17歳からのメッセージReport2011

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14 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧沖縄県匿名希望方言と私近所に住んでいたおじさんが、声を掛けてきた。しかも方言で。意味が分からなかった。方言、且つ早口なおじさんが唱える呪文は、私の耳を、右から左へ駆け抜けていく。おじさんが宇宙人にすら見えた。方言が分からない。ゆっくり言ってもらったところで、単語の意味が分からないのだからお手上げである。クラスの人だって8割強は意味が分からないと言うし、私自身、那覇空港で目にする「めんそーれ」が「いらっしゃい」的な意味だという事くらいしか知らない。標準語が決まればその他の言語が消えていくのは当然で、外国でアボリジニさん達の母語を喋れる人が少なくなっていったように、沖縄でも方言を喋れる人はどんどん居なくなって、誰も「めんそーれ」なんて言ってくれなくなってしまうんじゃないだろうか。それは一つの言語の消滅であり、きっととても淋しい事だ。だから私は、沖縄の方言を学びたいと思う。この先の10年後や50年後の未来でも、沖縄に来る人を「めんそーれ」と歓迎する為に。世の中の出来事から考える未来2テーマ山梨県立都留高等学校(山梨県)石井大和さん生きてることの大切さ「もしもし、もしもし、おばちゃん! !無事なの! ?」返答がない。僕は諦めようとした、もう無理なんだ。しかし、電話の向こうから音がする、声がする。「私は無事だよ、元気でいるよ……。」泣いているのだろうか、とぎれとぎれに耳に入ってくる懐かしい声。僕は涙を止めることができなかった。3月11日。誰もが忘れられない日となった。『東北で震度7、しかも津波が…』悪寒がした。ニュースを見ると、旅で行った懐かしい景色が一瞬のうちに流されていった。おばちゃんの家も店も流れていった。もう終わりなんだ。諦めるしかないんだ。そう思った。いや、そう思うしかなかった。電話はもちろんつながらなかった。そのまま一ヶ月たった、そのとき、僕のケータイが鳴った。『おばちゃん』嘘だと思った。しかし本当に本当におばちゃんだった。この震災から、生きていることの大切さを知った。それは今まで忘れていたこと。生きてなければ何もできない。笑うのも、喜ぶのも、泣くのも、おばちゃんと出会うことも…。もう忘れることはない。絶対に。最後に、「おばちゃん!いつになるか分かんないけど、絶対会いに行くからね。待ってて! !」京都府立京都八幡高等学校(京都府)笹村ほたるさん人の縁現在、世界的に流行しているツイッターというコミュニケーションツールがある。その名の通り、日々のちょっとしたことを呟くネットサイトだ。三月にあった大震災。現地で電話もTVも使えないなか、ツイッターが数少ない情報収集の場であった。私は、この震災で人と人との繋がりに触れた気がする。震災以後、更新の途絶えたアカウント。避難所から呟いている人。それを見るたびに、ニュースの中の出来事が他人事でないのだと思い知らされた。「たかだかネット上の関係」、そう思う人もいるだろう。だが、昨日までは確かに画面の向こうで人が言葉を綴っていたのだ。そこには人と人との繋がりがあった。その人のために、私は何ができるのかと自問した。大人は「ゆとり世代」の今の若者には日本を背負う力がないというが、本当にそうだろうか。震災後、ツイッターには励ましなどの優しい言葉が溢れていた。ニュースにはとりあげられていないが、ツイッター上にアカウントがある企業に物資を送って貰えるよう呼びかける人もたくさんいた。他人のために言葉を尽くす人がいる。思いやりがある。私たち一人一人に人を、事を動かす力があるのだ。日本には「縁」という言葉がある。ネット上にもその「縁」があったのだ。私は日本という国がますます好きになった。日本はこれからきっと立ち直れる。こんなにも、人を思いやることができる国なのだから。大阪府立春日丘高等学校(大阪府)松本浩和さん男女平等を考える男女共同参画社会基本法の制定・施行から十一年になる。戦後、急に注目された「男尊女卑」という言葉を消すため、国内外を問わず「男女平等」への動きが加速している。私が「ジェンダー」という言葉を目にしたのは高校に入ってからのこと。「社会的な性」を「生物的な性」と分離する言葉の存在には驚いた。たしかに、人間社会における性別は、生物学上のそれとは本質を異にするところがある。愛し方であったり、魅力のポイントであったり、それは明らかに雌雄ではなく男女の差である。「男女の差」の存在は正しいのか、それとも間違っているのか。人が正しく活動し、社会が正しく機能する上で、社会的な男女の差は必要ないのかもしれない。かといって、「保母」や「看護婦」という言葉を世の中から消してしまう必要性も私は感じられない。政権公約の中で「女性のための」と言い切ってしまうのもどうかと思うが、いまだものごとに「女性初」とついてしまうのもいただけない。弱冠十七歳の私である。おいそれと答えを出すことは難しい。答えなど無いのかもしれない。しかし、いかに答えが遠かろうとも、答えを探す姿勢をもてたことを嬉しく思う。与えられた課題は難しいが、私たちが担わなければならない未来は、もうすぐそこまで来ているのだから。