17歳からのメッセージReport2011

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32 17歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧かし基準値を超えていないものも、全く売れない、出荷する先がないというのが現状である。私は風評被害を受ける生産者を支援しようと、東北地方が産地の野菜などを安く売っている店を見たことがある。しかし、まだ一部の活動でしかないと感じる。だから政府を中心に迅速に対応しなければならない。例えば正確な情報を消費者に提供し、誤解や偏見をなくすことである。さらには、多くの店と協力した長期的な販売促進もあるだろう。そして私たち消費者はそういった情報や活動に耳を傾け、より関心を持つべきである。もしきちんとした支援がされなければ、当然、生産者の数は減る。食品の供給も減り、今以上に外国の輸入に頼ることになる。世界で食糧不足が問題となっている中で、これは遠くない将来に、私たち一人一人を苦しめることになるだろう。だから、「国産」を守る生産者を多くの手で支えていかなければならない。セントヨゼフ女子学園高等学校(三重県)清水咲希さん食私の祖父は、自身の畑を持ち、畑で無農薬の野菜などを栽培したり、竹林へ行き、竹の子を採りに行ったりしています。一見、無農薬のものを栽培するのは、ただ薬を使わないというだけで簡単のように見えます。私も、祖父の話を聞く前までは、薬代が浮いて、しかも体に良いから、一石二鳥だと思っていました。しかし、無農薬のものを栽培するには、祖父や農家の人の四苦八苦や試行錯誤が隠されていて、大変なことなのだと知りました。例えば、たまねぎは、土の中だから青虫やカラスに食べられず安心だと思いきや、モグラの穴を通って野ネズミが皮だけを残して食べてしまいます。そこで、食べられる前に頃合を見はからって抜くようになりました。また、竹の子を採ることも簡単ではありません。やわらかく、おいしいものは土の中にあり、その先端を足の裏で感じ、採る作業は長年の勘が必要になります。今現在では、祖父のような人は、祖父より先輩の方がほとんどで若い人がごくわずかです。もし、祖父達の農作業に関する勘などを教わらず、祖父達の時代が終わり、私達、若者の時代がきたら、今のように店頭に無農薬の野菜や竹の子が並ぶことはないでしょう。だから、私達、若者は、今、祖父や祖母、父や母、多くの先輩の方に、様々なことを学び、修得し、現代を生きる必要があると思います。京都府立城南菱創高等学校(京都府)森田玲菜さんひとこと「何のために生まれて何をして生きるのか答えられないなんてそんなのはいやだ。」震災のあとよく聞くこの歌。私はアンパンマンみたいに生きたい。「どうしてもっとはやく助けてくれないの?もっとはやく来れたでしょう?はやく家族を助けて」悲痛な叫び、きれいな手袋、きれいな靴、その人は必死に土砂を取り除く人の隣でただただ嘆き続けていた。その人が悪いなんて言わないし、言えない。同じ立場に立てば同じ事を言うのかもしれない。だけどテレビ越しにその惨状を見るだけの私はぼんやりと思った。同じ様に被災した消防団の方が人のためと必死で動いているのに、あなたは自分のためにすら動かないのか。そのきれいな手袋や靴を土で汚すことはないのか。私はできることなら消防団の方のように人のために動ける人でありたいと思う。ある記事でやなせたかしさんのある言葉が目についた。「自分を犠牲にしてでも人を助ける。」それがアンパンマンのポリシーなのだそうだ。私はそんなにできた人間じゃないから自分の犠牲は遠慮したい。その代りに自分の希望を足してみよう。してあげるのではなくさせてもらう。きっと自分の糧になるはずだから。周囲を見渡して自分のできることを探す。自分にちょっと余裕があって、困っている人がそこにいる。そんな時にこんな風に言える生き方をしたい。「お手伝いさせてください。」京都府立城南菱創高等学校(京都府)山本佐貴さんその手に感じた最後のぬくもり「ここに娘がいるんです!出してあげて下さい!」丁度私が居間を通りかかった時、テレビからある女性の悲痛な叫び声が聞こえた。またこの前の地震のニュースかと思って通り過ぎようとしたが、この時はなぜか私はそのままテレビの前に座っていた。それは、何度も何度も冒頭の言葉を叫び続ける女性に、私が引かれたからなのかもしれない。このニュースは、叫んでいる女性の娘さんがバスに乗っていた時に地震に遭い、既に亡くなってしまっていたというものだった。母親の手はバスの窓を通して娘さんの頭に触れていて、まだ温かいと母親は泣いて言う。そんな母親にレスキュー隊の人は、生きている人が優先だと泣きながら謝まっていた。バスの窓ガラスで腕を切ろうとも、ずっと娘さんを撫で続ける母親。出してあげることが出来ないと涙を流す隊員。亡くなってもなお「愛」を知ったこの娘さんは、とても幸せ者だと思った。いつか私も誰かと結婚し、子どもを産み、そして家族を持つだろう。その時は、この母親のような最後まで家族を愛し続ける、そんな母親になりたいと思った。幼児虐待などが増えてきているこの時代、他の人達にもこんな大きな「愛」を持ってほしいと私は願う。三日後、やっとバスの中から助け出された娘さんを必死に抱きしめる母親の姿に、私は涙した。滝川高等学校(兵庫県)白髪文努さん人を救い、人を助ける私は高校生になった時、やりたい仕事を本や雑誌、先生や先輩の話などを参考にして決めていた。大企業に就職すること、もしくは社長になることだ。なぜなりたいかと言うとおそらく給料が高く、安定した生活が保証されているようなものだからだ。私は必ずなると決めた職には必ず就職してみせると固い決心のまま一年間生活をしてきたが、その夢はある事件により何か別の大きな感情と共に薄れつつある。