17歳からのメッセージReport2003

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17歳からのメッセージReport2003

17歳からのメッセージ?[受賞作品集]??奨励賞? 66私は外に出て日本の町は汚いなと思った。なぜならそこらじゅうにゴミは散乱しているし、電柱がたくさん立っていて、空を見ると電線がはりめぐらされていて、地面は黒いアスファルトばかり。そんなことは小さい頃は気にもとめていなかったけど、中学生になってやっといろんな世界のことを知るようになってからこの日本の町を見てそう思いはじめた。ある時、社会の授業で資料に載っていたシンガポールの町の写真と、その説明文を読んで驚いた。そこにはゴミを捨てたりツバをちょっとでも吐いて町を汚すようなことをすれば、罰金を取られると書いてあった。たしかにゴミ一つ落ちていなくてすごくきれいな国だからうらやましかったけれど、ゴミをほかすつもりもなく落としてしまってまた拾おうとしても罰金を取られるというのは気がかりだった。そのために警官が何人か見張っているらしいが、外に出ると常に監視されるのもどうかと思う。ある国はもちろんゴミが落ちていなく、その国の法律で町全体が白一色の建物ばかりでアスファルトもなく白いレンガがしきつめられ、町の中心には歴史的な建物がたっている塔があり、電線もなく清潔感を大事にする国もあった。こんな国があるのかと思ったら日本は汚すぎだなと思った。日本もきれいな町をつくるためにもっと動いてくれればいいのになと思った。推理小説を読むと分かる事ですが、疑問や不思議は、その答えが見出されるまで、人を誘い続けて止みません。不思議に関してじっとしていられないのは、それが人間の性だからでしょうか。その実、今日までに数多くの人々が、様々な不思議に挑んできました。僕もまた、将来を不思議の上にかけ、張り延ばしたいと夢見ています。「人々が長年にわたって努力したせいで、もう世界に不思議など残っていないではないか。」と言う人があるかもしれません。では、金が何故光を反射するか考えてみますか。「金は金属だから。」とあなたは答えます。では金属は何故光を反射しますか。「電子の配置のせいだろうか。」とあなたは答えます。しかし、電子は何故回っているのでしょう。……嫌らしい質問をしやがる……と思われるかもしれませんが、人間が結局、何をも完全には答えられないことの実証です。人は結局、何も答えられない。そして、永遠をかけても、不思議は無限にある――これは、歯がゆそうに悔しがるべき事でしょうか。僕は決してそう思いません。不思議に打たれる時、人は謙虚にされます。謙虚は、自由な想像を与えます。人が自由な想像をしていられるということは、すなわち、その人が生きているということです。人が一つの不思議として生き、不思議に飽くなき挑戦をし、打たれ、それぞれ一つの不思議である他人と、自分を愛する――生きる事は、不思議とは、本当に幸せです。平和とはいったいなんなのかを考えたが全然わからない。辞書を引いてみると、『心配・もめごとなどがなくなごやかで生活できる状態』と書かれている。平和な生活など今の地球上どこにもないと思う。でも大半の国民が平和ですごせていると勘違いしていると思う。そんな世界でいいのであろうか?僕はそんな世界は嫌だ。何が起こるかわからないし、急に戦争が始まって地球がなくなってしまうかもしれない。こんな世界でいいのであろうか?2001年には、アメリカとアフガニスタンの問題があったし、今年に入ってはイラク戦争が始まってしまった。アメリカは、正当防衛だと言ってアフガニスタンとイラクを攻撃した。そして、何の関係もない人々が次々と死んでいってしまったのだ。本当にアメリカがしたことは正当防衛だったのであろうか?本当に平和や安全のためにしたことであったのか疑問を抱く。攻撃をしなかったら死者がでなくて済んだかもしれない。そして、戦争が終わって平和になっただろうか?僕は平和になったとは思わない。戦争が起きて、海外に旅行をする人が減少した。それは、国民が日常生活に心配をかかえながら生活しているからだ。戦争が起きる以前より平和ではなくなった。地球から戦争やテロをなくしていき、徐々にでもいいから平和になってほしいと思う。だから、僕も地球上の国民全員が平和だと思えるような日を1日も早くつくれるように自分ができることをしていきたい。毎日がつまらない、つまらない、つまらない。私はさみしい人間だ。友人に対し、冷めたタイドをとっている。人に合わすことがとてもヘタだと私は思う。けれど自分は、おもしろくもないのに笑っている。私はそんな自分を見て冷めている。自分は私という感情が表に出るとき、自分という人間そのものがつまらない人間なのだと自覚する。少し吐き気がする。いつもそれが繰り返される。早く早く私という存在を消さないと!これは不安じゃない。ただの自分が私と共存できないのだ。私には本当の親友などいないのではないか。自分でも思うが、私はなんてつまらない人生なのだろう。あーくだらない、くだらない。私はすたれてきたのだろうか。一人になったとき、フと思う。私という感情が、ひねくれずに、愛したいと思う人ができるだろうか。私は世界中のものを好きでいたい、でもそれは、死ぬ時に思えば十分だ。こんなでかい地球の上で小っさい島の真ん中で自分はそこで生きていたいと思うからだ。つまらないイコール死にたいじゃない。生きてるから、つまらない感情がわきおこるんだ。私には欲しいという気持ちが欠落しているのかもしれない。プライドもない。欲しいとは違う、私はないものねだりなのかもしれない。私の母は、私が5つの時に亡くなりました。小さい頃の記憶がないため、私の中には母の存在というものがありませんでした。あえて思い出すのはお盆と命日の時ぐらいでした。そんな私が一年ぐらい前、強く母の存在を感じたことがありました。一年ぐらい前のある日、私はタンスの整理をしていました。普段なら手をつけないような、奥の方まで夢中で掃除をしていた私の目にあるものが飛び込んできました。それは「成長の記録」という1冊のノートでした。そのノートには母の小さな字で、生まれて間もない私の細かい行動や仕草がびっしり書いてありました。私は掃除をしていたことなどすっかり忘れ、そのノートを読みふけっていました。毎日欠かさずに私のちょっとした動きや、食事の時に笑った様子などが嬉しそうに書いてあり、そこには母の愛が強く感じられました。私の記憶には残っていないけれど、母は私をすごく想ってくれていたことが伝わってきました。そして、すごく誇らしい気分になりました。この出来事以来、私にとって母の存在がすごく身近になり、いつも見守られているような気がします。それまであまり存在がなかったため、余計に心強いです。これから母の命日の時には毎年、去年のように感謝の気持ちを込めてお墓参りをしたいと思います。今、日本人はアメリカやヨーロッパなどの諸外国の影響を受けて、日本人としての誇りや、日本古来の文化の大切さをだんだん忘れつつあると思います。その中でも、私が一番身近に感じていることは、私が住んでいる地域に昔から伝統的に伝わっている「神楽」と「巫女舞い」で岡山県立和気閑谷高等学校(岡山県)三木博文さん平和について大阪府立泉陽高等学校(大阪府)三浦大洋さん不思議明石市立明石商業高等学校(兵庫県)松本有加里さん汚い日本熊本県立熊本工業高等学校(熊本県)三森太雅さん日本人として鹿児島市立鹿児島女子高等学校(鹿児島県)南貴恵さん母の存在飯田女子高等学校(長野県)三島栄里子さん自分に対し私が思う