17歳からのメッセージReport2011

17歳からのメッセージReport2011 page 24/48

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2317歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)末永奈々さん元気の花「菜の花は元気をくれる花やねんで。」昔、体調を崩した私を、母が菜の花畑に連れて行った。「菜の花の黄色は元気の色やから、ほら、生き生きしとるやろう。春は毎年見に来るとええよ。」都会出身の母は幼い頃、菜の花は見れども菜の花畑なんてあまり見なかったそうだ。だから感動した、と言うように話す母。確かにその小さな花は、私の心に元気をくれた。「元気の花だ」と今でも思う。その事を友達に言うと、わからない、と笑われた。私はシロツメクサの方が好き、菜の花より身近で、可愛いし。なるほど、人それぞれだ。シロツメクサは私も好きだ。白と桃が愛らしい。でも、私の中で思い出の花であり、元気の花はずっと菜の花なのだ。同じ黄色でもヒマワリでは駄目なのだ。小さい頃母と見た、眼下に広がる菜の花畑。小さな花がたくさん集まって、きらきら輝いている。春の一瞬を一生懸命に。心が晴れるんだよね、お母さん。あなたはまだ覚えているだろうか。私は今でもはっきり覚えているよ。悲しくなったら思い出すとええよ。気にせえへんのが一番やけどな。春になったらまた行きや。一人で行くのが寂しかったら一緒に行ったる。お弁当、持って行こか。あの時言ってくれた言葉と、見せてくれた景色、そしてあなたの笑顔が、今の私にも元気をくれる。長崎県立佐世保商業高等学校(長崎県)竹本真憂さん笑っててね、ばあちゃん私の大好きな祖母が、アルツハイマー型認知症だと診断されたのは数か月前のことだった。進行を止める薬を飲んではいるものの、病気は少しずつ進行し、あんなに元気だった祖母はこの数か月間で自分から話すことが少なくなり、常に寝ていることが多くなった。さらに、病気が進むにつれて色々なことも忘れてしまっていた。祖母の介護施設へ、母と二人でいつものように会いに行くと、介護士さんが祖母のおむつを替えにやって来た。ズボンを脱がされた祖母の足は、今にも折れそうな位細かった。病気のせいで食べ物を口にしなくなり、割とふっくらしていた祖母は驚く程痩せ、小さくなってしまったのだ。「こがん痩せてしもうたよ」祖母が言った。その時、私は目を疑った。祖母が泣いているのだ。昔の元気だった頃の祖母が、一瞬蘇ったように見えた。こんなことは初めてだった。私も母もその時は下を向いて、ひたすら泣いた。三人でしばらく泣き続けていた。祖母はその後、私達に「あんた達ば待つとよ。私の血の繋がったとはあんた達だけたい」と笑って言った。まだ祖母は、私達に対する想いや感情を忘れてはいないんだ、とその時改めて実感した。あの日の事は、一生忘れないだろう。ばあちゃん、色々忘れてもよかよ。でも、私とお母さんの事だけは覚えとってね。私はばあちゃんの孫で幸せよ。これからも私はずっとばあちゃんの側におるけん。だから、もう泣かないでね。笑っててね、ばあちゃん。熊本県立天草東高等学校(熊本県)角山彩乃さんたった一言だけれど「お母さんもお父さんも彩乃の味方だけんね。」そう言われたのは、中学2年生の時だった。私は、中学時代不登校だった。友達から避けられ、親友からも裏切られ、人を信じられなくなり、家族とも会話をせず、部屋にこもっていた。「私は独りぼっちだ、誰も味方がいない」と思い込み、生きていることさえ辛く苦しかった。そんなある日、「死んだ方が楽、誰も私のこと好きじゃない。」とつぶやいた私の一言に、母は涙を流しながら「味方はたくさんいるじゃん。お母さんもお父さんも彩乃の味方ばい。」と言って、私をきつく抱きしめてくれた。私はその瞬間、忘れていた人の温もりを肌で感じた。もう一度、人を信じてみよう。閉ざしていた心を開く勇気を持ってみよう。そう思えるようになった。それ以来、私は少しずつ、一歩一歩確実に前を向いて歩んでいる。時々後ずさりすることもあるけれど…。今思う。あの時の母の言葉が、母の温もりを感じることがなかったら、今の私はどうなっていたのだろう?母からの言葉で「私は独りじゃない。この世で最高の味方がそばにいるじゃないか」と実感できた。人を信じるための勇気をもらった。人のそばに寄り添い、心の温もりを感じ、励まし合いながら生きていきたいと考えるようになった。母の一言は、私の歩むべき道を示してくれた。私はこれから、母から貰った勇気と愛を人生の糧として生きていく。お母さん、ありがとう。私変われたよ。大分高等学校(大分県)利光史帆さん一生懸命東日本大震災から約2ヶ月。今でも被災地の様子がテレビで度々流れる。食料もお風呂も何もない避難所で苦しんでいる被災者の人々を見るととても胸が苦しくなった。ある日のテレビで被災地に救助に行っている自衛隊の一日の様子が特集されていた。テントで生活をし朝早く起きて行方不明者の人々をがれきの下などから見つけ救助する。その自衛隊の人たちの中にはまだ自分の家族の居場所が分からない人もいる。なのに懸命に救助をしている。私は涙が出そうになった。その自衛隊の人たちは家族のことがとても心配だと思うし自分の家族に会いたい気持ちでいっぱいだと思う。しかも他の自衛隊の人たちも自分のことでもいっぱいいっぱいだと思うのに一生懸命何一つ疲れた顔をせず救助に向かっていた。そんな自衛隊の様子を見て被災者の人たちは「一生懸命やる姿を見て私たちもがんばろうという気持ちになれました。」と言っていた。自衛隊の人たちは「がんばって」という言葉とかじゃなくて一生懸命やる姿で被災者の人たちを勇気づけ元気にさせた。「一生懸命やることで人の心を動かす」とてもすばらしいことだと思う。私もこれからは一生懸命何かをして人の心を動かせるような人になりたいと思った。