17歳からのメッセージReport2012

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4117歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧17歳からのメッセージ栗花落(ついり)など、なかなかバラエティに富んだ名前もたくさんある。そして、これらは決して適当に名付けられたわけではない。中でも肘笠雨(ひじかさあめ)は、急に降り出した雨に対して、昔の人が肘をかざして着物の袖を傘のかわりにしたことから出来た言葉であり、洗車雨(せんしゃう)は、旧暦7月6日に降る雨を、彦星が織姫に会うために牛車を洗う水が雨になったと言われていたために、そう名付けられたという。素敵じゃないか!どうだろう。ここまで読むと、今降っている雨は一体何雨なのか気になってはこないだろうか。自分で名付けてみるのも面白いかもしれない。今日は何雨?(愛媛県)匿名希望死ぬ瞬間まで、生きていたい。小学5年生の時に、心臓の病気が見付かった私は、他の人より出来ることが少ない。運動部にも入ることができず、長距離走、長時間の縄とびも出来ない。それまでしていたことが、突然してはいけなくなるのは、全く実感がわかず、よく分からない恐怖だけが頭の中をぐるぐるまわっていた。なんとか高校生になれたが、やはり病気は治らない。そんな私の目標は、明確なものではないが、とにかく「今を精一杯生きること」である。いろんな所へ行って、たくさんの人に会って、いっぱいお話を聞いて、様々なものを見て、心で聴いて、感じて、味わって、心から笑いたい。心から泣きたい。いい人見付けて、結婚、出産。子どもには、私の両親からもらっている以上に愛情をそそぎたい。そして最期は、たくさんの家族に囲まれて、「あぁ、良かったな」って思いながら、そっと消えたい。その瞬間まで、死ぬ瞬間まで、生きていたい。私が死んでも、伝えたことは、生きていた証はきっと消えない。だから、生きるのはしんどくても、今を、生きていたい。5年間、病気と生きて、他の人より出来ることは少なくても、病気と生きてきたからこそ、分かったこともたくさんある。もし、周りに、病気で苦しんでいる人がいたなら、何も言わなくていいから、そばにいてあげて下さい。一緒に心から笑ってあげて下さい。それが私の、16年間の、答えであり、願いである。今の精一杯の思い。高知県立岡豊高等学校(高知県)下元翔さん地域との繋がり私の住んでいる町は、多分、近所での人と人との関わりが少ない。というよりも、関係を築く場そのものが少ないと思う。私の祖父母が住んでいる町は同じ県内にあるが、私の住んでいる町よりも、地域における人の繋がりが濃いと感じる。むしろその繋がりの濃さに違和感を感じる程だ。例えば、祭りなどの行事に参加すると、私の祖母は、たくさんの人々に声を掛けたり、掛けられたりする。こんな若い人とも話したりするのかと思ってしまうような人とも話している。さらに私が一人で歩いていると、「君は○○さんのところの孫だろう」と何度も声を掛けられ、そこからどんどん会話が弾む。お年寄りであったり、若者だったりするが、皆、私とは初対面でも、どんどん話し掛けてくれる。私は、こういう繋がりの濃さに違和感を感じながらも、その温かさがとても好きなのだ。私の住んでいる地域では、そのような温かい感じに欠けていると思う。両隣りと向かいの家以外の方とは、接したことが無いに等しい。こんな状態について考える時、東日本大震災で東北の人が見せた、繋がりというものを思い出す。私の住む地域に地震が起きた時、私達は繋がりのある行動が出来るのだろうか。とても不安である。地域とのつながりを深めるために、私は、まず挨拶から始めたいと思う。それから祖父母の住む地域のように、近所の人に声掛けを始めたい。高知市立高知商業高等学校(高知県)下元翼さん自分にウソをついたことはないですか?あなたは自分にウソをついたことはないですか。今、私たちが何気なく過ごしている日々の生活。私はこの中に自分にウソをついている人がたくさんいるように感じます。ある日、私はつり革に?まり電車で登校していました。その時、電車はとても混雑していて、座れる席はない状態でした。電車が駅で停車すると、一人のおばあちゃんが乗ってきました。私は、誰か席を譲ってあげないかと不安に思いながら見ていました。すると、一人の学生が「どうぞ。」と席を譲っていました。私はそれを見ると自分もうれしくなりました。しかし、その気持ちは一瞬だけでした。その次の駅で席を譲った学生の友達らしき二人の学生が乗ってきました。それからというもの、さっきのとても優しい学生が一変し、無理に席を自分のものにしようとしたり、荷物を他人が通れないほど真ん中に置いたりしたのでした。おそらく、友達に本当の自分の姿を見られて、バカにされると思ったのでしょう。実際に、私が中学生の時も、そのようなことで自分を無理に作っている人がいました。私は悲しくなりました。本当の自分を正直に表すことのできないこの時代。みなさんも自分をもう一度見つめ直してみて下さい。本当の優しい自分を素直に表現できる時代を作るには、一人ひとりが強くならなければなりません。そして、自分にウソをつかない人にならなくてはならないのです。西南女学院高等学校(福岡県)廣川海友さん優しい優しい、玉子焼高校2年生の春、私は特進クラスから普通クラスになった。突然の環境の変化に、私は大きく戸惑い、クラスにもなかなか馴染めずにいた。クラスがかわって最初の1週間、私は自分が思ったよりも落ちついた気持ちでいられたことに驚いた。しかし、2週間経ったある夜、家に帰ると堰を切ったように涙が溢れた。その時私は自分が一杯一杯になっていた奨励賞