2025.11.04
イベント・講演会
はるな愛氏による講演会~LGBTQ+当事者が語る「自分らしさ」とは~

2025年10月6日(月)、人間科学部「LGBTQ論」の講義で、「自分らしさ」をテーマに講演会を開催しました。講師としてお迎えしたのは、LGBTQ+当事者でタレントのはるな愛氏です。
本学の客員教授も務めるはるな氏は、持ち前の眩しい笑顔で学生たちの前に登場。会場の雰囲気は一気に明るくなりました。

真っ黒なランドセルが爆弾のように思えた―自分らしく過ごせなかった子ども時代

講演では、はるな氏の歩んできた人生が、幼少期から順に語られました。
はるな氏は、大阪市平野区の団地に暮らす両親のもとに、長男として誕生しました。小さい頃、親から男の子向けのおもちゃを与えられ、心の中では「お人形がいいのにな」と思っていたそうです。そのお話からは、はるな氏が幼い頃から性別への違和感に苦しんでいたことが窺い知れます。貧しい家庭環境だったこともあり、はるな氏は家の中で自分らしさを出すことができない幼少期を過ごしました。

小学校入学時、大好きな祖母とランドセルを買いに行ったエピソードも語られました。当時ランドセルは2色しかなく、“男の子は黒、女の子は赤”が当たり前の時代。はるな氏は「絶対に赤がいい!」と思っていたそうですが、いつも自分の居場所をくれていたはずの祖母が選んでくれたのは、真っ黒のランドセル。「私は目の前が真っ暗になりました。こんな爆弾を背負って6年間小学校に通わないといけないと思うと、本当に辛かったです」とはるな氏は当時の心境を語りました。

男らしさって何?どう生きればいい?

「絶対にいじめられるから、男らしくしなさい」―中学校へ進学する際、はるな氏は母親にそう言われたそうです。
「“男らしさ”が一体何なのか分かりませんでしたが、それでも自分なりに一生懸命男らしく振舞いました。しかし入学して1ヶ月も経たないうちに、いじめが始まりました」とはるな氏は当時を振り返ります。“生きるか死ぬか”―いじめに耐え続ける日々の中で、授業中もそんなことばかり考えていたそうです。「親のことを思うと死ねませんでした。頑張って女の子と恋愛をして、いつか子どもを授かれば親も喜んでくれるかもしれない、そんな風に親の為に生きることも考えました」と、はるな氏は当時の苦しみを赤裸々に語りました。

ようやく見つけた自分らしくいられる場所

苦しみと共に生きていたはるな氏に、転機が訪れます。誘われて足を運んだニューハーフのお店で、自分らしく堂々と笑顔で生きる人たちの姿を目の当たりにし、「ここが自分の居場所かもしれない」と感じたそうです。お店で働くニューハーフのお姉さんたちは、はるな氏を歓迎してくれました。メイクの仕方やホルモン注射についてなど、そこで多くのことを教わったそうです。

次第にお店で過ごす時間も増え、高校生になったはるな氏は父親にすべてを打ち明けました。女性として生きていきたいという自分の本当の思いをやっと言えた喜びと、家族としての絆が消えてしまう寂しさの両方を感じながらのカミングアウトだったといいます。
殴られる覚悟だったそうですが、返ってきたのは「わかった。その代わり男やったらとことんやれ!絶対に人生後悔すんなよ!絶対に一番になれよ!」という、父親から息子への不器用な応援の言葉。はるな氏が父親の涙を見たのは、このときが初めてでした。

やがて、性転換手術を受けることに決めたはるな氏。女性の身体になりたいと望み続けてきましたが、手術の直前には“取り返しのつかないことをしてしまう”という恐怖も感じたそうです。手術台の上で「やっぱりやめる!」と叫んでしまったエピソードも語られました。

考え続けた先に、新たな道がある!―“エアあやや”誕生秘話

当時のはるな氏は、女性としての身体さえ手に入れれば、悩みもなくなり、人生がうまく進んでいくと思っていたそうです。しかしながら、現実はそうではありませんでした。

その頃の大阪では、ニューハーフが人気を集めていました。はるな氏がニューハーフとして働いていたお店も、毎日行列ができるほどの賑わいを見せていたそうです。それだけにとどまらず、はるな氏はゴールデンタイムのテレビ番組に出演するなど、タレントとしても大活躍していました。
そんな絶好調の日々を送っていたタイミングで、知り合いの芸能関係者から上京の話を持ち掛けられます。大阪を離れることに迷いもあったそうですが、「自分の過去を知らない人たちがいる東京で頑張りたい」とすべて捨てる覚悟を決めて上京を決意。東京では“女の子”として仕事がしたいとオーディションを受けるも、不合格の連続でした。他にも、ニューハーフであることが理由でマンションを借りることができないなど、苦労は多かったようです。

はるな氏は、残り少ない貯蓄を使い、居抜きで小さなスナックを開くことにしました。ニューハーフであることを明かさずに店頭に立っていましたが、なかなか客足は伸びませんでした。
そんなとき、はるな氏の頭の中によぎったことがありました。それは、ニューハーフとして人前に立つ自分を見て、みんなが楽しんでくれた大阪での日々です。「男である」「ニューハーフである」という自分が最も認めたくない事実を武器にすれば、目の前の人を楽しませることができることを思い出したのです。

次第にお客さんも増え、ようやく軌道に乗ってきた矢先、はるな氏にまた試練が訪れます。ある日突然、声が出なくなってしまったのです。声が出ない状態で、満足にお客さんを楽しませることはできません。焦るばかりの日々の中で、店内のBGMで流していた松浦亜弥さんのライブ映像に合わせて、口パクで振りマネをすることを思いつきます。後に日本中で大人気となる“エアあやや”が誕生した瞬間でした。
はるな氏はこのときのことを振り返り、「あのとき逃げなくてよかった、どうしようどうしようと考え続けることは絶対に無駄にはならないのだと思います」と語りました。

苦しみの中にいた、過去の自分へ

“エアあやや”が大ブームを巻き起こし、当時のはるな氏は寝る暇もない程の多忙な日々を過ごしていたといいます。衣装を着たまま、移動の新幹線や飛行機に乗り込むことも日常茶飯事でした。
ある日、新幹線の窓ガラスに映った衣装姿の自分に向かって、はるな氏は笑顔でこう言ったそうです。
「ホンマに!?あのとき死のうと思ってたケンちゃん!?あのとき死なんでよかったなぁ!生きててよかったなぁ!」

また2009年には、タイで開催されたトランスウーマンたちによるビューティーコンテスト「ミス・インターナショナル・クイーン」で世界一に輝きました。“一番になる”という父親との約束も、はるな氏はしっかりと果たすことができたのです。

LGBTQ+という言葉にとらわれすぎないで

講演の最後には、東京2020パラリンピック開会式に出演した際のエピソードが語られました。事務所を通さず自ら公募オーディションを受け、出演が決まったそうです。
はるな氏は、様々な障がいをもつ人々と支え合いながら練習を重ねた日々を振り返り、「LGBTQ+という言葉を覚えることよりも、今となりにいる人の困りごとに気付くことが大切なのだと思います」と学生たちに語りかけました。LGBTQ+当事者が語るその言葉に込められた深い思いを、学生たちもしっかりと受け取った様子でした。

講演後には質疑応答の時間も設けられ、学生たちからは「ホルモン注射を打ったとき、どんな感じでしたか?」「美容で気をつけていることはありますか?」といった様々な質問が投げかけられました。はるな氏は一つひとつの質問に丁寧に答え、学生も嬉しそうな様子でした。
また、“エアあやや”のパフォーマンスも披露され、会場は大いに盛り上がりました。

芸能活動だけにとどまらず、飲食店の経営や大阪・関西万博のスペシャルサポーターなど、多方面で精力的に活動を続けるはるな氏。「死ぬときに『大西賢示の人生最高やったー!』と思えるように生きていきたいと思っています」と笑顔で語り、講演会を締めくくりました。

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