17歳からのメッセージReport2016

17歳からのメッセージReport2016 page 25/48

電子ブックを開く

このページは 17歳からのメッセージReport2016 の電子ブックに掲載されている25ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
17歳からのメッセージReport2016

17歳からのメッセージ2417歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧着き祖母の手に触れると、まだ少し体温が残っていました。私はその温もりが消えないように、その手を忘れないように擦りました。葬式の日、私は立っていられないほどに泣きました。祖母は私にとって母親のような存在でした。小さい頃から家で一人ぼっちだった私にとって、初めてできた家族らしい家族でした。祖母はもうこの世のどこにもいません。あの優しい手ももうどこにもありません。ですが、祖母との日々を胸に、頑張って生きていこうと思います。海のおかげ徳島県立小松島高等学校(徳島県)湯浅美咲さん私は暗い海の中。部活に進路に私生活に不安がつのっていく。そのたび私は沈む。沈みたくなくて、いろいろ頑張って努力してもがいてみる。しかしそれが裏目に出て、おもりとなって私を沈ませる。「私はもう浮かぶことは出来ないんだ。もう戻ることは出来ないんだ。」そう思い諦めた。すると楽になった。だんだんと「消えたい」という気持ちが私を襲ってきた。心残りは変われなかったこと。ただそれだけだった。だがその時、一人の男が現れた。沈んでいく私を浮かせようと必死になって支えてくれるのだ。初めは受け入れなかったが、しだいにその男のしつこい所や優しい所を見て受け入れてしまった。私はどんどん浮き始めた。そしてある時、男に対するこの気持ちが恋だと気づいた。その瞬間一気に暗い海から明るい海に変わった。見るものすべてが輝いて見えた。私は変われたのだ。現在私はその人と付き合っている。消えたいと思っていた私が、今となっては馬鹿らしく思える。たとえこの人と別れても、私はもう沈まないだろう。私は変われたのだから。時間が許すかぎり、この人と私はいようと思う。「海」という漢字が名前にはいっているあなたと。同性に恋をして、気づき。香川県立高松北高等学校(香川県)田中日向子さん女の子を好きになった。私は女だ。男に恋をしたこともある。恐らく私はバイセクシュアルなのだろう。バイセクシュアル―両性愛者。それが今の私だ。これまでの私は、同性愛について色々と考え公の場で行動もしてきた。高校二年生の時の、カナダのレズビアンカップルのもとにホームステイという経験が大きかったのだろう。自分が同性愛者を守らねばならない。そんな強迫観念じみた思いが私の中にあった。同性愛者はみんな苦しんでいる、私が助けなければ、と。しかし自分自身が同性愛者(正しくは両性愛者)になってはじめて「私同性愛者なのに苦しくないじゃん。」と気がついた。差別をしていたのは私だったのだ。思えば、差別されるから同性愛者はかわいそうという考えが私にはあった。それは私の思い込みにすぎないものだった。現に今の私に苦しみはない。苦しい人は苦しい、そうでない人はそうでない。それが真実だった。私は同性愛者を「苦しんでいる人」とカテゴライズし同情から擁護するとんでもない奴だったのだ。私は今までの自分の言動をひどく慙ざんき愧する。しかしその過去を消しはしない。反省と後悔と学んだことを胸に同性愛の擁護を続けるつもりだ。助けるなどという偉ぶった言葉はもう使わず、私に何かできるならという気もちを第一に抱いて。父の姿福岡県立香椎工業高等学校(福岡県)坂口光希さん僕は父親が嫌いだった。幼い頃ちょっとした事で父親と言い争いになり、日が暮れている中、外に連れだされて家の鍵をしめられた事がある。周りを見わたすとあたりは真っ暗で、帰る場所がないと思うと怖くなり、必死でドアを開けるように叫んだ。しばらくたつと、ドアの鍵が開く音がしてドアを開けるとそこには父の姿があった。しかし、その父の瞳は僕の事を見てはいなかった。その事を悟った僕は「ごめんなさい。」の一言も言う事ができなかった。その日以降僕は父の事を恐怖の対象として見るようになり、父との会話はなくなった。そんな日々が続く中ある日、僕と兄と父と母で川に遊びに行く事になった。もちろん、車の中で僕と父との会話はなかった。目的の川に着き、僕は上流の方から下流の方へ流されるという遊びをしていた。浮き輪などはしておらず、下流の方は海につながってはいたがその手前で近くにある石をつかみ、上流の方へ上がっていったため大丈夫だと思っていた。しかし、その浅はかな考えが間違いだった。いつものように上流の方から下流の方へ流され、海が近づいてきたため、近くにあった石をつかもうとした時、その石の側面にはコケがたくさんついており、うまくつかめずに流されてしまい、このまま海の方へ流されると思った瞬間、下流の石の上にいた父が手をのばして助けてくれた。この日あの時言えなかった「ごめんなさい。」を「ありがとう。」の言葉に変えて伝える事ができた。デジタルネイティブ世代福岡女学院高等学校(福岡県)北島由紀さん一月一日午前零時、母は私に「あけましておめでとう!今年も楽しい年にしようね。」と言った。私は「うん。」と答えながら、スマホの画面に映るキーボードをタップし友達に新年初のメールを送っていた。一通り送り終わりスマホの奥にいる母をチラッと見た。母はクッションを抱いてテレビを見ていた。母の静かな眼差しに一瞬ドキッとしたが、そのことに気づきたくなくて私の目はまたスマホへと逃げた。三十分が経ち、友達とのメールのやりとりも終わった。私はコップを洗っている母に聞こえるか分からないような小さな声で「おやすみ。」と告げ、ベッドへ向かった。母に私の声は届かなかった。しかし、その五分後に母は私の部屋へ入ってきた。私はなんだか母と顔を合わせたくなくて、寝たふりをした。すると