17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージReport2005 page 8/44

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17歳からのメッセージReport2005

17歳からのメッセージ?受賞作品集??金賞?寂しい時があった。その時ふっと感じたのは温もりだった。友達の手が私の手を握った時、私の手に彼女の優しさがじんわりと流れてきた気がして、初めて味わうような安心感が私の中に生まれたのである。気づくと泣いていた。そんな私の頭に手をのせてなぐさめてくれた友達を見て今度はまるで赤ちゃんのように声をあげて泣いた。私は今まで寂しくなるとぎゅっと握りこぶしを作っていた。そんな私にとって彼女の手はこの時以来あこがれの手となる。彼女が「はい。」と言って真っすぐあげる手は素直であり、シャーペンを持つ手は力強く、友達と笑いあう彼女が手を打つ姿は明るかった。ある日、彼女が笑いながらも目に涙をためているのが分かった。私はとっさに彼女の手を握った。本当に不思議なことだが、その時私は彼女に元気になってほしいと思う気持ちが手を通じて伝わっていく気がしたのだ。私は彼女がいつも元気で明るいわけではないことを知った。彼女も私もさみしい気持ちを知っているから、さみしい手を握れるんだと思う。私は今まで、早くこのさみしさから解放されたいと思っていた。けれど、その寂しさが分からないとまわりの悲しみにも気づけないと思う。そして、自分が辛い時に人がくれた愛を忘れてはいけないと思う。その優しさが励みになることを。これから私は、愛をたくさんもらい、たくさん愛を与えていきたい。そしてたくさんの手を握りたい。”拒食症“という現実を受け入れることができたのは本当につい最近のこと。中学生時代の私は陸上競技に生きていた。「もう少し体を絞るべきだな」という顧問の一言。その日から始めたダイエット。今考えると異常だった。一滴の水でも太る気がして怖かった。明らかに栄養不良の体にムチを打ち、いつも以上に部活に励んだ。周りからの心配の声には耳も貸さず体重体重…そのことばかり考え続けた――体の悲鳴も無視し続けた。二度の入院。監禁された毎日。脱け出したい。「何で私が?私は病気なんかじゃない、ただみんなより細いだけなのに」。病室では糖尿病の少女と隣になった。入退院を繰り返す彼女は目前に控えた自然学校を目指して前向きに治療に取り組んでいた。その姿に、本当の自分から目を逸らし、自己否定している私に気が付いた。自分が恥ずかしくなった。そして私は変わることができた。街で感じる他人の視線や冷やかな言葉。たまらなくつらい。以前の私なら家から一歩も出られなくなっていただろう。でも今は違う。「これが私なんだ!見たかったら見なよ!」。大勢の人に支えられ私はここまで強くなれた。自分自身と向き合えるようになった。”拒食症“には薬はない。いつ脱け出せるかも分からない。ただ自分を信じて焦らずゆっくり…昔もそしてこれからも私は”私“と生きていく――よろしくね――生まれてから十七年経った。いくつのことを覚えて、いくつのことを忘れてきただろう。全てのことは、思いだせない。思いだせたらなつかしい。うれしいだろうか。悲しいだろうか。どう思うのかな。小さい頃の記憶は、素敵。父をおどかすために、隠れた真っ暗なおしいれ。その頃の夢は、ドラえもんのようにおしいれをベッドにして寝ることだったはずだ。今は、父とも距離ができ、ドラえもんは、滅多に見ない。学校の帰り道、三つ葉を見つければ吸った。三つ葉のおしりから葉に向かって、筋を取り出しすもうをした。すもうに勝てば喜んだ。負ければ、悔しかった。夕方。特に初夏から真夏にかけての夕方。草のにおいの中を歩けば、とても窮屈になってしまう。もう戻れない自由すぎた頃をふり返る、私はおセンチ女子高生と化す。自由すぎた頃。今よりも精一杯、感情をフル動員して毎日を過ごしていた気がする。父をおどかして、楽しかったのだ。ドラえもんのように眠ることは、とても難しかったのだ。三つ葉を吸って、「うまい」と感じていたのだ。今、考えれば、多くの事は無駄なこと。でも、「今」の精一杯は、私を感傷に浸らせるほど、大きなものなのだ。無駄は財産なのかもしれない。「今」の精一杯を大事にしたい。もっと大人になった時、おセンチ社会人と化せるといいな「働く」とは何なのだろうか?ということを、かつて自分自身に問いかけてみたことがあった。なにげなく思いついただけなのだが、その具体的な答えが見つからなかった覚えがある。では、「働く」ということから思いつくものを考えてみる。まず思いつくのが、アルバイトや就職、会社といったキーワードからくる経済活動としての「働く」である。これについては、現在の社会において、自分たちの生活を豊かにするためには、とても重要なことだといえる。また、経済活動ということ以外にも、社会の一員だということや、生きがいとしてなどの側面もあるだろう。次に思いつくことは、ボランティア活動や、身近なところでは、家事という点での「働く」ということだ。こちらは、経済活動とは違い、収入というものはないが、仮に家事をしないとどうなるだろうか。おそらく生活は成り立たないだろう。このように考えると、こちらも同じぐらいに重要なことになるだろう。こうして、具体的な「働く」ということを、二つ考えてみた。この二つの「働く」は、考え方によっては、別ものなのかもしれない。だが、双方に共通することは、それによって得られる生きがいというものや、人生を豊かにするためのものだろう。しかし、これは問いの答えの一つにしかならないだろう。それでも、これが現在の僕自身の最善の答えだと信じたい。お花屋さん、ケーキ屋さん、パイロット、総理大臣!将来の夢を尋ねられるとキラキラした顔で答える幼い子供達。進路に悩み、就きたい職業も漠然としたまま受験戦争の中で必死になる十七歳の私達にも、そんな頃があった。はっきりした動機が無くても、その仕事について詳しい説明ができなくても、誰からも評価や言及をされずに生き生きと夢を思い描く…そんな頃が。当然の事のように就職活動を始める学生達や求人情報を調べる人々の中に、幼い頃と同じ夢を抱いている人はいるのだろうか。世間体や金銭的な理由で仕事を求める彼らの行動からは「とりあえず働かなくては」といった義務感のようなものさえ金賞8点?今までの自分、これからの自分?テーマ?1不二聖心女子学院高等学校(静岡県)関沢侑香さん私の手働く、ということ?テーマ?2神戸市立葺合高等学校(兵庫県)小林由布子さん「私」と向き合う熊本学園大学付属高等学校(熊本県)梶山ひろみさん無駄は財産である!!京都府立亀岡高等学校(京都府)谷川哲也さん長年の問い宮崎県立宮崎南高等学校(宮崎県)児玉伊代さん夢を持って働く、ということ6