17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージReport2003 page 60/76

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2003 の電子ブックに掲載されている60ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 58毎日が自分との戦いである。日々、葛藤している。自分という存在の在り方、否定されてしまえばおしまいである。だから自分で自分を築く。それがこんなにも難しいものだとは、近所の子供とままごとをして遊んでいたあの頃の私には想像もつかないことだろう。17歳になった今現在、まだ私は私を探し求めている。人間ってなんだろう、時にはこんな事まで考えてしまうことがある。私は、人の心は随分貧しくなったと思っている。その背後には確実に社会が関係していると思う。そして時代の変化と。「昔は良かった。」よくそんな言葉を年配の方から耳にするが、本当にそうだと思う。前向きに生きる人間には厄介な言葉かもしれないが。時代は本当に大きく変わってしまった。17歳の私がエラそうに言えることではないが、昔の皆の微笑みはどこに?優しい心はどこに?私たちの希望はどこに?全て、時代と共に消え去ってしまったのだろうか。今現在に全くないというわけではない。しかし大幅には失ってしまったといってよいだろう。私には夢があり希望がある。追い続けて生きていきたいと思っている。しかしふと現実に目を向けた時、打破され悲しい気分になることがある。私は寂しい。人間は寂しい…。いつか本当に全ての人々が分かりあえる日が来ればいいと思うのだが。そうすれば、皆一人一人が構築された人間で、もちろん私もそうであって、楽しい日々を送れると思う。私の願い、まずそれをかなえたい。体に何らかの不自由がある人が私たちと同じように生活するのは、とても大変です。最近は便利になってきていますが、まずは私たちの心がけが大切だと思います。私の町には県立の盲学校があります。夕方ぐらいになると、生徒さんたちが帰っている姿をよく目にします。その生徒さんが横断歩道を渡ろうとしていました。ところが、点字ブロックの上に人が乗っていたり、自転車の車輪がのっていたりと、盲目の人のための点字ブロックなのに、これでは意味がありません。小学校低学年の時、登校中に盲目の人が持っていた杖が私の足に当たりました。その時は、「何この人!」と思っていました。でも実は、私が悪かったのです。ごつごつとしている点字ブロックが面白くて、ついつい前も見ず点字ブロックの上を歩いていたからです。今思うと、何でそんなことをしたんだろうと思います。盲目の人は、自分の耳と感覚、そして杖と点字ブロックだけを頼って歩いているのです。私たちは、目という素晴らしいものを持っていますが、それらの人は何らかの理由で不自由になってしまったのです。もし、あの時杖ではなく体がぶつかっていたら、相手の人はけがをしていたかもしれません。私たちのちょっとした心がけが、体の不自由な人たちがもっともっと住みやすい世の中をつくる、第一歩なのかもしれません。今日、我々は世界中からありとあらゆる情報を入手することができる。世界の裏側で起きた事件が一瞬で我々の手元に届くのだ。その典型的な例が先のイラク戦争ではないだろうか。現地でのアメリカ軍等の進攻状態や、一般市民の生々しい死体等の画像が四六時中報道されていた。そんな映像を見ていて僕は心に痛みを感じると同時にある疑問を抱いた。その疑問というのは「嘘偽の世界」だ。普段我々は自らの目を通して脳を通り、現実の世界として認識する。しかし今回我々が見たものはテレビという「媒体」を通して見たものであり、何者かが作り出した「嘘偽の世界」ではないと否定はできないはずだ。つまり我々がよくテレビで目にする映像は、加工や編集された可能性があるということだ。だから僕はテレビという「媒体」を簡単に信用すべきでないと思う。その情報を真実か嘘かを判断する目がこれからは必要となっていくだろう。そしてその情報が自分にとって必要か不必要か取捨選択し、それからそれを有効活用していくことが重要だと僕は考える。ぼくは、高校2年生になる少し前から、ラーメン屋でバイトを始めた。ぼくは、「たかがバイトやから、そんな頑張らんでいいかな。」と甘い考えを持っていた。しかし、実際はそんなに甘くなかった。店長は、ぼくが失敗すると、怒って何度も注意し、一生懸命やっていても、できなければ怒られた。こんな毎日なので、店長のことが嫌になっていった。半年ぐらいたったある日、店長が休みでぼくはうかれていたせいか、あまり集中していなかった。あるお客さんが恐ろしい形相で入ってきた。さっきぼくがレジをした人だった。お金をもらいすぎていた。何度も謝ったが、許してもらえず、裏の駐車場で1時間近く怒鳴られた。そこへ店長が現れた。店長は一緒に謝ってくれ、最後には、ひざまずくことまでしてくれた。10分ぐらいで許してくれ、その人は帰っていった。その後、ぼくが店長に謝りに行くと、「いいよ、これが仕事やから。」と笑って言った。ぼくは、店長の仕事に対するひたむきさを改めて感じた。普段の厳しさも全て、「仕事」というものへの、ひたむきな思いからだった。このクレームのことがあってから、ぼくは店長を尊敬するようになった。この店長のおかげで、ぼくは仕事の難しさ、大変さを学んだ。ぼくもいずれ、就職することになる。そのときに、この経験は大きな糧になると思う。ぼくは店長に、心から感謝している。長崎で4歳の子が、12歳の中学一年生の男子に、誘拐された後、裸でビルの屋上から突き落とされる事件が起きた。少年法の改正や、その事件発生に先立つ多くの事件に対する警察の情報公開が問題となっている。少年は成績優秀な普通の生徒と報道されていた。学校の成績優秀性と、事件の関係がどうあるのか分からないが、学校教育が成績を重要視していることは間違いない。クラブ活動やボランティア活動は大事だといわれている。しかし、学校ではほとんどの時間が、知識伝達を中心とした授業であることは言うまでもない。小学校では生活の基本的な事がある程度うるさく指導されたが、中学生になると、成績が優秀な生徒には、問題がないとして触れようとしない。これは、高校でも同じだ。優秀な学生はゴーイングユアーウェイだ。私たち高校生がここまで成長するのに、学校はほとんど私たち自身のパーソナリティーと接触を持とうとしない。親も、忙しさに気を取られ、本音で激論しなければ、生きるべき指針も教えてくれない。その犯人がやったことが正当なこととは決して思わないけど、その孤独はどことなく理解できる気がする。変質的な性格は別として、彼の心の叫びが聞こえるような気がしてならない。最近携帯電話について考えたことがあります。私はつい最近まで、携帯電話が鳴ったら誰が隣にいてもでていました。しかしある出来事がきっかけで、それでいいのだろうかと考えるようになりました。たった今目の前にいる人よりも、電話やメールの遠くの友達を優先していていいのだろうか、と。この疑問を持つようになったのは、友達が言ったことがきっかけです。その日、私は友達の家にいました。友達と二人で話していると、友達の携帯電話が鳴りました。なぜか友達は携帯をとろうとしません。私が「でなくていいの?」と聞くと「今はあんた兵庫県立尼崎西高等学校(兵庫県)伊東圭太さんバイト大阪府立生野高等学校(大阪府)市口幸治さん真偽を判断する目大阪府立東住吉高等学校(大阪府)乾真由美さん学校教育の落とし穴滋賀県立北大津高等学校(滋賀県)今津紗弥香さん携帯電話のこと長崎市立長崎商業高等学校(長崎県)池内裕美子さん私たちの心がけ1つで…滋賀県立国際情報高等学校(滋賀県)粟田麻友美さん望み、願う