2024.03.04
イベント・講演会
大和総研中曽理事長による公開特別講座「日本経済の課題と展望―試練の30年の終焉―」
試練の30年間を振り返り、日本経済の展望を探る

2024年1月10日、株式会社大和総研理事長(元 日本銀行副総裁)であり、本学経済学部客員教授でもある中曽宏氏を講師にお迎えし、公開特別講座を実施しました。テーマは「日本経済の課題と展望―試練の30年の終焉―」。30年にわたる日本経済の停滞の状況やその原因、当時の施策を振り返るとともに、今後の見通しについてお話しいただきました。なお、本講座は、本学学生だけでなく、経済に関心のある一般の皆さまも対象として開催しました。

[プロフィール]
東京都生まれ。1978年に日本銀行に入行。1990年代のバブル崩壊や金融危機、リーマン・ショックを契機とした国際危機に現場で対処し、金融政策にも深く関与。2013年から2018年まで副総裁を務める。退任後は株式会社大和総研理事長となり、2020年から本学経済学部客員教授を務める。

日本経済が停滞し続けた“失われた30年”とは

講演会は「2024年、日本経済が大きな転換期を迎えていると私は考えています」との前向きな言葉から始まりました。中曽氏は、日本銀行時代に1990年代のバブル崩壊や日本の金融危機、リーマン・ショックに現場で対処されてきた人物です。今回は、それらの経験を踏まえて日本経済の試練を振り返りたいとし、また、「紆余曲折あったが、私は今が試練を乗り越える最大のチャンスだと考えています」と力強く語りました。

バブル崩壊後の年月について、よく“失われた30年”といわれますが、中曽氏は米国、中国、日本の実質GDPを比較してその根拠を説明しました。日本は1990年代までは世界第2位のGDPを誇る経済大国でした。しかし、その後ほとんど成長せず、2005年には中国に抜かれ、米中との差はどんどん広がる一方です。30年間の明確な低迷の姿がそこに見られます。

では、なぜ日本経済は停滞したのでしょうか。中曽氏は3つの理由があると話し、データを示しながら解説しました。1つ目は1990年代のバブル崩壊と未曾有の金融危機。これによって日本の銀行の貸出機能が損傷し、経済復興を支えるという本来の役割を果たせなかったのです。2つ目は人口問題、特に生産年齢人口の減少。生産年齢人口が減るとモノやサービスを生産・提供する人が減るため経済成長にとってマイナスとなります。3つ目はデフレ。デフレとは物価が継続的に下落している状態を示します。中曽氏によると、1990年代半ばから日本の物価はほとんど動かず、マイルドなデフレが続いていたとのこと。

「デフレは物価が上がらないので、一見心地よいのですが、人間にたとえると慢性病なんです。というのは、デフレのもとでは現金の価値は目減りしません。個々の企業にとっては、投資も何もしないで現金のまま持っているのが得策になります。すべての企業がそうした行動をとると、設備投資も研究開発投資も控えてしまうため、経済成長が止まってしまいます。バブル崩壊とそれに伴う金融危機、生産年齢人口の減少、デフレ。これら3つが複合的に作用した結果が“失われた30年”だったのではないかと思っています」

金融機関の破綻が181。バブル崩壊のすさまじい影響

ところで、長い試練の契機となったバブル時代とはどのような時代だったのでしょうか。当時は地価が非常に高騰し、皇居の土地の価格でカリフォルニア州全土を購入できるといわれていました。また、地価とともに株価も上昇し、1989年12月29日の日経平均株価は38,915円(終値)に達しました。

「日本は世界最大の債権国になり、ジャパンマネーが世界を席巻していました。英国の金融街シティで日本の金融機関はスペインの無敵艦隊にたとえられたほどです」と中曽氏。「しかし、驕れるものは久しからず。ついに日本のバブルは破裂します。リーマン・ショック時の米国と比較しても、日本のバブルの生成と崩壊の経済や金融への影響はケタはずれに大きいものでした」とそのすさまじさを説明しました。

バブル崩壊後、金融機関の破綻が相次ぎ、1992年度から2004年度までの間に破綻した銀行・信用金庫・信用組合は合計181。ひと月に4つの金融機関が破綻した1997年11月には、「あの銀行も危ないらしい」などと風評が飛び交ったといいます。信用不安が燎原の火のように全国に広がる様子を見て、中曽氏は「文字通り、血の気が引いたことを覚えています」と話しました。

「日本銀行に務めていた当時、私たちは日本の金融システムの崩壊を防ぐ最後の防衛線を担っていると自覚していました。しかし、セーフティネットは未整備で、大規模な危機に有効に対処する武器が圧倒的に不足していました。私たちにとって、もっとも辛く絶望的な時期でした」

それでも「日本発の世界恐慌は絶対に起こさない、すべての預金者を護る」を合言葉に危機に対処したそうです。そして、実際に預金者の誰1人として1円の損失も出ませんでした。それを可能にしたのは、いわゆる日銀特融を柱とした預金者保護の仕組みでした。ただ、当時危機に陥ったのは銀行だけではありませんでした。日銀は、金融システムの安定を確保するため、「最後の貸し手」として証券会社に対しても緊急資金支援を行いました。脆弱な銀行への資本増強も行いました。しかし、証券会社への融資の回収不能分や銀行救済がうまくいかなかった分もあわせて、最終的に日銀として2000億円もの損失を計上することになりました。「これは、本当に辛い経験でした」と中曽氏。

金融危機回避の制度が整えられ、銀行機能は回復へ

中曽氏が「日本の金融システムがもっともメルトダウンに近づいた」と表現するバブル崩壊後の危機は、代償は大きかったとはいえ、ギリギリのところで鎮静化できました。そして、これを契機に、金融再生法をはじめ、金融危機回避のための制度整備が急ピッチで進んだのです。

「当時の成功も失敗も踏まえてできたものですが、今の日本のセーフティネットはよくできています」と中曽氏は評価しました。

その後、米国の住宅バブルに端を発した“リーマン・ショック”により、日本は再び危機に見舞われます。欧州の銀行が深刻なドル不足に陥り、日本の銀行も巻き添えになったのです。世界的なドル不足が国内に波及するのを防ぐため、日本銀行は米国の中央銀行にあたるFRB(米連邦準備制度理事会)とドル・スワップ協定を結び、円を見合いにFRBから調達したドルを日本国内の金融機関に供給する仕組みを構築しました。言葉にするとシンプルですが、実際には複雑な作業だそうで、中曽氏によると「日本国内でドルを供給するのは、初めてだった」とのこと。FRBは同様の協定を欧州主要中央銀行とも結び、危機の鎮静化を図りました。このように、日本は国内および国際的な金融危機に対処できる術を身につけ、さまざまな施策を生み出してきたのです。

“失われた30年”を経て、今。「時間はかかりましたが、銀行の機能は回復しています」と中曽氏。「最近の賃金上昇率をみると、デフレも終焉局面を迎えていると思います」

デフレは、一旦悪循環に陥るとなかなか抜け出せないといわれます。デフレからの脱却には、経済によほど大きなインパクトを与えなければならないのです。そこで、日本銀行では、2013年に異次元ともいわれた「量的・質的金融緩和(QQE)」を実施。中曽氏が副総裁に就任した直後のことで、当時の総裁は黒田東彦氏でした。「黒田砲」と呼ばれたこの施策を覚えている人も多いでしょう。さらに、2016年にはマイナス金利政策、イールドカーブ・コントロール(YCC)を相次いで導入するなど、デフレ脱却をめざした施策を行ってきました。

「このあと経済が順調に回復を続けて、賃金の上昇を伴うかたちで物価が上がり、2%程度で安定することが展望できる状況になれば、マイナス金利政策の修正を皮切りに日本の金融政策はいよいよ正常化へ向かうことになると思います」と語りました。

今、経済復活の最大のチャンスが巡ってきている

今後の展望について「賃金の行方が鍵を握ります」と中曽氏。春季労使交渉による賃上げ率の推移によれば、2023年は、中小組合を含めた全体では3.58%賃金が上昇しています。

「これは1993年以来30年ぶりの高水準です。2024年も相応の賃金上昇が続きそうなので、デフレとの長い戦いの道のりに終わりが見えてきていると私は思っています」

ただ、金融政策はオールマイティではないと中曽氏は話します。経済の需要(消費)と供給(生産)のうち、金融政策は需要不足に対応するものであり、日本経済を持続的な成長軌道に戻すには供給力そのものを拡大する成長戦略を併せて行う必要があるのです。日本の供給力あるいは経済の真の実力ともいえる潜在成長率は、バブル崩壊後ほぼ一貫して低下してきました。中曽氏は、その潜在成長率を引き上げるための課題を分析しました。

潜在成長率には、労働投入、資本ストック、全要素生産性(TFP)の3つの要因があります。日本では、その3つとも弱い状態が続いてきました。労働投入の低下は人口減少が影響しており、資本ストックの停滞は設備投資の不足が原因、TFPの低下は技術革新の不足が原因と考えられます。

「労働人口の減少に対応するためには、女性や元気な高齢者が働きやすい環境の整備が必要で、働きながらスキルを磨くリカレント教育やリスキリングも重要です。長い目では少子化対策で人口減少に歯止めをかける必要があります。設備投資・技術革新の不足については、企業の意欲を高める施策が必要です」と中曽氏は語りました。例えば「2050年カーボンニュートラル」が一つのきっかけになるとのこと。脱炭素化のため150兆円もの投資が必要とされており、脱炭素化は優れた技術を持つ日本企業にとって格好の成長戦略になる可能性を秘めているというのです。

「日本経済は立ち直りつつある」と力説する中曽氏。「バブル崩壊後の長い試練を克服する最大のチャンスが巡ってきています。一部評論家や報道からは日本衰退論もいわれていますが、私自身は日本経済の将来に悲観的ではありません。先輩方が築いてきた経済基盤は受け継がれていますし、将来を展望しても日本の潜在力は捨てたものではない。次の時代を担う若い皆さんが、自信と希望を持ってこの先を進んで行かれることを祈念します」と講演を締めくくりました。

狂乱のバブル時代、そして崩壊の影響とそこからの回復まで。最前線で戦ってきた中曽氏の講演は非常に具体的でリアルなものでした。今の金融政策が生まれた背景や今後の経済成長に必要な要素を知ることができ、学生にとっても一般の皆さまにとっても有意義な講演となったことでしょう。

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