17歳からのメッセージReport2011

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1117歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧ていた。思い出の中の私も泣いていた。自分はこんなにも泣きたかったのだと初めて気付いた瞬間だった。なぜあの時おじいちゃんはあんな話をしたのか今となってはわからない。だけど私はあの言葉に救われた。今はまだ抵抗があるけれど少しずつ感情を表に出していきたい。そしていつか私が大好きだったおじいちゃんに向かって思いきりの笑顔を見せたい。三重高等学校(三重県)中西梨緒さん友達って実はちょっとした奇跡だよね…臭い台詞だけど友達はそれなりにいるし、人見知りをするわけでもなく、冗談も言いあって皆で笑い合うこともする。昔から特別人気があるってわけではなかったけど、みんなの中心でバカな話をしてわいわいと賑やかな雰囲気を作り出すのは得意だった。自分の周囲に人がいることを、信じて疑わなかった、小学生時代。中学生になって、小学校とはまた違う友達がたくさんできた。みんな十人十色で、性格も好みも、てんで違う。ただ中学生という微妙な時期のせいもあり、小学生の時と全く同じというわけにはいかず、よく衝突してぶつかり合って、互いに罵って対立する。それは高校生になった今もそうだけど、中学の時の方が酷かった気がする。実際、幼稚園からの悪友と二週間口を利かなかったのだって、中二のときだった。ただ、友達はケンカをするだけじゃない。確かに、時に気に食わないこともあるけど、嬉しい時に一緒に笑ったり、間違ったことをした時に叱ってくれたり、嫌なことがあった時、バカなことをして励ましてくれたり。この間の東北の震災で、友達を探して避難所を渡り歩く女子高生の姿をテレビで見た。彼女はある避難所で友人の名前を発見、生存を確認して泣きくずれた。自分にもきっと余裕はないだろうに、友を気に掛けるその姿勢に、私は感動を覚えた。友は財産だ。祖母の口癖であり、全くその通りだと思う。人との繋がりを大切にできる人になりたい。同志社女子高等学校(京都府)平子愛望さん日本で国際交流を!春休み、私は初めての海外旅行で憧れのヨーロッパにいた。私が外国人に対して持っているイメージ以上に社交的で親切な人が多く、旅行中にいろいろな場面で現地の人に助けられることがあった。私はオーケストラの一員としてスイスに行った。地震の義援金を集めるためのチャリティーコンサートは無事終了。しかし、ステージから下りた後、私は楽器の片付けで苦戦することになった。楽器が私以上に大きい上に現地の楽器を借りていたのでケースも使い慣れない物だったのだ。すると、私が苦労しているのを見た観客の二人のおじさんが駆け寄ってきてくれて、三人がかりでどうにか片付けることができた。私が英語でお礼を言うと、おじさんが話し始めた。ドイツ語だったのでよくわからないが、「良い演奏だったよ。」というようなことを言って、直接私に義援金を手渡してくれた。演奏をほめてもらったこと以上に、迷う様子もなく日本から来た私を助けてくれたことが嬉しかった。私は、困っている外国人旅行者を自分から助けられるだろうか?きっと、言葉が通じない怖さに負けて知らんぷりをしてしまうだろう。この出来事を通して、日本でも国際交流の機会は身近にあって、人助けが会話のきっかけになることに初めて気付いた。これからは、もっと積極的に普段の生活にも国際交流の輪を広げ、世界を身近に感じる楽しい交流をしていきたい。大阪市立高等学校(大阪府)楠本礼奈さん無題「ごめん、今日行けなくなっちゃった。」朝、まだ寝ぼけ眼の私に忙しそうな母が言った。その日は参観日だった。「どうして来てくれないの、お兄ちゃんのにはちゃんと行ったじゃない。」私は自分の持ち合わせの少ない単語を繋ぎ合わせて泣き喚いた。当時の私は十歳になったばかりで末っ子ということもあり、わがままな性格だった。両親は共働きでほとんど家にいなくて、何日も会えない日がザラだった。その日は作文の発表の日で、母に聞いてほしくて一か月も前から約束していた。その約束を破られた私はふてくされて学校へと向かった。友達が羨ましくて自分が惨めでならなくて、母のいない家に帰った私は自分で書いた作文用紙を破り捨てた。朝起きたら母がリビングの机で寝ていた。私はびっくりした。ゴミ箱に破り捨てたはずの用紙がセロハンテープでつなぎ合わされて母の手に握られていた。起きた母は私に「昨日はごめんね、作文見に行けなくて。読んだよ。ありがとうね、お母さんうれしい。」作文の題名は〝自慢のお母さん?だった。母はそう言ってまた仕事へ行く支度を始めた。私にこれを言うためだけに帰って来たのだ。母はどんなに忙しくても私のことを考えてくれていた。自分のことしか考えていない私を母は褒めてくれた。私は情けなくて、でもそれと同時にこれからは母のように、人のことを想おうとも思った。神戸市立神港高等学校(兵庫県)堀内裕美子さんおばあちゃんのいすお父さんがいすを買ってきた。小さな私の家にはとても似合わない大きなリクライニングのいすだ。そういえば、最近ソファを捨てたばかりでお父さんはいすが欲しいなあと言っていた。私が服や靴を買って来ると、また金をムダ使いして、と怒るくせに自分は高そうないすを買って、自分勝手だなと思った。その数週間後、鹿児島からおばあちゃんがやってきた。おばあちゃんと会うのは4年ぶりで、凄く嬉しかったけれど、前に会ったときよりも足腰がだいぶ弱くなっていた。歩くときも杖が必要で、とても辛そうにしていた。でも、お父さんが買ってきたいすに座ると、ぽっと嬉しそうな顔になり、「あぁ、楽だねこれは」と言った。私は、そうか!と思った。お父さんはおばあちゃんのためにこの大きないすを買ったのか。だからこんなにふわふわしていて大きくてリクライニングもついてるいすなのか!と分かった瞬間、とても心があっ