ブックタイトル17歳からのメッセージReport2018

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17歳からのメッセージReport2018

17歳からのメッセージ4317歳からのメッセージ奨励賞学校特別賞応募参加校一覧学生審査員賞金賞銀賞グランプリ世界、家族ではない人と関わるために必要な「鎧を着込む力」が欠乏し、学校へ行くことができなくなった。相談のため医者に掛かったところ、私は軽度のそれだと診断された。以来私は二、三年の頻度で同様の理由のため学校を休むことがある。ガチガチな緊張が続けば当然疲れる。加えて力の充電に時間が掛かるためだ。そして私は環境の変化、例えばクラス替えや学校行事など、いつもと違うことに弱い。おまけに心配性だ。通学路の一部が工事しているだけで不安になり、登下校が憂鬱になる。毎日がヘトヘト。この様な私であるが、存外私は、私を気に入っている。ASDも私の一つ、性格の一部だと考えている。しかし、周囲の人々はどうだろう。私にはもう一つ、九九パーセント満たされていても足りない一パーセントを責める、という特徴がある。それでも、些細なことを心配すれば笑いとばしてくれる家族や、パニックに陥れば宥なだめてくれる友人達がいる。私が私を好きでいられるのは、一偏に受け入れてくれた人がいるからである。だから伝えたい。先日、私が横断歩道を渡っていた時の事。前の方を歩いていたおばあさんが、黄色の財布を落とし、そのまま歩いていってしまった。私は、すぐにその財布を拾い、おばあさんを追いかけた。「すみません。」と、後方から声をかけたが、おばあさんは、気付いてくれないので、もっと大きな声で、「すみません。」と、声をかけた。おばあさんは、やっと私に気付き、振り向いてくれた。私が黄色の財布を差し出すと、おばあさんは、「まあ、有難うね。」と、言って、何度も私に会釈をしてとても嬉しそうだった。人として当然の行為をしただけだった。それなのに、あんなに感謝してもらえると、私の心までなんだか温かく、清々しい気持ちになった。それから、少し歩いていると、三人の小学生の男の子達が私を走って追いこしていった。一人の男の子がなぜかまた逆走してきた。私は、どうしたのだろうと、思った。男の子は、小さな背中を丸め道端にしゃがみ込んだ。アスファルトの道の隙間に小さく綿毛をつけたタンポポを小さな手で優しく握り、ふーふーと綿毛を吹いてあげていた。一緒にいた子供達は、もう随分前を歩いていた。綿毛を吹き終え、その男の子も友達の方へ走っていった。青空に飛ばしてあげた綿毛は、いつの日かまたきれいなタンポポの花になる。他人への思いやり、植物への思いやり、優しさを忘れず、これからも生きていきたい。私はASDだ。この一言を聞いただけでは私が何を言いたいのか分からない人の方が多いのだろう。ASDとは発達障がいの一つ、アスペルガー症候群等の広義だと言えば、理解者は増えるだろうか。簡単に説明すると、脳の仕組みの違いによって、社会生活が上手くいかなくなる障がいだ。私がASDだと分かったのは小学四年生の頃。家ではない◆思いやり鹿児島高等学校(鹿児島県)朝隈大鷹さん◆ありがとう沖縄県立名護高等学校(沖縄県)佐藤星佳さん足りない仕事を人工知能がしてくれるというのはとてもいいことだと思う。逆に、人工知能に感情のある仕事が務まるとは思えない。例えば教師だったら、愛情を持って生徒と向き合い、叱ることは人工知能には不可能なことなのだと思う。人間にしかないこの喜怒哀楽の感情をこれからもっと大切にしていくべきだと私は思う。人を思う気持ちや笑うことができるのは人間だけだ。奪われない職業もあるのだということを心にとめておきたいと思う。私はものを書くときがある。そのときいつも思うのは、言葉を紡ぐということは難しくって、だけど魅力的だということ。書こうとしているものを表現できないってこんなにもしんどいことなんだと、高校生になって知った。「好き」と一言伝えるだけでも、そこには複雑で熱っぽくて愛おしい想いがある。ドンピシャで想いに当てはまる一言なんてあるはずなくて、その「好き」という相応しくない言葉に、ありったけの想いを乗せて言うしかない。影と自身のようにピタリとくっつくはずが、言葉にすればするほど、自分の想いとかけ離れていく。そして、気づくのだ。私には圧倒的に足りないと。想いを伝えるための知識や体験、思考が。正確に一ミリもズレない表現なんかできないに決まってるけれど、誤差がないよう慎重に丁寧に、言葉を紡がないといけない。だが、それを行うことに必要なものをもっていないから焦ってしまって、漠然とした言葉への気持ちだけが上っ面を滑る。歯がゆくて、苦しくて、淋しくて、嫌だ。でも、どうしようもなく誰かが紡いだ、光って優しくて綺麗な言葉に心奪われ、ため息がこぼれる。その言葉たちを知るたびに、私は楽しくて虜になって、言葉を紡ぎたいと思う。言葉は無力なくせに素敵だ。自分の全てを投影できるように、もっと色んなことを見聞きしたい。そうすれば、これっぽっちも優しくない世界で、優しい言葉が書けると思うのだ。◆言葉を紡ぐ鹿児島県立加治木高等学校(鹿児島県)渡辺理子さん◎全作品原則原文のまま掲載しておりますが、一部誤字等を大学側で訂正いたしました。