17歳からのメッセージReport2012

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1517歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージなった。住む家が無くなっても、着る服が無くても、私には大切な家族がいる。家族がそばにいたから笑うことができた。私は辛く悲しいことに直面したが、温かい人々の心に触れることができた。そして知った。大切な家族が笑ってそばにいることこそが幸せなのだと。熊本学園大学付属高等学校(熊本県)矢津田好実さん移り変わり高校生になって、バス通学をするようになった今、窓ガラスの向こうの景色を眺めながら行くのが日課になっている。バス通学を始めて間もない頃、何の気もなく、ただボーっと外を見ていただけだった。並木のある道を通るとき、私はふと桃色の花をつけた桜の木を見て、「きれいだな。」と思い、爛漫の春を、バスの中から感じたのが始まりだった。それから一週間ほど経った頃、並木の桜が散り始めた。緑の葉がつきはじめて、木は少しの桜の花と、緑の葉で溢れていた。また、一週間、一週間と過ぎていく間に、桜は散って道に積もり、並木は新緑でいっぱいになった。春から夏へと、季節が変わっていく。そんな自然の動きを、私は目の当たりにした。今まで、気にもとめていなかったその移り変わりを見て、私は少しばかり嬉しさを感じた。これから、高校生活が続く中で、こうした動きに気づけたように、自らの身の回りの小さな変化に、すぐ気づけることができる人になりたいと思う。バスの車内から見る季節が変わっていくように、私が変わり、成長していく姿に気づいた時、私はまた嬉しさを感じるだろう。その時が、私は楽しみである。宮崎県立佐土原高等学校(宮崎県)黒江可称子さん命私の母は白血病である。いつも明るくて負けず嫌いで気が強い母が初めて弱音を吐いた。「辛い思いをするくらいなら死にたい。」副作用によって髪の毛は抜け落ち、毎日吐いているせいで体がどんどん小さくなっていくその姿が治療の辛さを物語っていたが、実際治療がどんな辛さなのか経験していない私は何も言えず、ただただ母の手を握っていた。母のいない家。「おかえり。」そんな言葉が返ってこない寂しささえも私の心を押し潰していた。母の存在がどれだけ大きかったか、改めて気付かされた。死にたいと思いながらも苦しい治療を乗り越え、今、母は私のそばで笑ってくれている。「おかえり。」ずっと聞きたくて仕方がなかった言葉が私を幸せにさせてくれた。今まで幾度となく死にたいと思っていた弱い自分はいつの間にか消えていた。これからたくさんの親孝行をしたいという気持ちが私を強くさせていたから。いつの日か、私が母を養えるような立派な大人になれた時、たくさんの事を母にさせてあげたいと思う。母の記憶に残るような素敵な思い出をたくさん作ってあげたいと思う。そして母の前で大きな声で言いたい。「これからもありがとう。」聖心ウルスラ学園高等学校(宮崎県)田中芹奈さん無題「考える前に行動力」。この一年が勝負の年である私が立てた目標の一つである。これまでは、自分でこうした方が良いのではないかと思うことがたくさんあったが、私の性格上なかなか行動に移せず、後からやっぱりあの時ああしていれば良かったと後悔してしまうことが多々あった。心の中で考えているだけで、実行できずに辛い思いをした経験もある。そんな経験から私はたくさんのことを学んだ。学んだことで、「考える前に行動力」という目標を立てた。考えているだけで、自ら行動をしなければ、自分自身も周りも何も変わらないと思う。自分自身が行動する意識を持ち、積極的に行動することによって、自然と周りも自分自身の考えも変わっていくと思う。今、目標達成に向けて、私は自分なりに行動することを意識し、以前より積極的に物事に取り組んでいる。一つは級長に自ら立候補したことだ。クラスの代表としての責任を持ち、みんなの模範となるように心掛けている。そして、ずっとしたいと思っていたことを始めることができた。「考える前に行動力」という目標を立てたことにより、今までの自分を少しずつ変えることができた。これからの自分は、何事にも意欲的に取り組み、自ら積極的に行動できる人でありたい。沖縄県立西原高等学校(沖縄県)新里マリナさんこれからの私私は小さい頃、祖母の勧めで琉球舞踏の教室に通うようになった。頑張って練習した踊りを人前で見せる事ができるようになり、いつのまにか琉舞を踊る事が大好きになっていた。中学生になった頃、私は反抗期を迎えた。琉舞の先生や親が何を言ってもイライラしかなく、大好きだった踊りの練習を怠け遊ぶようになった。そんな時、ホテルでの琉舞のアルバイトに参加してほしいと先生に言われて、お金も出るし良いと思い、軽い気持ちで舞台に立つ事になった。舞台が終わり、お客さんの見送りの為出口の方に立っていると、一人のおじいちゃんが目に涙を浮かべ、「とても上手だった。感動した。」と私に握手を求めてきた。とても恥ずかしかった。この舞台に軽い気持ちで立った事を、とても後悔した。こんなに人を感動させる事ができる舞台に立っておきながら、私は今まで何をしていたのだろう。反抗期を利用し、頑張る事や挑戦する事から逃げていただけではないのか。私はこの事をきっかけに自分を見つめ直した。そして、私にはとても大きな目標ができた。琉球舞踏の新人賞を取る事だ。とても難しく簡単には取れない賞だ。それでも私は挑戦したい。この賞を取り、もっと多くの舞台に立ち、たくさんの人を感動させる事ができる大きな人になりたいと、私は思う。銀賞