ブックタイトル17歳からのメッセージReport2018

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17歳からのメッセージReport2018

17歳からのメッセージ1817歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ私は音楽が好きだ。演奏することも、聴くことも好きだ。こんなに音楽が好きになったのは、あるきっかけがあったからだ。小学四年生のとき、母が入院した。幼かった私は、「入院=死ぬ」と考えてしまっていた。「ごめんね、ごめんね。」母は私に、ずっとそう言ってた。私は母と離れることが嫌で少しでも近くに母を感じていたかったから、「これに日記を毎日書いてね。」とノートとペンを買ってあげた。母が入院し、父と兄と三人の生活が始まった。学校から家に帰ってきて「ただいま!」と言っても、シーンとしていた。毎晩毎晩、一人になると涙が止まらなかった。そんなとき、一曲の歌が私を支えてくれた。「涙が出ても、その分強くなることができる」というような歌詞に、とても励まされた。悲しくなったら、この歌を聴いて元気をもらった。何ヶ月かすると、母は元気になり家に帰ってきた。母が書いていた日記を読んでみると、母も毎晩のように涙を流していたことを知った。私はその歌を母に教えた。すると母もその歌を気に入ってくれた。歌にはたくさんの気持ちが込められていることに気づいた私は、今までよりも歌が好きになった。そして自分が演奏するときには、聴いてくださる人に気持ちが少しでも伝わるようにと考えるようになれた。もしかしたら今日涙を流したくなるかもしれない。そのときは、この曲を思い出そう。その涙の分だけ強くなれるかもよ、私。私は母と弟の三人で暮らしています。父は単身赴任中で年に数回帰ってきます。父は喋る事が大好きな人なので、帰ってくるなり仕事や生活の近況やニュースに対する意見を私達に面白く、そして長く話してくれます。毎回の事ですが、◆きっかけはあの日宮崎県立延岡商業高等学校(宮崎県)出水優衣さん◆「父の話をします。」聖心ウルスラ学園高等学校(宮崎県)田中美妃さんつまり、別の視点で考えると「普通」や「当たり前」はまったく別のものになり、認識の差があるかもしれない言葉だということだ。多様な受け取り方があり、自分の「当たり前」が「当たり前」ではないかも知れないという意識を持ち続けたい。世界中を旅して自分の目で世界の今を知りたい。世界は新しいものが次々と生まれ変化していく。私は多様性を受け入れて違いを理解したい。昨年の夏、私はモンゴルでゲルにホームステイし遊牧民の暮らしを体験した。それは循環型のエコな暮らしだった。モンゴルは社会主義から資本主義に変換した。そのため、急に都市化が進んだ。また、地球温暖化のために砂漠化し、伝統的な遊牧民の暮らしを捨ててウランバートルのスラム街に移り住む人が増加している。世界中でも少数民族や先住民が伝統的な暮らしを持続できず、言語や文化が消滅していっている。モンゴルの遊牧民の暮らしは、自然に根ざす生き方を維持する文化である。日本の現代文明は、人間が自然から切り離されても暮らしていけるしくみをつくりあげてきた。自然と調和された暮らしは忘れ去られ、画一的な文化が世界に広まってしまった。遊牧民の暮らしから見えたものは、資源の利用を未来の視点から考え直すこと。伝統的な生き方と現代文明のバランスが大切なことだ。私は異文化理解から自分自身の生活を見直すことができた。モンゴルの遥か彼方までの大草原と青空、馬が走る音、羊の鳴き声。私は時間を忘れ本当に地球に生きていると実感した。世界の国々の人々が多様性を認め合う社会を未来に残していきたい。◆世界は違うからこそおもしろい聖和女子学院高等学校(長崎県)大浦向日葵さんるが、私は正直ショックだった。人と関わらずに半日を楽しめたこと、そのことに全く気づかなかったこと。私は怖くなった。セルフレジ、商品検索端末、ネット予約。私が今まで便利だと思っていたものはいつの間にか人と関わることを無くしていた。店員が小走りで探してくれる商品と商品検索端末から示されたレシート。どちらも同じものを指しているのに違う。商品検索端末は「すみません。ありがとうございます。」という機会を与えてくれない。人工知能やロボット、セルフサービスが増加して行く中で人とのつながりはより社会に必要になると思う。SNSでつながる人は自分の求めている人だ。もしくは自分を求めている人。つまりお互いにとって都合のいい人である。一方、見ず知らずの人が身近でしてくれることはどんどん少なくなっている。私は知り合いとのつながりだけでなく、身近な他人とのつながりも大切にしたいと思う。「普通」や「当たり前」という言葉は難しい言葉だと思う。誰もが使う言葉だがその意味が同じとは限らない。仕事をしている人からすれば夏休みがないのが「普通」で「当たり前」の事だが小学生や中学生からしたら夏休みがあるのが「普通」で、「当たり前」のことで、ない方が異常なことである。小学校で企業のように夏休みをなくしてみたらどうだろう。きっとブーイングの嵐だ。それほど社会人の「普通」と学生の「普通」は違う。なのに言葉としては同じだ。我が家ではカレーの肉といえばウインナーだがそれを友達に言うとおかしいと言われる。カレーの肉が牛肉の家ではそれが「普通」で牛肉の入っているカレーをわざわざビーフカレーとは言わずに「普通」のカレーと言うだろう。家のカレーの肉が鶏の人に聞けば、鶏肉入りのカレーをチキンカレーとは言わず「普通」のカレーだと言うだろう。そしてその二人がカレーの話をした時、お互いのカレーの肉が違うとは気付かないだろう。◆「普通」の難しさつくば開成福岡高等学校(福岡県)内田璃音さん