17歳からのメッセージReport2011

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1517歳からのメッセージ17歳からのメッセージグランプリ学生審査員賞金賞銀賞奨励賞学校特別賞応募参加高校一覧大阪府立香里丘高等学校(大阪府)三輪康葉さん将来の夢と今の日本私は将来、臨床検査技師になりたいと思っています。今、日本は東日本大震災で多くの被害を受けています。大阪に住んでいる私たちは、大きな被害を受けていません。高校生の私には被災地に行って支援できないので、とても残念です。自分が今できることは募金ぐらいしかないけれど、少しの支援でも役に立てばと思っています。今回の震災で多くの方が被害を受け、けがや病気の人が行く病院もたくさん壊れてしまいました。すぐに検査が必要な人などは今どうしているのでしょうか。もし私が今臨床検査技師になっていたら…と思うんです。この東日本大震災を機に、私はより臨床検査技師という仕事に就きたいと思うようになりました。私が臨床検査技師になるころには、もう日本は回復しているかもしれません。でもまだ日本〈関西〉には大きな震災が起こると予想されています。その時に自分がたくさんの人を助けられるようになっていたいです。被災地の学生たちはいまだ学校がはじまっていなかったり、勉強道具がなくなったりと非常に大変だと思います。今私たちは勉強できてる事がとても幸せなので、私は将来のため、大学入試のために今できる勉強をしっかり頑張っていきたいと思います。そして臨床検査技師になります。絶対に…。大阪市立工芸高等学校(大阪府)佐藤花恋さん東北大震災から見据える未来先日、東北地方で国内最大と言われる震度七の大地震があり、大津波が町を襲い、多くの犠牲者を出しました。今もまだ多くの行方不明者がいると新聞やニュースからも伝えられており、地震発生時も今も、私はただテレビ画面の前でぼーっとそれを見つめて、涙が溢れたり逆に勇気をもらったりと、自分の無力さと自然の恐ろしさをひしひしと感じている毎日です。テレビで見た大学生達が駅前で募金活動をする姿や、被災地に送られる食糧や衣服や寄付金、芸能人の方が激励する姿を見ては、「今」自分には何ができるのだろうと考え、何もできていない自分に後ろめたい気持ちもずっとありました。しかしふと、「今」ではなくずっと先の「未来」のことを考えた時に恐怖感が生まれました。世の中が混乱しきっている「今」は、誰もが地震のことを知っていて覚えていて、多くの支援がありますが、時が経ち、地震の記憶が薄れ、地震があったことさえも知らない子供達が増える「未来」に、まだ「今」と同じような支援や報道が続いているのだろうかと考えると、きっとそうではないだろうという回答が返ってきます。「今」から「未来」にかけてできること。それは地震の記憶を忘れないこと、そして少しでもいいから支援を続けていくことだと私は考えています。無力な私ですが、これから毎日五百円貯金をして、被災地に送りたいと思っています。これが未来を創るということに繋がるのではないでしょうか。大阪女学院高等学校(大阪府)生田彩乃さん青春の1ページ押し入れの整理をしていると、一冊のノートが出てきた。最初に見つけたのは母で、手に取るなり「懐かしー!」と大はしゃぎ。「ちょっとあんた、見てよ!」と手渡されたそのノートは、山のような写真やアルバムの中から発掘されて、若干茶色く変色していた。パラパラとページをめくると、ぎっしりと並ぶ細かい字と、『卒業おめでとうございます、元げんさん』の文字が、どのページにも書かれていた。それは、母が高校時代所属していたバスケ部の引退記念の寄せ書きノートだったのだ。当時のあだなが元げんということと、バスケ部だったことは知っていたが、キャプテンだったことは初めて知った。後輩達は皆、『元げんさんの速すぎるドリブルが憧れでした』とか、『元げんさんの引き締まったプリン×2のお尻が好きでした』とか書いていて、私は(お尻のことばっかやん)とか思いながらも、私の知らない母の少女時代に、妙な感動を覚えた。そこには、母の青春が詰まっていた。きっと私の学校生活も、あっという間に終わってしまうだろうと思うと切ない。これからは、自分の足で立って歩いて行かなければいけないし、時間は待ってくれないのだから。正直、ずっと子供のままでいたいと思う。大人になってゆく自分が怖いし、変わってゆく何もかもが怖い。だけど、母が少女から大人の女性へと脱皮していったように、私もその後を追わねばならない。多分一生、母の背中を追い続けて大きくなってゆくのだろう。神戸市立兵庫商業高等学校(兵庫県)水野良恵さん大切な人を奪った日私は三月十一日、津波で祖父を亡くしました。私はその日、先輩の卒業式に花を届けるために家を出ていました。その日はとても穏やかで平和な日常を思わせるような日でした。家に帰り、テレビをつけてみると見たことがない映像が私の目の前に飛込んできました。大きな地震に、車がミニカーに見えるほどの津波など初めて見るものばかりでした。私がその映像を見て一番釘付けになったのは死者の名前でした。なぜなら私の祖父は福島の海沿いに住んでおり、とても不安な気持ちになったからです。そこには祖父の名前はありませんでした。しかし、その夜母から電話があり、福島の祖父がたった今津波により亡くなったという知らせでした。私はその知らせを聞いて涙すら出ず、ただ呆然としているばかりでした。私はテレビで岩手の人が「しあわせ運べるように」を神戸の部分を岩手に変えて歌っているのを見て、今までは何となく音楽の先生に歌わされたという思いでしかなかったけど、そう思うのは経験したことがないから思うことであって、経験している人が歌っていると歌詞の重みに気付き、今までの私が情けなくなりました。そして、自分には何もできないという気持ちに恥ずかしくなりました。三月十一日は祖父を奪っていったけど、大切なことにも気付かせてもらいました。これからは、亡くなった方の分まで生きようと思います。