17歳からのメッセージReport2012

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2517歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ熊本学園大学付属高等学校(熊本県)松田結衣さんスタートライン桜の花びらが散り始めた。あこがれの制服に着替えて、あわてて家を飛び出す。この春、私は高校生になった。夢にまで見た、私の新しい物語が始まる。これまでの私は考え過ぎて、自分でブラックホールに落ちたり、悩んだりした。そんな、いろんな悩みや不安に、自分なりに決着をつけたときから、それまで通っていた線路沿いの長く続く道、列車のガタンガタン走る音、朝日とともにキラキラ眩しく、心地良いリズムで胸に刻まれ、新しい世界に見えてきた。今の私の日課は、お気に入りを見つけることだ。通学途中のケーキ屋さんから漂う甘いバニラの香り、教室の窓から見える校庭、学校中に響くチャイムの音、友達がいるテニスコート、サッカーグラウンドの緑の芝、ごく普通の毎日の中で、私のお気に入りはどんどん増えていく。私の心に残っている言葉がある。それは、「未来は変えられないが、過去は変わる」だ。始めは意味が分からなかったが、考えていくうちに私にとって特別な、意味のある言葉に思えた。未来は、まだなにも決まっていない、変わることはできないし、変える必要もない。しかし、明日には過去になってしまう今この瞬間にできることは、たくさんある。過去は、今日の私が作っていく。キラキラした思い出が、たくさん残るような毎日を過ごしていきたい。文徳高等学校(熊本県)福永健人さん無関心と先入観私は日本人が多文化共生というものに対して無関心すぎるのではないかと思う。島国ということもあり他の国に比べると国際的な関わりは少ないかもしれないが、それにしてももう少し興味を持つべきではないだろうか。例を挙げると、中国では消しゴムを拾ってもらった時に感謝の言葉を述べない。これは感謝の言葉を言うと距離を置いているように感じられるからだ。もちろんこれはある程度仲が良い者の間でのことであるが、これを聞いた大半の日本人は「礼儀知らずだ。」などと批判的な意見を述べる。中国には中国の文化があるし、日本には日本の文化がある。それを全て自国の考え方だけで否定するのはどうかと思う。またこういう意見が多く聞かれる理由の一つにメディアの流す情報を鵜呑みにしやすい日本人の国民性があると思う。深く理解しているわけでもないのに断片的な情報に左右されていては人として成長しないだろう。知りたいと思っている事柄を一面だけ見るのではなく多面的に見ることが大切であり、自分の器を大きくしておくことで突然の事態にも柔軟に対応できるように日頃から心がけておくことが必要だ。今社会で必要とされているのは集団での協調性はもちろんのことだが、このような広い視野を持つことだと思う。そしてそれは同時に多文化間のコミュニケーションにおいて不可欠なものだろう。大分県立臼杵商業高等学校(大分県)吉田未来さん二人のサイクル十七歳は一人よがりの時代である。反抗し、輝かしい将来を夢みる。私も同じだ。母とぶつかり、苛だちをつのらせ自分の世界に閉じこもる。日常茶飯事と言っても過言ではない。だけどそれはすべて一人よがりの、子供のわがままと変わりないと、ふと気付く時がやってくる。それはいつも自分の世界と隣あわせだ。それは朝おはよう、と顔をあわせて温かい朝食をだされた時。それはしわついた制服を綺麗に直してもらった時。すべては何気ない風景にすぎないが、私一人では気付けなかった事だ。学校に間にあう様にご飯を作れるだろうか。制服にまで気を使えるだろうか。これらを自問自答していくと、おのずと自分の考えが甘かったことが明らかになる。十七歳というのは結局まだ一人では立っていることは難しいのだ。だが、私の支えは時折こう言う。未来がいなかったら私はだめね。私はその言葉の意味が理解しかねる。娘の私は、母にとってのどんな支えになれているのだろう。迷惑ばかりかけているのに何で、と聞くと母は、私はもう学生じゃないけど、未来を見てたら学生の頃を思い出せて元気になれる。私はその時、私と母の間に小さなサイクルが循環しているのが見えた気がした。私も母の支えになれていたのだ。不完全な私でも誰かの支えになれるなら、精一杯努力しよう。こんな私でも誰かのためになれるなら。今日も二人のサイクルは廻る。沖縄県立石川高等学校(沖縄県)永山夏美さん天使のカード幼い頃、父のサイフの中で、可愛らしいカードを見つけました。黄色を背景に、ハートを持った天使が中央で微笑んでいるカードです。父には似合わぬ可愛らしさに、思わず手にとって「何のカード?」と聞くと、父は幼い私にも解りやすいように教えてくれました。「お父さんの死んだ後、体の使える所全部を人にあげるというカードなんだよ」と優しく笑ってそう言ったのです。私はそれを聞いた瞬間、可愛らしい天使がひどく醜悪なものに見えました。笑っている父にさえ得体の知れない恐怖を感じたのです。今考えてみると、死後に自分の臓器を他人の役に立たせたいという、父の考えと判断はとても立派なものです。しかし、私は今年家に届いた保険証カードの裏をあらためて見て、悩みました。そこには臓器提供意思表示の欄があったのです。幼い頃の感情と同じものが十七歳になった私によみがえりました。私のこの恐怖は、大人になれば何かちがうものに変わっていくのかもしれません。しかし、結局今の私は、提供しないとも、提供するとも決断できずにカードの裏は未記入のままです。ですが、いつか記入するときに、胸をはって父のように言えるよう自分の意志で納得できるまで考えていこうと思います。銀賞