ブックタイトル17歳からのメッセージReport2018

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17歳からのメッセージReport2018

17歳からのメッセージ1617歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリときどき、目覚まし時計のアラーム音より大きな隠岐牛の鳴き声。帰る場所が同じだから「また明日。」の代替語句である「ただいま。」毎日ころころ変化する海の表情の見える通学路。二年目を迎えた隠岐島前での寮生活の一部である。私は中学三年の秋、「自分自身の価値観を広げたい」という意志で隠岐島前に〝島流し?される決意を固めた。いわゆる「島留学」である。十人十色どころではない、百八十人に上る一人一人の個性が輝き、時にぶつかり合いながらも共生していること。そんな多様な価値観を持つ仲間に囲まれる中で、私は何をどのように考え、行動するのか。その答えを導くことこそ、私の一生のテーマとなるだろう。ちなみに塾帰りに話すような「今日の面白かった人」などという何気ない会話から「本当の友達とは」のような深い対話へと発展することもある。その度に、自分と相手の持つ軸の異なりに気付かされるのだ。そんな時、軸を方向転換するのか、それとも補強して意見を主張するのか。私は、軸はしなやかであってほしいと思う。相手によって偽りの軸を作るのではなく、適応していくことにする。周囲に流されていた頃の自分に、メッセージを送ることはできない。だから、未来の自分のためにお気に入りの万年筆を持ち、今日を振り返る。安堵の表情で日記帳の一ページをめくる右手は軽やかだ。私は書道部だ。書道部と聞いて、「静かそう、退屈そう、あまり目立たない地味な部活。」そう思われるのなら、私は反論したい。私の学校の書道部は、とても明るく仲が良く、全然地味で◆共生から見引出すこと島根県立隠岐島前高等学校(島根県)山中瑞歩さん◆ジミーズ撤廃!岡山県立岡山東商業高等学校(岡山県)井上知穂さん私達がどれだけ愛情を持って接しても、お母さんには、負けてしまうのです。私を含め、これからお母さんになる人達、既にお母さんになっている人達。子どもは、親を選べません。だからこそ、「お母さんで良かった。」そう思ってもらえる様な親になりませんか?簡単なことではないかも知れません。まずは、子どもに負けないくらい大きな愛で、子どもと遊んであげてください。子どもはずっと、お母さんを待っています。「あっ、まただ。」通りすがる人々がこっちを見てコソコソしている。その理由が私には分かる。私の兄は化粧をする。髪色も明るくとても目立つのだ。中学生になったばかりの私はそれが嫌だった。一緒に出かければ必ず誰かに変な視線を向けられる。兄の性別を、同級生に冗談混じりで聞かれた時は、兄を責めたい気持ちになった。兄のことを「恥ずかしい」とさえ思ったこともある。こんな考えが変わったのは、それから一年程たった頃だろう。兄と一緒に出かけている時、また変な視線を向けられた。その視線に兄は気付いているのだろうか。もし気付いていたらかわいそうだ。そんなことが頭に浮かんでいる中、兄を見て私は驚いた。その視線には気付いている。しかしとても堂々としていた。私はその時、自分の心の中にあった何かがスーッと消えた。なぜ私が気にしているんだと馬鹿らしく思えた。かわいそうと思う方がかわいそうなんだと気付けた。今の私は兄を尊敬している。そして前より好きになれた。昔の自分を思い出すと、なんてしょうもないんだと悲しい残念な気持ちになる。私の兄は化粧をする。それは兄の趣味だ。周りに何と思われようが、変な視線を向けられようが、自分の好きなことを全面公開している。そんな兄を誇りに思う。素敵だ。私も兄のようなキラキラした人間になりたい。◆お兄ちゃんの趣味鳥取県立鳥取商業高等学校(鳥取県)小谷愛星さん朝鮮人だ。そして私の学校の人に「故郷はどこですか?」と聞くと、誰一人例外なく、朝鮮半島にある自身の本籍地を答える。もちろん私も私の本籍地である、慶尚南道釜山市と答える。だが、辞典で「故郷」と引いてみると「生まれ育った場所」と出てくる。つまり、一般的には私の故郷は「大阪」であり、「慶尚南道釜山市」ではないのだ。ではなぜ私たち在日朝鮮人は朝鮮半島にある本籍地を故郷と呼ぶのだろうか?もちろんそこにはいろいろな歴史的背景があるしそれは決して忘れてはいけないことである。しかし、私が思うに故郷とはいつも心の中で想う場所と思う。なので私たちは行ったことがなくても自分たちのルーツである本籍地を想って自分の故郷というのだと思う。でも私はここで一つ意見を提起したい。それは、私たちの生まれ育った日本の地を大切にしようということだ。なぜなら私たちが実際育った地は日本だし、やはり育った地というのは死ぬ時まで、いつまでも心の中に残り続けるものだからだ。だから私はこれからも二つの故郷を胸に、生きていきたいと思う。私は、夜間高校に通いながら、昼間は子どもを一時的に預かる、託児所で勤務しています。託児所では、生後三ヶ月?小学校入学前の子どもを、親が仕事している間、預かります。中には、色々な事情を抱えている家族があり、父親とは面会禁止と言う子どもも居ます。四年間、託児所で勤務していて思ったのは、どんな親でも、子どもにとっては唯一無二の存在だ、と言う事です。朝、お別れする時にさっさと行ってしまうお母さんを子どもは、迎えに来てくれるのを今か今かと待っています。授乳中に携帯を触っているお母さんの顔を、じっと見ています。お母さんの匂いがするタオルを抱き締めながら、寝る子どもも居ます。◆お母さん天理高等学校第二部(奈良県)深谷洋江さん