ブックタイトル17歳からのメッセージReport2018

ページ
20/48

このページは 17歳からのメッセージReport2018 の電子ブックに掲載されている20ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

17歳からのメッセージReport2018

17歳からのメッセージ1917歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ結局みんな、ないものねだりなのだ。見た目のコンプレックスがある人はよく考えてほしい。それはないものねだりではないだろうか。私たちは唯一無二の、選ばれた存在だとは思わないか。その日は久々に自転車に乗っていた。友達と遊んだ帰り道で、家に帰ったら見るテレビのことを考えていた。通りかかった橋の上に、三歳くらいの女の子と、その子の母親が立っていた。すると、その女の子が「きれいだねー。」と言った。何がきれいなのだろう。そう思って私は、その子が見ている方向を向いた。するとそこには真っ赤な夕日があった。確かにきれいだと思った瞬間、その女の子が私に、「こんにちは。」と声をかけてきた。私は驚いて、慌てて挨拶を返した。その子の母親も、一瞬娘に驚いた表情を見せてから私に挨拶をした。その橋を渡りきる時、再び後ろから「きれいだね。」という声が聞こえてきて、私ももう一度夕日を見た。さっきよりも夕日は「きれい」で、少し切なくて、私は夕日から目が離せなくなった。いつからこんな風に夕日を見なくなったのだろう。なんだか、大切な物を失ったように思えた。きれいな物をきれいだと言って、人に挨拶をして、そんな当たり前のことをできなくなっていた自分がひどく嫌に思えた。嫌なところだけ大人になってしまったような気がした。夕日に背を向けて走る。だが、橋を渡る前とは違うことを考えながら。今度、母と散歩に行こう。その時はきっと、夕日を見て心から「きれいだね。」と言って笑うのだ。◆橋を渡って見る鹿児島県立加治木高等学校(鹿児島県)皆越友希さん姿勢で、「辛くてもいつか笑うことのできる日は来るのだ。」と一二〇〇年前の私と同じ「ひと」が教えてくれている。秀才でありながら、父との諍いさかいにより低い位に置かれた清輔。私の経験する悲しみなんかより遥かに失望の多い人生だったであろう。だが、そんな「ながらへば」であるからこそ私はこの歌に元気をもらえる。長い歴史をも生き抜いてきた言葉には、たった三十一文字であろうとも、深い「こころ」が込められている。恋心、季節の流れを哀れむ心。失望の心に、希望の心。たかが短歌、されど短歌。大切な人が落ち込んでいたらぜひ、この魔法の言葉を言ってあげてほしい。「ながらえば」だよ、と。私の黒目はみんなよりも小さい。そう気がついたのはいつ頃だっただろうか。この目はあまりいい印象を与えない。よく知らない人から怖いと思われることにはもう慣れた。まわりの子と自分が違うと気がついてからは、大きな黒目になりたくてたまらなかった。友達によると、私のような、黒目が上の方に偏っている目のことを三さんぱくがん白眼というらしい。私はこの目が好きではなかった。写真を撮ると白目が異様に目立つし、性能の良くないプリクラ機は、私の白目だけを大きくする。盛れない、つまり可愛く撮れないし、違和感を感じる。私は毎回、盛ることに必死だ。ところが私の友達は私の目を見て羨ましいと言った。どうやら好きな芸能人が三白眼らしい。もちろん私は芸能人のように整った顔立ちではないけれど、初めてこの目を肯定されてとても嬉しかった。この目を売りにしている人も、それに憧れている人もいることを知って、少しだけ自分が貴重な存在になれた気がした。望んでこうなったわけではないけれど、望んでもこうなれない人だっている。少数派は必ずしも悪い訳じゃない。他の人とは少し違うけれど、それがいいと思うか、そうは思わないかは紙一重だ。◆ないものねだり鹿児島県立加治木高等学校(鹿児島県)濵﨑桃花さん一時間程ならば三人共集中して聞いていられるのです。しかし二時間辺りになると母と弟は他の事をしたり眠ったりするので最終的な聞き手は私です。私は父の話が大好きです。様々な話を面白く、長く話す技術にはいつも憧れます。実は父が単身赴任の身になる前まで私は、父の話が大嫌いでした。延々と人の気持も知らないで喋る父にイライラする事も沢山ありました。しかし、初めて父が単身赴任先から帰ってきた時に父が「やっぱり誰かがいないと寂しい。」と呟いていたのを見て「お父さんも慣れない土地で頑張っているから、帰っている間は話を聞くべきだ」と思い今に至ります。そういえば、父にまだ言っていない事があります。中学生の時、友達に「北方領土問題について教えて欲しい。」と頼まれた事がありました。私は父の受け売りと言わんばかりに父のように身ぶり手ぶりを交え解説した所「面白くて分かり易かった。ありがとう。」と感謝された時に父の話が役に立ったと嬉しい気持になりました。今、父は居間で私や弟の将来について母と話しています。そろそろ二時間。母が眠りにつく頃です。そろそろ私も父の話に耳を傾けに行こうと思います。私は、かるたが好きだ。中学二年の時、「ちはやふる」に憧れて競技かるた部に入った私の前に立ちはだかったのは、小倉百人一首のすべて百首を覚えなければならないという第一の壁だった。バスの行き帰り、淡々と覚えていた私の心をしっかりと掴んで離さない歌があった。「永らへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」藤ふじわらのきよすけあそん原清輔朝臣の詠んだこの歌は、彼が失望した時に書かれたものである。父親と仲の悪かった清輔だったが、自分を重用してくれた二条院が亡くなってしまい、勅撰集にはならなかった。父との争いに疲れ、いつかはこの苦しみ、辛さも、いつかはいつかはと報われる日を待ち望むような◆「ながらへば」に込められたこころ聖心ウルスラ学園高等学校(宮崎県)日髙早さん