2025年12月1日、日本銀行理事・大阪支店長の正木一博氏をお迎えし、公開特別講座を実施しました。経済学部「金融政策特論(担当:福本智之教授)」の授業の一環として本学学生が受講し、経済や金融に関心を持つ一般の方々にも聴講いただきました。「最近の内外金融情勢と関西経済」と題した講座では、日本銀行のミッションや金融政策の考え方を解説した上で、アメリカの関税政策の影響を含めた日本経済の現状と先行きなどについて語られました。
日本の中央銀行である日本銀行の役割について、正木氏は「人々がお金を安心して使えるようにするというミッションのもとに業務を行っています」と説明しました。それらの業務の一つとして、物価の安定のために、市場に流通するお金の総量や金利などを調整する金融政策を実施しています。経済の状況に応じて短期の金利を上げたり下げたりしており、これを政策金利と呼びます。日本ではバブル崩壊後、低金利の時代が長く続いてきました。
正木氏は、経済にとってちょうど良い金利「中立金利」の考え方を解説します。「自然利子率に平均的な物価上昇率を足したものが中立金利となります。自然利子率とは、大まかに言えば、その国が持つ潜在成長率に近いものとなります。バブル崩壊後の日本は、成長する力を失うとともに、物価が上がらないという状況になり、中立金利が0%近くまで低下しました」
金利が0%になると、それ以上に下げる余地がなくなり、政策金利の引き下げによって経済を刺激することができなくなります。そこで日本銀行は、経済不況が続く中、マイナス金利の導入、大規模な日本国債の買い入れによる長期金利の引き下げなどの「非伝統的金融政策」によって、全般的に金利を低く抑え、景気を良くしてデフレを脱却しようとしてきました。
物価上昇率については、“2%”程度の緩やかな上昇が望ましいと日本銀行は考えています。中立金利は潜在成長率と物価上昇率で決まることから、「中立金利が低くて利下げ余地がない状態というのは、すぐに座礁しそうな水位の低いところを航行している船のようなもの。成長率が低い日本は、ある程度緩やかに物価が上がった方が良い」との考えを示しました。
現在、日本の景気の良し悪しはどのような状況なのでしょうか。正木氏は「良し悪しの感じ方は、自身がどのような立場にあるかによって異なります」と話します。日本銀行の2025年9月の短観調査によると、景気の状況は良いと答える企業の割合は高くなっています。設備投資の計画も積極的で、収益は史上最高水準で推移しています。
一方、家計分野では個人消費の統計を見ると、緩やかに上昇はしているものの、消費項目によって差が見られます。旅行や外食などのサービスは伸びていますが、食品、衣類、日用品などの非耐久財は低い水準です。「個人消費は二極化しており、百貨店で高額商品が売れているのに比べ、スーパーでは節約志向が強いという状況。景気はさほど良くないという印象を持つ一般消費者も多いでしょう」
個人消費が伸びない理由は、「賃金は上昇しつつあるが、賃金上昇以上に物価が上がっている。すなわち、実質賃金がまだ上がっていないということです」と、正木氏は指摘。コロナ流行、ロシア・ウクライナ戦争の影響によって世界でインフレが起こり、日本も2022年頃から物価が急上昇しました。一時期よりは状況が落ち着き、今の物価上昇率は3%程度です。
実はすでに3年以上、日本銀行が目指す2%の物価上昇率を超えている状況が続いています。なぜ日本銀行は、物価上昇を抑える金融政策を実施しないのでしょうか。その理由を「どういった理由で物価が上がっているかによって、処方箋が異なるからです」と説明します。
エネルギーや米の価格など供給側のコスト上昇が要因となって起こる物価上昇をコストプッシュといいます。この場合、金融政策によって物価上昇を抑えるのは困難です。一方、景気の拡大によって賃金が上がると、需要が増えて企業は物の値段を上げることができ、物価が上昇します。こうした需要側に基づく賃金と物価の好循環によるものを、基調的な物価と呼びます。物価上昇に弾みがつきすぎる時には、日本銀行は金利を上げて景気の過熱を抑え、物価上昇を落ち着かせます。
「現在の物価上昇はコストプッシュ要因が大きく、大幅な利上げで対応する場面ではありません。昨年3月にマイナス金利を解除した際には、物価上昇率が収まってきた最中に利上げしたので一部では疑問の声もありました。これは、コストプッシュが収まってきたが、基調的な物価が温まってきた状況の中で、利上げをしたということです」
昨今の賃金上昇の動きについての考えも示しました。賃金上昇の大きな要因は、これ以上の労働力を増やす余地がないという構造的な人手不足によるものです。賃金を上げないと、人手を確保できません。経済の成長力は、労働力と設備投資とTFP(Total Factor Productivity=全要素生産性)で決まります。労働力が伸びない分、創意工夫やイノベーションによって生産性を高めていくことが日本経済の課題になっていくと思います」
今後の政策金利のさらなる利上げの実施時期や上げ幅については誰もが気になるところですが、経済にとって重要な金利とは名目の金利ではなく、物価上昇率を差し引いた実質金利です。現在の政策金利は0.5%ですが、物価上昇率は2~3%なので、実質金利は大幅なマイナスです。「実質金利が極めて低い水準であることを踏まえると、経済・物価情勢の改善に応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していく」というのが日本銀行の考えです。
ただ、いつどこまで引き上げるのかについては、「各国の通商政策等の影響を巡る不確実性がなお高い状況が続いていることを踏まえ、予断を持たずに判断していく」と言います。正木氏は、「ブレーキを踏む必要はないけれど、アクセルは少し緩めないといけないという状況であると見ています。景気がしっかりと前に向いていくのであれば、緩やかにではあるけれど金利を調整していくというのが日本銀行のスタンスです」と話します。
経済の先行きの不透明さの最大の要因は、アメリカの関税政策です。現状を見てみると、日本からアメリカへの輸出量は減っていないといいます。輸出物価では春先以降、自動車の価格は下がっています。「関税コストを輸出側が負担し、アメリカでの販売価格を維持する戦略をとっていると見られます。円安による利益の増加によって、こうした戦略が実現できているという面もあるのではないかと考えます」と、正木氏は分析します。ただし、自動車のように付加価値の高い製品ばかりではないため、この先も影響を注視する必要があるといいます。
最後に正木氏は、関西経済の状況と見通しについて話します。関西の特徴をデータで見ると、人口、域内総生産、製造品出荷額などのシェアが全国の16%、すなわち6分の1を占める項目が多いと分かります。逆に言えば、輸出額21%、インバウンド消費額27%、外国人入国者数25%と、16%を超える項目は関西のプレゼンスが高いということです。
「インバウンドも輸出と同じようなものだと考えると、関西経済は輸出依存度が高いといえます。インバウンドを産業と見立てた場合、1位の半導体に次いで2位の経済規模。そのインパクトは鉄鋼や自動車を遥かに上回り、関西経済の今後の発展を考える時、インバウンドは欠かせないものとなるでしょう」と、正木氏は話します。自動車産業のウエイトが低いため、アメリカ関税政策の影響は、全国と比べてもなお小さくなっています。
また、正木氏は関西経済の潜在的な特徴として、「高度な科学技術」を挙げました。関西には理系分野に強い大学や研究機関があり、高度な科学技術を持っていてビジネスの種はあるものの、事業化していく力が弱いと指摘します。「関西のスタートアップがどこで資金を調達したかというと、東京が圧倒的に多い。しかし、関西の金融機関もすでに、スタートアップ支援のためのいろいろな形での取り組みを行っています。万博のレガシーを先につなげて発展させていけば、他の地域と比べてもしっかりと成長していけるのではないかと見ています」と、関西経済への期待を語り、講演を締めくくりました。
日本銀行の役割や、どのような考えのもとで金融政策を実施しているのか、経済の現状や見通しを分かりやすく解説され、理解が深まる講演でした。経済を学ぶ学生たちにとって、これから先の学びの大きな糧となったことでしょう。