Column

2024.04.16

Specialインタビュー vol.2 ~「ありえない、を超えよう。」を実現する人を訪ねて~ 武久顕也さん

武久顕也(たけひさ・あきなり)さん
岡山県瀬戸内市長
【プロフィール】
1968年、岡山県生まれ。92年筑波大学第二学群農林学類卒業。96年から4年間、岡山県邑久町議会議員を務める。2001年英国バーミンガム大学公共政策大学院に留学(公共経営管理学修士)。02年バーミンガム市業績向上評価チームに所属。03年監査法人トーマツ大阪事務所パブリックセクターに入所の後シニアマネジャー、07年関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科准教授兼務を経て09年7月より現職。

岡山県瀬戸内市の市長・武久顕也さんは、イギリスの大学院で公共経営を学び、イギリスの地方自治体で勤務した異色の経歴の持ち主。ローカルの視点だけでなくグローバルの視点も合わせ持って地域の行政運営に取り組まれています。なぜイギリスで学ぼうと思ったのか、それが今、どのように活きているのか、今後の取り組み予定などについてお話しをうかがいました。

●農業、議会議員を経て32歳で留学

――まずは武久市長のご経歴から教えてください

生まれ育ったのは邑久郡邑久町、現在の瀬戸内市です。岡山市内の高校を卒業し、筑波大学第二学群農林学類へ進学しました。実家へ戻り、志高く家業である農業を継いだのですが、一農業者という立場では、農業の魅力を広く伝えるとか、農業政策を変えるなどといったことができないことがもどかしく感じるようになりました。それで27歳の時、邑久町の町議会議員選挙に立候補、当選し、町議会議員になりました。

※邑久町……武久さんが町議会になった当時はまだ瀬戸内市はなく、邑久郡邑久町だった。2004年(平成16年)、隣の邑久郡牛窓町、長船町と合併し、瀬戸内市となっている。

――議員になられていかがだったのでしょうか。

まだまだ経験不足でしたし、思うようにはいきませんでした。どうすればもっと成長できるのか。悩む中で、任期を終えたらいったん議員を離れ留学しようと思い、英語の勉強を始めていました。そんなタイミングで周囲から町長選挙に挑戦しないかという話がでまして。挑戦したものの、2度目の挑戦をした対抗馬に敗れてしまいました。

――なぜ留学を?

議員としても、何より人としても視野が狭い。将来も政治をやっていくことを考えていたので、そのためにも海外を経験しておかないといけないと思ったからです。幸い、農業は弟が引き継いでくれたので任せることにしました。
32歳になった2001年7月、イギリスへ留学しました。最初はウォーリック大学へ入学するために、大学入学前の準備コースで英語を2カ月ほど学びましたが、9月から、より地方自治の専門性の高いバーミンガム大学公共政策大学院へ進路を変更して公共サービスのMBA(経営学修士)を取得。その間にバーミンガム市役所でインターンとして仕事をさせてもらいました。

●MBAコースの在籍を延長して、バーミンガム市役所でインターン

――MBAを取得して帰国するという選択もあったと思うのですが、在籍を延長してバーミンガム市役所で働こうと思ったのはなぜでしょう?

今後の自分の人生を考えた時、MBAで学んだ理論だけでは足りない、実践を兼ね備えることが将来役に立つと考えてのことです。市役所では業績向上評価チームに入れてもらい、さまざまな業務を経験させてもらいました。当時のイギリスはNPM(New Public Management)と呼ばれる行政改革の最先端の実践があり、そこで実際の行政に携わりたいという思いがありました。現場ではどのように運営されているのか、机の上ではわからないことを多く学ぶことができました。

――帰国後はどうされたんですか?

実は留学前に結婚し、1歳の子どもも連れて家族みんなでイギリスへ行ったんです。でも、費用のほとんどを借金でまかなっていたので、妻と子どもは1年で帰国。バーミンガム市役所でのインターン期間は、決して生活環境が良いとは言えない狭い部屋で一人暮らしていました。そんな状況だったので帰国後は借金をしっかり返せて、かつ自分のキャリアもステップアップできる仕事に就こうと思い、いろいろ熟考した末、監査法人トーマツ大阪事務所に就職しました。監査法人というと会計監査のイメージが強いと思いますが、トーマツでは自治体など行政機関へのコンサルティング業務を数多く行っており、私もそのような業務を主に行っていました。
また、トーマツに勤めている間に関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科で准教授を、というお話をいただき、後半の2年は働きながら大学院で教鞭をとり、研究もしていました。

●市長になり、イギリスでの経験が役に立っている

――2009年、瀬戸内市長選挙に出馬され、当選。なぜ瀬戸内市長になろうと思われたのでしょうか。

ちょうどトーマツで働き始めて6年経った頃、前瀬戸内市長が体調不良で職を退かれることになったんです。それで以前、議員をやっていたときの仲間から声をかけてもらい、戻ることにしました。ずっと心の奥底に地方自治をライフワークにしたいという思いがあったからです。

――市長職を遂行する上で、留学や現地市役所で働いた経験はどのように生きているか教えていただきたいのですが。
 
日本の課題、私の場合は瀬戸内市における課題なのですが、それを整理立てて一つの答えを導き出す際、他国の行政経験で培った別の視点があることでさまざまな見方ができるようになったというか、それが市長という仕事において非常に役立っています。ですので、どんな業務においても、瀬戸内市以外の視点ではどうか、例えばイギリスではどうだったかというのを念頭において考えています。比較することで見えていなかったものが見えるからです。

また、イギリスでは自分の権利を主張することが大切という文化です。そうしないと、仕事も生活もうまく回りません。日本には慮ったり、言葉の行間を読む文化がありますが、向こうでは理解されるように発言することが大切です。当然気を遣ってもらうことは期待できませんし、我慢も美徳にはなりません。そういった国によって違う感覚を知ったことも、間接的ではありますが、市長という仕事において大いに活きていると思います。

●多様性を認め合うマインドを持った市として

――国際的な観点として、今の地方行政の課題としてどのようなことがあるとお考えですか?

一つは国際問題を身近なこととしてとらえてもらいにくいことです。例えば、国連UNHCR協会などを通してウクライナ緊急支援の寄附を募っていても、一時期は「ウクライナ頑張れ」といった声も多くて募金も集まったのですが、戦争は長期化しているにもかかわらず、日本人にとっては過去のこととして忘れ去られようとしています。いかに国際問題を市民のみなさんにも自分事として感じてもらうか、また、そのためにも世界の中の一都市としての役割をどう意識して地方自治を推進していくかも考えなければと思っています。
もう一つはインバウンドです。外国の方々に日本の良さを知っていただくためには、ただの見物旅行ではなく、いろいろ体験をしてもらったり、本当に日本に来て良かったと思ってもらえるサービスを充実させていきたいです。でも、そのための人材が圧倒的に不足しているのが現状です。これも大きな課題です。

――まさにそういう人材を輩出したいというのが国際共創学部の思いです。地方によっては工場を立地し、海外の方が働けるようにしている地域も増えてきています。瀬戸内市はいかがでしょう。

そういう企業も出てきています。海外からの移住者とのコミュニティをどうつなぐか、そして、多文化共生ということを進めていかないといけないと思っているところです。

――そのためにはどういう視点が大事だとお考えですか?

まずは違いを認め合うマインドを持った人たちが市役所にいないとダメですよね。ずっと均質性のある社会で生きてきた人たちはよそからの人を、異質なものとして認識しがちなので、いろんな人たちが一緒に暮らすのが当たり前という前提を持った人材が増えることが必要です。特にこれからは地方においても外国人の存在が当たり前になってきます。それだけに、今後、大学で多文化共生などを学び、理解した人材がますます求められていくはずです。

●クラウドファンディングで5億円の国宝を購入したワケ

――マスコミでも大きく取り上げられていましたが、国宝の日本刀「山鳥毛」をクラウドファンディングで購入されたことが大きな話題となりました。5億円もする日本刀をなぜ購入されたのでしょうか。

長船で作られ、国宝でもある日本刀が、国外へ流出するのを食い止めなければというのと、できるなら「山鳥毛」の故郷である長船に戻したいという思いがあったからです。みなさんのおかげでクラウドファンディングを通じて8億8000万円も集まりました。購入費の残り3億8000万円は必要経費や博物館の駐車場整備に充てることができました。

――経済効果はいかがでしょうか。

経済効果は大きかったと思います。「ひと目でも観たい」という方が全国から備前長船刀剣博物館に訪れてくれています。クラウドファンディングでの購入だったので、ご協力いただいた方々の思い入れができます。「山鳥毛」があるということを市民のみなさんが意識してくださっていて、関連する特産品を作ってくださっている人たちもいます。何より良かったのは刀鍛冶に対する注目度が高まり、刀鍛冶のみなさんの作刀意欲も高まったことです。
今後は、備前長船刀剣博物館を「国宝 山鳥毛」という世界の刀剣を展示している博物館としてさらに外国語での発信をしていかなければと思っています。現在、多言語支援員として、刀剣にも詳しいトゥミ・グレンテル・マーカンさんに活躍いただいているのも、そのような活動の一環としてです。

――刀剣博物館だけでなく、瀬戸内市には、全国に13ある国立ハンセン病療所のうち、「長島愛生園」、「邑久光明園」があります。国際共創を学ぶ上で人権意識はたいへん重要であり、人権に関する授業も設けています。この施設についての市長のお考えも聞かせてください。

近代以降、国の間違ったハンセン病対策が原因で、患者さん、回復者およびその家族の人権が侵害され、偏見や差別にさらされました。これは負の遺産と言われることがあり、確かに間違った政策もたくさんあったと思います。そこは大いに反省し、教訓として残していく価値はあると思います。ただ、その一方で、そのような過酷な時代を生き抜いた人たちがいる。その人たちの名誉をちゃんと回復していく必要があると思っています。「愛生園」「光明園」は、生きた財産として今後もしっかり継承していくつもりです。

――国際共創学部で学ぶ学生たちに対して、一言メッセージをお願いします。

様々な人々に共感でき、人間としての器を広げていくために、20代は大切な時期です。いろんなことに挑戦してもらいたいと思います。

――貴重なお話、ありがとうございました