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〜第9回(2009年度)グランプリ作品〜
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| 今までの自分、これからの自分 |
| 未来へ飛ばそう、しゃぼん玉 |
私には小学1年生の従妹がいる。ある日、その従妹がしゃぼん玉をしようと言ってきた。私は幼い頃を思い出し、懐かしくなって一緒にすることにした。久しぶりのしゃぼん玉はとても新鮮で楽しかった。ゆっくりと丁寧に空気を入れると、大きくて美しいしゃぼん玉ができて空高く飛んでいく。しかし、焦って空気を激しく吹き込むとすぐに割れてしまう。
人との関わりというものは、しゃぼん玉と同じだ。私は友達とケンカをした時、カッとなって強くあたってしまうことがよくある。私の悪い癖だ。そして後悔して落ち込むのである。一般的なしゃぼん玉の見方は、美しいものが一瞬で壊れて儚い、という感じだと思う。しかし私は儚いとは考えない。しゃぼん玉をふくらますように相手の気持ちを考え、思いやりを持って接することで、いい関係を築くことができる。そしてそれが空高く、未来へと続いていく。だが、今までの私のように自己中心的に友達と接しているとその人との関係がすぐに壊れる。しゃぼん玉が割れるように。
人との関わりというのはしゃぼん玉のようにとても繊細で壊れやすいものだと思う。しかし美しいものを作ろうと努力するとそれは空高く飛んでいく。未来へと羽ばたいていくのだ。私は、今までの自分を見つめ直して、人との関わり方をしっかりと考え、これからたくさんのしゃぼん玉を空へ、未来へ飛ばしていきたい。
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| 人とつながる・社会とつながる |
| 私たちと空 |
ある日の夕方、友だちから、「今、犬の散歩中」という内容のメールと一緒に空の写真が送られてきた。夕方だったから、空はオレンジ色の雲と水色の空になっていて、すごくきれいだった。
だから自分も何となく部屋の窓を開けて、自分の部屋から見える夕焼け空を携帯で撮って、友だちに送ってみた。するとすぐに、「同じトコ見つけた!」と返信が来て、付いてきた写真を見たら、自分が撮った空と同じ空が写っていた。私はそれを見て、離れているのにつながっているんだなぁと、感動した。
どこへ行っても、空は必ず私たちの上にある。1日中色を変えながら、様々な模様を描きながら、色んな表情で私たちを見守ってくれている。私は、晴れの日の雲一つない青空を見ていると、なぜか元気が出てきて、前向きな気持ちになれる。逆に、雨の日のような、雲で覆われて暗くなっている空を見ると、気持ちまで暗くなってしまう。空を見ていると、この空の下に世界中の人たちが住んでいるんだなぁと思うし、同じ空の下にいるからつながっていられるんだなぁと、あたり前のことなのに不思議に思ってしまう。
でも私は、そうやって皆とのつながりを感じさせてくれて、気持ちまで元気にしてくれる空が、大好きだ。
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| 今、伝えたいこと(自由課題) |
| 参観日のもやもや |
「明日は授業参観なんだけど…来なくても、いいよ。」
夕食を食べ終えた時のことである。私は、小学生の頃から授業参観というイベントが嫌いでならなかった。友達が、お母さんと目くばせしては少し気恥ずかしそうに、でも嬉しそうにしているのを見る度に、心の黒いもやもやのカタマリが大きくなっていくからである。
「お父さんは大阪で働いているし、お母さんは、レッスン、あるよね。」
私の母はダンス教室の先生である。授業参観のために母の長年の夢が叶って開いた大切な教室を休みにはさせられない。だから私はあえて「来なくていいよ」と母に言う。私は私なりに納得していたつもりだった。
当日。やはり心のもやもやは大きくなっていく。お母さんが来たぐらいで、そんな嬉しいわけ?こんなことを考えるのが妬みであることぐらい、知っている。でも…。でも。そんなひねくれた気持ちで、教室の後ろをちらっと見る。どうせ、来ているわけない。しかし、そこに立っていたのは、まぎれもなく私の母。驚きで、一日中授業どころではなかった。
「今日は、レッスンをお休みにしたの。仕事なんかより娘が一番大切に決まっているでしょ?」
駅からの道を、私と腕を組んでゆっくりと歩きながら母は言った。その一言が、私の中の黒いもやもやを溶かしていく。家にはまだ着きたくない、そう思った。
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| 過去と現在 |
沖縄の梅雨入りは早い。そして、梅雨が明けるとすぐにセミが鳴きはじめる。セミの鳴き声をうるさがる友人もいるが、私は嫌いではない。このセミの鳴く声の聞こえる教室がわりと好きだ。今しか味わえないかと思うと、なんだか深く染み入る。
学校は緑に囲まれていて、そこでセミが鳴いている。ちょっとした山のようなところにはフェンスが張り巡らされていて、去年の夏休みのことだ、友人とそのフェンスを越えて入ったことがある。部活の後だったので制服だった。スカートを押さえながら高い柵を登り越えるのは一苦労だった。全く手入れのされていない無法地帯を踏み歩いた先には、防空壕があった。特に珍しいことではない、中学校にもそれはあった。穴は埋められ塞がれていた。防空壕は重々しく時を止めたまま、そこに取り残されていた。セミが鳴いていた。
教室から見える防空壕では、おばあたちが線香を上げに来る姿が、授業中によく見受けられたものだった。悲惨な出来事のあったこの場所で、私たちは机を並べ黒板に向かい勉強している。そうだから学校では怪談話も耳にするが、私は不思議な気持ちになる。戦争を見てきた防空壕と、戦争を知らない私たちが、今、ここに共存している。まさに平和とは犠牲の上に成り立っている。私はふと思うのだ。線香を上げに来る姿がなくなった後は、一体どうなるのだろう。 |
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