は「この子のためだったら何でもしてあげたい。他にいい病院があるのならそこへ行く。今はこの病院がベストだから。」そう言ってわずかなお金で手に入れた血小板の点滴を赤ちゃんに打ってあげていた。日が経つにつれ赤ちゃんはやせていった。十分な栄養が与えられず、細い枝のようになった腕。さ骨がむき出しになった体。生後三十四日目、赤ちゃんはお母さんの腕の中で静かに息を引き取った。きっと戦争がなかったら子供たちは物乞いもせず学校で教育を受けられ、赤ちゃんは未熟児になることもなくこの世に生を受けられたはずです。子供たちの未来を奪った戦争。こうなることが子供たちの運命だったと言っていいのでしょうか。私は違うと思います。中学を卒業し、大阪に行って消防士になり、反対された結婚を無理矢理した父の兄。父は四人兄弟の末っ子。しかし、長女、次男は私の生まれる前に亡くなっている。だから父の兄弟は大阪にいる伯父だけ。その伯父さん。今、貴方の母が何しているのか知っていますか?体調がどうか気にならないんですか?私の祖母は痴呆症だ。見た感じ普通の人と変わりはない。しかし、本当は冬か夏かもわからず、わけのわからない事を急に言いだしたりする。それなのに私の伯父は祖母に電話一本よこさない。自分が一番偉そうに話をし、すぐに金で話をつけようとする。そんな伯父が去年、結婚式があるからと帰ってきた。母が久し振りに帰ってきた伯父とお茶でもと祖母を呼んだ。そして部屋から出て来た祖母は数年ぶりに見た我が子に向かって一言「おたく誰ですか?」と言った。痴呆が進んでいるのにショックを受けたが、それ以上に伯父のことを忘れているのがうれしかった。私は親が痴呆症になっても忘れられるような娘にはなりたくない。だから祖母や親を大切にしようと思う。私には車イスの彼氏がいます。私は彼と電車に乗って出かけるのが嫌いです。それは、駅の整備が整っていないからです。駅員さんから聞いたのですが、電車を使いたい時は乗りたい日時、乗りたい電車、降りたい駅を詳しく説明しなければなりません。それは電車の段差を補うためのスロープ準備や荷物用エレベーターの使用のための整備などがあるからです。以前、いきなり駅に行って電車を使おうとしたら駅員さんに怒られました。なぜ前もって言わなかったのか、こっちにも準備する時間がいるのだと。私は驚きました。駅員さんが言うことも分かります。しかしその言葉は障害者に電車を使うなと言っているようなものです。急に電車を使って出掛けなければいけないこともあるでしょう。気ままに電車一人旅というのもしたい人もいるでしょう。私が田舎の、まだ整備されていない駅を利用しているからそう思うんでしょうか。東京に行けばもっと使いやすい駅になっているのでしょうか。きっと違うはずです。私が前に旅行してきたいくつかの先進国とくらべると日本の福祉はむざんなありさまです。政府が作る法律や条例がどう障害者のことを思っているのでしょうか。障害者は全国にたくさんいます。整備がまばらになっていては困ります。一刻も早く本当に障害者のくらしやすい日本になることを願っています。齢十八、もはや結婚も就職もできる私福田朱美には、泣く子もせせら笑う苦悩があった。歯医者が怖い、のである。幼い頃からお世話になっているにもかかわらず、あまり歯医者の実態を知らないことも手伝っているのだろうが、とにかく痛いし後々まで響くし、総じて私は歯医者が苦手だった。まあ結局、知らないことが怖かったのだろう。ということで、私は医者に何かと聞いてみることにした。たちまち私の不安は半分解消した。歯に関しては科学はあてにならないということがわかったからである。虫歯になりたくなければ歯磨きをするしかないのだ。虫垂炎が薬で抑えられる時代になっても、虫歯は薬で治らないのだから。歯医者への恐怖はある形で決着がついた。しかし私にはあと半分の苦悩が残った。科学への落胆。まるで恋をするかのように科学を信じていた私には、虫歯はけずるしかないという科学の答えは十分熱が冷めるものだったのだ。学者方も頑張っているのだろう。が、虫歯の研究はどう考えても五十年前から進んでいないのだ。科学は信頼したい。だが私は歯科学に科学の限界を見てしまった。深い科学不信、歯医者から始まったこの考えに、最近私は苦悩させられている。私は今まで幾度か車イス体験と称する企画に参加してきました。学校や地域の施設で行われたこの企画は「足が不自由になってしまった障害者の人たちの生活の不便さを体感する」という意図のものでした。初めて企画に参加した時は、おもしろ半分で車イスに乗っていましたが、二度目になると楽しさはなくなっていました。ただ、段差を越えるのが難しかったのを覚えています。その後も二、三回そのような味けない体験をしました。そして今、車イス体験について普通のイスに座りながら考えたことがあります。車イスを使用している障害者の人と、体験をしている人との決定的な違いは何なのか。当然のことながら、毎日使っている人の方が車イスの使い方は上手でしょう。私が思うに一番大きな違いは、その後どうなるかということです。体験をしている人は普通に歩き回っています。しかし、足の不自由な人は明日も明後日も車イスの生活をしています。つまり、体験しているときには頭の中には五分後に歩いている自分がいます。「もしも、本当にこのまま歩けなくなったらどうしようか」そう思わなければ、そう思惑しなければ体験の意味は薄れます。車イスに乗らなくても「心の体験」はできます。そうすれば、障害者の人の気持ちを多少は理解できるのではないか。そんな安易なことを考えた今日この頃でした。富山県立となみ野高等学校(富山県)広田典子さん真のバリアフリーを目指して長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)平戸茉理奈さん戦争が奪ったもの大分県立佐伯豊南高等学校(大分県)廣瀬志帆さん親不孝者大阪女学院高等学校(大阪府)福田朱美さん苦悩石川県立小松高等学校(石川県)升井友貴さん心の体験