17歳からのメッセージReport2014

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2517歳からのメッセージ2517歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧大好きなソフトボールは思いっきりできない。ピッチャーとして足腰はすごく重要なのに走りこみができない、強く踏みこむこともできないのだ。なので何度も挫折し、諦めようと思った。しかし、諦めることができなかった。それは、ソフトボールが大好きであり、なによりも仲間がいたからである。私の体のことを理解し、受け入れてくれた仲間だ。私があまり足を使わないように、「ピッチャー前の打球も捕るから。」と言ってくれたり、ベンチに戻るたびに体を冷やしてくれたり、荷物を持ってくれたり、そんな仲間がいなかったら、私はソフトボールを最後までできていなかっただろう。最後まで投げきらせてくれた仲間に感謝している。この弱い体を通して、人に支えられて乗り越えられるものがあることを知った。そして私は、これから人を支えられる人になりたいと思った。鶯谷高等学校(岐阜県)田中沙季さん先生になりたかった「知らなかったでしょ?私、中3のとき、学校でいじめられてたんだよ。」友人からの突然の告白に、私はただ驚くことしかできなかった。理由の一つに、私の通っていた中学校は平和な学校に見えていたことがある。極端な校則破りもなく、いじめや事件が起これば総力をあげて取り組んでいたようだった。また、友人は明るく公平な性格で、どちらかと言えばいじめの仲裁に入る人だった。だから、いじめを受けるような人ではないと思っていたからでもあった。いじめの原因は、学校の裏サイトにあった。友人曰く、うざいと思った人の名をあげて投票形式にし、一位になった人から順にいじめの対象となるという仕組みになっていて、友人は先に一位になってしまった子をかばったことで順位が上がったということだった。友人の話の通りならば、この中学校では裏でいくつものいじめがあったことになる。そして、その多くが友人のように辛い思いを耐えることによって、公になることはなかった。私は、この裏の出来事を知らなかったし、知ろうともしていなかった。表のいじめの解決に携わったことに満足し、解決に尽力して下さった先生を尊敬し、「あんな先生になりたい。」と今まで言い続けてきた。将来、「いじめがあるなんて知らなかった。」、なんて言い訳する大人にはなりたくない。考える機会をくれた友人の告白に感謝して、もう一度自分の進路を見つめ直してみようと思う。多治見西高等学校(岐阜県)早田有希さん先生からのメッセージ私は、どんなに嫌な出来事があってもそれを乗り越えようとする気持ちをもてる人間になりたいと考えている。このようなことを考えたのは、高校一年生のときにある先生が私にくれたメッセージがきっかけだ。私は、水泳が全く出来ない。なぜなら幼稚園の時にプールで遊んでいておぼれてしまい、そこからプールに入ることが怖くなってしまったからだ。そのため、小学校や中学校の水泳の時間は見学ばかりしていた。高校に入っても水泳の時間は泳げないことを理由に見学すればいいやと思っていた。しかし先生に見学することを伝えた時「そんなのはだめ。少しずつでもいいからちゃんと泳ぐぞ。」と言われた。それからは正直なところ大変つらい気持ちになった。水泳が始まるのが嫌で嫌で仕方がなかった。そんな時先生が「水泳怖いと思うけど、この三年間で克服しよう!どれだけ時間がかかってもいいから。壁を乗り越えてほしいと思っています。あらゆる壁が扉となる!」とメッセージを下さった。そこから私は、水泳を頑張ろうという気持ちになった。練習して今では25m泳ぎきれるようになった。クラスメイトの子たちも応援してくれてとても嬉しかった。この経験から、どんなにつらく、嫌なことがあってもその壁を乗り越えた先には喜びがあると感じた。愛知県立豊田東高等学校(愛知県)近藤凪さん夢に向かって「将来の夢は幼稚園の先生になること。」初めてそう思ったのは小学六年生のときだった。クラスに掲示する自己紹介カードの将来の夢の欄に何気なく書いたその職業。まさか今、その職業を本気で目指しているとは当時の私は思いもしなかっただろう。私には弟と妹がいて、小さなころから母が世話をするのを手伝っていた。おむつを替えてあげたり、沐浴のときはタオルでふいてあげたりと、とにかく何でも手伝いたがっていたことをよく覚えている。何だか自分がもう一人の母になったようで、世話をすることに楽しさと同時に子どもながらの達成感や、やりがいを感じていた。中学生になってからもずっとその夢は忘れていなかったが、高校受験を意識し始めた二年生のとき、急に迷い出した。私が本当にやりたいのはこの仕事なんだろうか。自分でも絶対にそうだと言いきれる自信がなかった。しかし、三年生の秋。地域ボランティアで幼稚園を訪問したとき、その迷いが一気に吹っきれ、やる気へと変わった。子どもの成長を優しく見守りサポートできる幼稚園教諭になりたいと自信をもって言えるようになった。そして現在。その夢を叶えられる大学に合格するためのスタートラインにいる。ここからどれだけ努力を重ねていけるか、私次第でいくらでも変わってくる。でももう迷いはない。来年の今、夢への切符をつかむために、こつこつと地道に頑張っていきたい。愛知県立名南工業高等学校(愛知県)大中雅仁さん母の喜ぶ顔自分が部活を終えて家に帰ってくると、母が夜ご飯を作って待ってくれている。ご飯を食べていると、学校や部活の事を聞いてくるのだが、僕は部活で疲れているので、たまに無視をする。