2024.04.30
イベント・講演会
国際共創学部開設記念シンポジウム「これから求められる国際共創について」
実践者に聞く、国際共創のあり方

本学の国際共創学部開設(2024年4月)を記念して、2024年3月22日、「国際共創学部開設記念シンポジウム『これから求められる国際共創について』」を開催しました。シンポジウムは基調講演とパネルディスカッションの2部構成で、パネリストには国際共創を実践されている3名の方にご登壇いただきました。昨今注目の高まる国際共創のリアルな面に触れられるとあって、4月から国際共創学部で学ぶ新入生をはじめ、在学生や教職員、一般の方など、多くの方で会場はにぎわいました。

援助を受ける途上国が、貧しいままなのはなぜか

シンポジウムの冒頭、本学の山本俊一郎学長が挨拶に立ちました。4月からはじまる国際共創学部について「この難しい時代、どういう力を身につけられれば社会に出てからも活躍できるのか、考えに考え抜いてつくった学部です」と紹介。「国際と共創、この2つが組み合わさっているのが大切。グローバルな視点とローカルな視点を合わせもちながら多面的に考え、人々とともに新しい価値を生み出していく。そんな人になってほしい」と、新入生へのあたたかいメッセージを込めながら説明しました。

[プロフィール]
山口 絵理子 氏(株式会社マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナー)
1981年埼玉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。ワシントンの国際機関でのインターンを経てバングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程に留学。2006年、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」をミッションに株式会社マザーハウスを設立。

第1部の基調講演には、株式会社マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナーの山口絵理子氏を講師にお迎えしました。マザーハウスはバングラデシュをはじめ6カ国の自社工場・提携工房でバッグやジュエリーなどの生産を行い、日本を中心に3カ国43店舗で販売しています。今回の講演では「途上国から世界に通用するブランドをつくる~社会性とビジネスを両立する第三の道を探して~」とのタイトルで、途上国に目を向けたきっかけや海外で起業する難しさなどをお話しいただきました。

大学入学当初から国際協力に興味があったという山口氏。大学4年のときにワシントンの国際機関でインターン生として働き、「富める国から貧しい国に援助する方法で、本当に必要な人にお金が届いているのか?」と疑問を抱いたといいます。しかし、現場のことはNGOやボランティアに任せればいいと言われてモヤモヤした思いを抱え、当時アジアで最も貧しいといわれたバングラデシュを訪れてみることにしたのです。

「私たちは、たくさん援助しているはずなんです。でも、現地のベンガル人は『この国に希望はない』と不満を漏らし、目の前の子どもは『ギブ・ミー・マネー』と言ってくる。そのギャップはどこにあるのか、あんなにたくさんの援助をしているのに、何が問題でこの人たちはずっと貧しいのか。私は正直わかりませんでした。この国で現実として何が起こっているのか知りたいと思い、バングラデシュの大学院を受験しました」

“援助”ではなく、“仕事”をつくろうと現地で起業

大学の友人たちや教授、家族などみんなが反対する中、それでもバングラデシュの大学院への進学を決めたのは、「見てみないとわからないし、現場を知らずにわかったように話す人には違和感があったので」。スーツケースに防犯ブザーや日本食をたくさん詰めて現地に向かいました。手紙一つ受け取るのに5000円の賄賂を要求されたり、非常事態で外出禁止になったり、通学路でバスが燃えていたり。いろいろな非日常を経験したそうです。

「バングラデシュは援助大国といわれていた国ですが、現実はそんな状態。援助や協力に違和感を覚えていたとき、ベンガル人のクラスメイトから『僕たちは“援助”ではなく“仕事”が欲しいんだ』と言われました。みんな授業の合間に仕事を探しているんです。人気があるのはITコンサルタントや銀行員などのかっこいい仕事。でも、そんな仕事は僅かしかなくて、ほとんどは農業と製造業。大学院まで行っても人気がある仕事に就けるわけではなく、卒業後もずっと職探しをしています。3、4年職探しをして、段々やる気や希望を失い、最終的には人力車を引く仕事をする。それを知ったとき、『学校をつくれば正解』と言っている国際機関はどうなの?と。机上の空論や現場を知らないということが暴力的だと感じ、私は仕事をつくる仕事をしたいと思うようになりました」

仕事をつくるために、山口氏が目をつけたのはバングラデシュの特産品、ジュート(黄麻)でした。よくコーヒー豆を入れる袋やラグなどに使われる素材です。ジュート袋の工場へ毎日のように通って、海外バイヤーから「より安く」とプレッシャーをかけられる工場や、劣悪な環境で働かされて学校にも行けない10代の少女たちの様子を間近に見て、悔しさや悲しみを感じたといいます。そして、「原材料ではなく付加価値のある製品を。『かわいそう』ではなく『かわいい、かっこいい』を」との考えのもと、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」をビジョンとし、25歳で起業しました。

海外で仕事をする上で一番難しかったのは「信じられる人をつくること」という山口氏。ジュートのバッグをつくってもらおうと思っても話を聞いてもらえず、なかなか見つからない。やっと見つけても、ポケットをつける意味が伝わらなかったり、工場でパスポートを盗まれたり。何度も痛い目に遭って人間不信に陥ったこともあるといいます。

「何が問題なのか考えて、出た答えが生産を委託する構造に問題がある。元々ある工場に『お願いします』と委託するのでは、その人が信頼できなければそれで終わってしまう。そうじゃない道があるはずだと、バングラデシュに自分の工場をつくろうと考えました。小さい部屋を借りて、職人とサポートスタッフ、私の合計3人でトートバッグをつくりはじめました」

起業から18年経った今。バングラデシュの工場は従業員330名を抱え、国内でも有数の大きなバッグ工場になりました。輸出する商品の単価はトップクラスであり、バングラデシュの首相からお褒めの言葉をいただくほど国中から注目を集めています。その後、山口氏はバングラデシュ以外の途上国でも事業を展開。「それぞれの国によいところはあります。例えばネパールならカシミヤがあるのでストールをつくろうとか、その国でできることが必ずあって、私は目利きとして素材を選んでいます」と山口氏。ネパールではカシミヤを用いたストール、インドネシアでは銀細工でつくるジュエリー、インドではインド綿を用いた衣類など、現地の素材を活かし、現地の職人とともに、現地の工場でものづくりを続けています。

多様な人々とのつながりから学べることとは

続いて行われた第2部パネルディスカッションは、「多様な人々とつながり協力しながら新しい価値を生み出していくために」がテーマ。山口氏をはじめ、ご縁コントロ実行委員会実行委員長の小笠原啓太氏、大阪大学大学院人間科学研究科助教・本学国際共創学部着任予定(2024年3月現在)の小川未空助教がパネリストとして登壇し、本学経済学部准教授・国際共創学部着任予定(2024年3月現在)の酒井大策准教授がモデレーターを務めました。小笠原氏は島根県でブラジル人と日本人とのご縁を紡ぐ活動を立ち上げ、小川助教はケニアの学校をフィールドに学校教育制度について研究しています。

[プロフィール]
◉パネリスト
小笠原 啓太 氏(ご縁コントロ実行委員会実行委員長/公益財団法人ふるさと島根定住財団職員)
京都外国語大学ブラジルポルトガル語学科卒業。同大学からリオ・デ・ジャネイロ連邦大学に派遣留学。帰国後、ブラジル人材サービス会社で11年間勤務。転勤先の島根でブラジル人と日本人のご縁を紡ぐ「ご縁コントロ実行委員会」を立ち上げる。2016年公益財団法人ふるさと島根定住財団に転職。現在、島根県しまね暮らし推進課に出向中。

小川 未空(大阪大学大学院人間科学研究科助教 ※2024年3月現在)
大阪大学大学院人間科学研究科助教を経て、2024年4月より本学国際共創学部着任予定。研究領域は学校教育。ケニアでフィールドワークを行い、学校の役割や可能性を探る。

◉モデレーター
酒井 大策(本学経済学部准教授 ※2024年3月現在)
民間企業勤務や摂津市職員、関西学院大学専門職大学院講師、本学経済学部准教授を経て2024年4月より国際共創学部着任予定。研究領域は会計学や行政経営。国内に加え、英国の地方自治体も研究対象としている。

酒井准教授から「活動をはじめるきっかけ、エネルギーは何だったのか?」「やりがいを感じたことは?」といった問いが投げかけられました。
当時ブラジル人の人材サービス会社で所長をしていた小笠原氏は「売り上げは上がっているけど、誰かを幸せにしてきたか」という疑問が活動の出発点だと話します。「従業員の中には友だちがいない人が多かったのですが、ずっとそれを知らずに過ごしていた。そこで、ブラジルのバーベキュー、シュラスコをつくって、日本人に来てもらって一緒に食べて交流する会をはじめました」

小川助教のきっかけは「学校が嫌いだったので、なぜ学校が存在するのかという問題意識から」とのこと。また、大学で戦後の社会科の学習指導要領を読む機会があり、戦争の反省から戦後には大きく改訂された事実を知ったことにも触れました。「世の中の当たり前や常識はものすごく簡単に入れ替わると思ったのがひとつのきっかけです。学校教育そのものも新しいシステムだと知るにつれ、この事象を研究していきたいと思いました」

山口氏は、うれしかったことについて、全生産地の職人を同時に日本に招いたときのことを紹介しました。「言葉はまったく通じないけど、職人として通じるものがあるようで、『道具、見せて』みたいな感じで話し出したのです。まるで企業が国際協力の一助になれたように感じました」

3名のパネリストからは新入生へのメッセージもいただきました。「“今ある自分×応援したい誰か”、“自分×何か好きなこと”など、かけあわせることを楽しんでもらいたい」と小笠原氏。小川助教は「国際共創学部のような、何を勉強するかわからない学部が実は面白い。いろいろな視点での学びは卒業後、生きていくヒントになる」と話しました。山口氏からは「日本では“自分はここまで”と自分の可能性を決めてしまうことが多いように思いますが、それはもったいない。自分を大切にしてほしい」との言葉をいただきました。

最後に、国際共創学部長着任予定(2024年3月現在)の沖浦文彦教授から閉会の挨拶があり、「これまでは解答のある問いを解く訓練をしてきましたが、これからは解答のない世界。ぜひ国際共創学部で自ら問いを立てる力を身につけてほしい」と新入生に向けてエールを送りました。国際共創学部のこれからに大きな期待が寄せられる中、シンポジウムは幕を閉じました。

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