ブックタイトル17歳からのメッセージReport2018

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17歳からのメッセージReport2018

17歳からのメッセージ3717歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ終えることが一番大切なことだ。AIがお産に関わることで医療ミスはなくなるかもしれないが、お母さんや家族の心に寄り添うこと、温かい人の手で赤ちゃんを取り上げること、それは私たち人間にしかできない。世の中はめまぐるしく変化していくが、そんな中でも変わってしまってはいけないことがたくさんあると思う。そんなかけがえのないことを大切にできる私でありたい。私は祖父が苦手だった。祖父は加齢性の難聴で特に高い音はほとんど聞こえない。私は生まれつき声が高く、ゆっくり大きな声で話しても祖父に何度も聞き返されるし、内容はほとんど伝わらない。私は祖父と会話するのが嫌で、祖父がそばに来るといつも逃げるように立ち去っていた。ある時学校で、お世話になっている人に手紙を書くという授業があった。両親が共働きでほとんどの時間を祖父母と過ごしていた私は祖父母に手紙を書いた。手紙を読んだ後、祖母はニコニコ笑っていた。しかし祖父は「ありがとう、ありがとう。」と繰り返しながら涙ぐんでいた。その時、私は大げさだなと思う反面、こんな手紙で泣いて喜んでくれるほど祖父に冷たい態度をとっていたことを思い知った。そんな自分が恥ずかしかった。そしてその日以来、私は祖父に伝えたいことは紙に書いて、たくさんの会話をしている。これを読んでいるあなたには、昔の私のように「伝える」ことをあきらめないで欲しい。言語の壁や障がい者と健常者の壁、様々な壁がある。だが、その壁を乗り越え、どんな手段でもいいから「伝える」ということをして欲しい。そうすれば得られるものがあるはずだから。私は祖父との「書く」という手段を用いた会話の中で、何事にもかえがたい絆を得ることができた。そして今、これだけは言いたい…私は祖父が大好きだ。◆「伝える」鳥取県立米子南高等学校(鳥取県)仲田茜さんので、お葬式にすら呼ばれなかった。私はとても悲しかった。今思えば、私とその人は遠距離で文通をする程度しかコミュニケーションがとれなかった。私が高校進学と同時に寮に入ったので尚更だ。彼の病は幼少からの後天性の病気で、当時まだ幼児だった彼の主治医が、彼の為に全力を尽くしていたなら、彼は助かったのではないかと、私は今でも思っている。彼の主治医、つまり小児科医の先生は、途中でさじを投げたらしい。その為、彼の病は悪化していき、悲しい結果となってしまったのだ。私はもう二度と、彼のような最期を迎える子どもを見たくない。その思いで小児科医を目指している。学力が足りないなら、必死に勉強をすれば良い。本気になった人間にできない事なんてないのだから。だから、私は医師を目指す。それが、神様から私に与えられた、最高の使命だと信じて。助産師になる。これが私の夢で、小学校の頃からずっと憧れている。本当に目指したいと強く思えたきっかけは、ありきたりなことかもしれないがテレビドラマ『コウノドリ』だった。新しい命が生まれる時の感動に私も立ち合いたいと思った。助産師になるためには看護師の資格も必要になる。今まで夢を実現するためにたくさんのことを調べてきたが、大変さを感じる度に他の夢を探してみようかと思った。諦めの早い私なのに、なぜだかこの夢だけはずっと変わらず、目指し続けることができている。高校に入学して出会った友達も素敵な夢をもっている。職種は様々だがみんなそれぞれの描く未来がある。将来は急速なAIなどの普及により、今ある仕事の半数は失われてしまうらしい。そうなった時、助産師という仕事がAIにより奪われてしまうのか考えた。私は絶対になくなってしまってはいけない、そう思った。赤ちゃんだけが元気に生まれてくるだけがお産ではなく、母子共に健康にお産を◆世の中の変化と私の夢鳥取県立鳥取商業高等学校(鳥取県)濵中姫菜さん私の趣味は、お笑い観賞だ。小さな頃からお笑いが大好きで難波にお笑いライブを観に行くこともある。私が好きな芸人さんはたくさんいるが、その中で一人私の心を動かした人がいる。その人を知るきっかけとなったのは、お笑い番組だった。白杖を手に流暢に話す姿に少し驚いたのを覚えている。その人は生まれつき目が悪く現在では光を感じる程度らしい。「目が見えない」ということを武器にしたネタに「何だこの面白い漫談は。新しい笑いのとり方ですごい」と感じた。この芸人さんを知り私はもっと強くなりたいと思った。自分の障がいという部分を面白くネタにすることができるのは本当に強くてカッコイイ人だと感じた。私は自分の弱い部分をずっと隠して生きてきたが、それを武器にできたら良いなぁ。強く生きたい。と思った。そして障がいを持った人達がもっと生活しやすいように自分にできることをしたいと心から感じた。一人の芸人さんによって強く生きようと思った私。これから先の人生に何が起きたとしても頑張れるようにマイナスなことでも武器にしていきたいと思う。私には夢がある。それは、医師になること。親や兄弟、友人に言っても、「お前にはできない。学力が足りない。」と否定される。それでも私は、どうしても医師になりたい。何故私がそこまで「医師」という職業に対する執着を持つのか。それには理由がある。昨年の三月、私にとって大切な人が、持病により亡くなった。当時十六歳だった。まだ十六歳の誕生日を迎えたばかりで、私と同い年だったその人は、私の知らない間に、何の前触れもなく息を引き取ったそうだ。親公認の仲ではなかった◆強く生きたい。神戸市立神港橘高等学校(兵庫県)田中愛美さん◆私の夢天理高等学校第二部(奈良県)田中愛弓さん