17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 45/76

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞?43私はよく悩む。対人関係や自分のこと。なぜ悩むのか。”退屈“だからだ。何もかも無難主義の日本にいる私は毎日に飽きている。自分で目標を見つける気力も起きなくなり、悩みにしか目を向けられなくなっていた。高二の冬、私は友達のある行動がきっかけで目の前が真っ暗になった。周りを見るのが怖かった。いじめではない。ただどうしようもなく積み重ねられた友達との確執を決定的に目の前に突き出され、過去のトラウマや心の奥に押し込めていた思いが溢れ出したのだ。止められなくて、友達とのことなんてもう関係なかった。それからは私の壊れてしまったものを一から組み立てる毎日が始まった。心の奥のものを全て吐き出し、何が間違っているのかを問い、自分らしい自分を取り戻した。その後は自分の中で色々なことが変わっていき、あまり悩まなくなった。退屈ではないのだ。肩の力が抜け、気兼ねなく話せる友達ができて、何にでも積極的に取り組むようになった。自分で変われたのである。今テレビ等で高校生の自殺や犯罪のニュースを聞くと、”まだ子供だ“と守られ、”もう大人だ“と突き放される身動きがとれない学校の指導が退屈なんだなと思う。私のように無気力な高校生も多いと思う。周りの大人たちは私たちを批判する前に、まず現代の高校生の心の中を深く知ってほしい。今の私。今までいろいろな人との出会いのおかげで、今の自分がいる。私はよく旧友に会う。そして、ほとんどの子に言われるのが「変わってないなぁ」とか他に、「なんか一緒に今いてて違和感ないわ」とかを言われる。昔の私と変わっていないらしい。自分自身、変わったとも思わない。だから、旧友にそう言われるのはうれしい。しかし、少し悲しいと思うこともある。まわりの子が変わったりしているのに、私だけが変わっていなくていいのかと思うこともある。でも、今「わざわざ変わらなくては!!」と思って変わらなくていいと思う。と、いうか変わる気はない。なぜなら、本来の私は、今の私。変わろうとして変われるわけでもないし、それで変わってしまったら本来の私ではなくなってしまうような気がする。だから、これから5年、10年たって旧友に会った時に「昔と変わってないなぁ」と言われていたいと思う。少しは変わってしまっても、今の私を大事にしながら、これからを生きていきたいと私は思う。時々、私をつくっているのは大半が”私“なんじゃないかって思うことがある。友達と話している時、人目につく所にいる時(例えば電車など)、学校で生活している時…様々な場面で”私“っていう本当の私を偽っている自分がいる。それは、友達に無理に合わせて笑っていたり、人目を気にして自分を良く見せようとしていたりする。なぜ”私“が必要なのか。あるがままの自分をさらけ出すのが怖いから、”私“がいることで同時に私を保っている部分があるからだと私は思っている。本当の私を出して、それが否定されたらきっと深く傷つく。でも”私“ならまた新たな”私“をつくって立ち直ることができると思う。つまり”私“は再生可能な存在なのだ。”私“がいることで傷つくことを恐れず前に進もうと思える。つまり”私“は私の中で必要な存在なのだ。確かに偽っている存在なのかもしれないけれど、例えば友達と話している時でも楽しいって思えるし、そんな中でなら自然に本当の私が出てくることもあるのだ。”私“も私の中の一部。あるがままの自分とは”私“を含めた存在といっていいのではないか。だから、私をつくっている大半が”私“でもそんな自分を受け入れたり、もっと好きになりたいと思う。私と”私“、この2つの存在がうまくかみあうことで、これからも自分を助けていってくれるのだろうと思う。自分とは何か、そんなこと考えてみたこともなかった。ただこうやって普通に生活している自分には、何かが欠けているように思えた。誰もが持っている『夢』というものが私にはなかったのだ。自分の信じる道に進みたいと思うのが本望ではあるが、それがどの道かわからず、夢というゴールを見つけられず、複雑な迷路をずっとさまよってた私。でもあくまでそれは今までの私。高校生になり、そういう考えも変わってきて、友達に支えられ、先生に支えられ今の私がいる。外見が変わったのではない、心が変わったのだ。誰一人として同じ夢を持つ人なんていない。それぞれの個性が輝いているのだ。そう思うと私にも輝くところがあると思えてきた。人は皆輝いている。ただその夢をつかむにはつらいこともたくさん乗り越えなければならない。でもそれも一つの通過点に過ぎない。夢への道は一つじゃない。いろんな分かれ道に迷うこともある。でももう戸惑ったりはしない。どんなに道が複雑でも目指すゴールは一つだから。夢を持っている人は決して自分独自の輝きを失わない。今までもこれからもずっと…。あきらめるなんて言わないで、君には君の道がある。私にも私の道がある。皆が支え変えてくれてここにいる今の私。夢に向かって歩んでいける今の私。それが、嘘、偽りない『真実ほんとうの私』。私の両親は、私が中学生の時に離婚した。でも私は「淋しい」とか「悲しい」なんてことはまったく思わなかった。ただ「あぁ、やっぱり…」と思っただけだった。きっとそんな風に思うことしかできなかったのは、私の中の両親という存在がちっぽけなものだったからなのかもしれない。でも私はその事について「自分は可哀相な子だ」なんてコトはあまり思わなかった。それはなぜかというと、私には「おばあちゃん」という大きな大きな心の支えとなる存在がいてくれたからだ。私の両親は共働きで、家で私と一緒に居られる時間なんてほとんどなかった。だから、学校での話や休みの日に買い物に行ったり旅行に行ったりしたコトなんて、ほとんどなかった。でも、おばあちゃんと一緒に住むようになって、私の生活や性格はガラリと変わった。家で、今日学校であったコトを話したり、休みの日には買い物に連れて行ってもらったり…。普通の人にとってあたり前のコトかもしれないけど、私にはそれが嬉しくてしょうがなかった。今の私があるのは全ておばあちゃんのおかげといっても大げさじゃないほど、私はおばあちゃんに感謝している。これから先もたくさん迷惑かけるけど、その分、私が大人になった時に、たくさん楽させてあげたい。だから、ずっとずっと長生きして、ずっとわたしの側にいてほしい。私には入院しているおじいちゃんがいます。私はおじいちゃんが好きです。といっても、もう何年も会っていません。入院している病院が遠い所にあるからです。私が幼い頃に同居していたのですが、期間も短かったので少しの記憶しかありません。でも、いろんな話をしたり、遊んでくれたりしたいい思い出ばかりが残っています。神戸市立須磨高等学校(兵庫県)石田裕加さん無題長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)山本朝子さん高校生を見る大人達へ大阪女学院高等学校(大阪府)山本千尋さん昔の私と今の私と未来の私立命館高等学校(京都府)山本麻実さん私と”私“兵庫県立姫路商業高等学校(兵庫県)渡絵里奈さん真実の私人とのふれあいの中で…鳥取県立鳥取商業高等学校(鳥取県)有田裕子さん無題ほんとう