ブックタイトル17歳からのメッセージReport2018

ページ
29/48

このページは 17歳からのメッセージReport2018 の電子ブックに掲載されている29ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

17歳からのメッセージReport2018

17歳からのメッセージ2817歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリではないか、と考える。このようにして、人は悪口を言わない、ということは不可能であると考える。ただ、なぜ人の悪口であんなに盛り上がることができるのかが疑問に思う。あの場では悪口を止める者がいたら一瞬で敵視されることがほとんどである。人には誰しもデメリットはある。それを受けとめてあげることはなぜできないのか。私はそれを知りたい。「すべての人に質の高い教育を」これは私の夢だ。中学卒業まで盲学校に通った私にとって、一般高校への進学は大きな転機だった。このとき直面した高い壁。それが、点字教材の入手である。盲学校在学中には、与えられて当然と感じていた教材の多くを、自力で手配せねばならなくなった。教科書の山を前に途方に暮れていたとき、手を差し伸べてくれたのが全国のボランティアグループだった。ボランティアの方々は、全く面識がないにもかかわらず、快く点訳を引き受けてくださったのだ。今、私が手にする分厚い点字本のすべてには、そんな人々の温かさが詰まっている。この経験から、学べることがいかに幸せであるかを実感した。私はこれから、日本の教育制度を多角的に研究したいと考えている。そして、特別なニーズのある人が、よりスムーズにアクセスできる学びのシステムを模索していきたい。「すべての人に質の高い教育を」感謝を胸に今、新たな旅が始まる。◆教育に感謝して和歌山県立星林高等学校(和歌山県)菅田利佳さん飼ってみると色々考えてしまう。その中の一つで人間は、生き物の中で唯一他の生き物を飼うことができる生き物ということについて最近よく考えている。そもそも生き物の世界は、強い生き物が弱い生き物を食い、弱い生き物は強い生き物から逃げたり隠れたりする弱肉強食の世界なのだ。しかし人間は、その弱肉強食のルールから離れてしまった唯一の存在である。つまり人間は、生き物の世界には、住んでいないのである。ここで私は一つの疑問を持った。それは本当に人間は、生き物なのだろうかという疑問だ。その証拠として人間は、生物ピラミッドの中での人間が属している層は、未だわかっていない。このことに関して私は、人間は、生物ピラミッド上に存在していないと考えている。これらのことを踏まえて私は、人間は、生き物ではないという答えにたどり着きました。ならば人間は、何物なのだろうか。生き物でもない人間は、生き物たちにこれからどんな影響を与え、どのような存在になるのか私は、ずっとずっと考え続けるのだろう。私が今いちばん知りたいことは、「何故、悪口には華が咲くのか」ということである。第一に私が考えたのは、自分の鬱憤を誰かに話してスッキリしたいのだろうか、ということだ。人は誰しも自分のモヤモヤはスッキリさせたいものである。それにより、一度話すと鬱憤は次々と出てくるのではないか、と考える。第二に考えたのは、自分より下の位の者をつくりたいという昔からある「格差」をつくりたい気持ちが受け継がれてきたことにより悪口がどんどん盛られていくのではないか、と考えた。第三に考えたのは、普通の話をしている時よりも悪口を言っている時の方が、皆が同じ人物に対して同じような嫌な所を話していることにより同感してもらえる満足感と、話している時の異様な盛り上がりが人の脳を刺激してドーパミンが出ているのではないか、と考えた。やはり、話している時にどんどん話が盛られていくのを止めることはできないの◆何故、悪口には華が咲くのか。兵庫県立尼崎高等学校(兵庫県)田中楓梨さん僕が今いちばん知りたいことは自分が死ぬ日です。その理由は自分が死ぬ日を知っていればその日までにやりたいことをして一日一日を大事にし、一生懸命に生きられると思ったからです。人間はいつか必ず死にます。それは六十年、七十年後位のずっと先のことかもしれない。けれど、もしかしたら今日か明日災害が起こって死ぬかもしれないし、誰かに殺されたりするかもしれない、そう考えると死というのは意識をしていないだけですぐ近くにあるんだと改めて認識しました。しかし、死は身近にあるとは分かっているけれど、実際、自分がいつ死ぬのかなんて分からない。だから、一日を大事に生きなければならない。だが、そんな風に思っている人は少ないと思う。僕も一日をそんなに大事に思って生きてはいない。けれど一日一日を大事にして生きている人もいる。それは余命宣告を受けた人だ。僕のおばさんは余命宣告を受けていた。だから、おばさんは一日一日を大事にし自分の人生に悔いを残さないようにやりたいことをやって死んでいった。僕はそんなおばさんを羨ましいと思った。やりたいことをできずに突然死ぬ。それは人生を全うできずに悔いを残して死ぬということだ。だから、僕は自分が死ぬ日を知り、その日が訪れるまでにやりたいことをやりきってから死ぬ。そのために僕は自分の死ぬ日が知りたい。私の父は、趣味で熱帯魚を飼っている。水槽の中には、色とりどりの魚たちが泳いでおり、それを見ていた私も熱帯魚を飼ってみた。小学生くらいの時は、よく虫やザリガニを捕まえ飼育していた。その時の私は、飼育していることに関して何も感じていませんでしたが、今の歳になって生き物を◆僕の死ぬ日大阪市立都島工業高等学校(大阪府)達冨敦輝さん◆人という生き物大阪市立都島工業高等学校(大阪府)宮下陽登さん